礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

佐々木惣一博士の「帝国憲法改正考査」(1945)

2017-08-27 01:52:12 | コラムと名言

◎佐々木惣一博士の「帝国憲法改正考査」(1945)

 今月二三日のコラム「佐々木惣一は老顔を赤くして激怒した」では、花見達二著『大転秘録――昭和戦後秘記』(妙義出版株式会社、一九五七)から、「佐々木博士大いに怒る」の節を紹介した。
 同節には、次のような部分があった。

 やっと佐々木〔惣一〕を鎮めた近衛〔文麿〕は、佐々木を内大臣府御用掛に推した。やがて箱根の奈良屋別館に近衛、佐々木、それに佐々木の門弟磯崎辰五郎(現大阪大学教授)が助手となり、十一月末までかかって改正草案の作成に従事した。

 磯崎辰五郎(一八九八~一九九〇)は、憲法学者・行政法学者で、花見達二の言うように、佐々木惣一の門弟であって、師の「改正草案」作成に協力した。戦後、大阪大学法学部の創設に関わり、また学部長としても活躍したという。
 今、机上に、磯崎辰五郎著『統治行為説批判』(有斐閣、一九六五)という本がある。「いわゆる統治行為を肯定する学説の批判」(初出一九五九)」、「統治行為説批判」(初出一九六三)などの論文を集めた論集である。
 その論集の最後に、〝佐々木惣一博士の「帝国憲法改正考査」について〟という史料的価値に富む論文が置かれている。初出は、新教育懇話会叢書第八集(新教育懇話会、一九六一)の『佐々木惣一博士の「帝国憲法改正考査」について』である。
 本日は、この論文を紹介してみよう。  

 佐々木惣一博士の「帝国憲法改正考査」について

   緒 言
 磯崎であります。一月の講演は大体京大の下程〔勇吉〕先生にお願いする予定であったようでしたが、先生の御都合がお悪いので、私に「何かやらないか」という御交渉がありましたが、私はどうも適当な講演の題を持ち合せませんでして、お断わりに上っていろいろ話しておりましたところ「佐々木先生の憲法改正のお仕事などもひとつ話して頂いたら」、こういうようなお話でございましたので、お引受けしたのであります。内大臣府で帝国憲法の改正の考査をしたということは、世間に割合よく知られておりますけれども、それならどういうような内容がそこに盛られておったかということについては、実はあまり知られておりません。というのは、これは後からも触れますが、天皇の御判断の御参考までに奉答申し上げたのであって、ある意味では内々のことでありましたし、また奉答された考査の結果を公表することにつき、佐々木先生は宮内庁にまで御許可を願い出てこれを得ておられたのでありますが、ついに公表せられずに今日に至っておるのでありますから、一般の人には考査の内容が知られていないのが当り前でございます。そこで私は、そういう改正の考査にたずさわれる経過であるとか、それの方針であるとか、それの内容であるとか、というようなことを簡単にお話し申し上げようと存じます。

  一 佐々木博士憲法考査の経緯
 マッカーサーの憲法改正示唆
 先ず、どういういきさつから内大臣府が憲法改正の考査をすることになったか――このことは実際は一番肝心なことでありますが、しかしそのことは必ずしもはっきりと致さないのであります。亡くなられた近衛〔文麿〕公がマッカーサーと会見した際に、マッカーサーが憲法改正のことを示唆したので、近衛公が内大臣の木戸〔幸一〕侯と話し合って天皇に申し上げ、それで始まったということでありますが、近術公とマッカーサーとの間の会談がどの程度の内容のものであったかということは、どうも私共にはつっ込んで知る由もないのであります。しかし、近衛公が木戸〔幸一〕内大臣と相談をしまして、いよいよ帝国憲法の改正のことを考査しようということになったときに、近衛公は自分一人では十分にやれない、誰かにその協力を求める必要がある、佐々木惣一博士にこの際ひとつ起って頂こうと考えられたことは間違いありません。佐々木惣一先生は、実は近衛公が京大法学部の学生であった時の恩師の一人です。内大臣の木戸侯もやはり京大法学部の卒業生であります。昭和二十年〔一九四五〕十月九日に近衛公は、秘書の細川護貞という人を京都の佐々木先生の所に遣わしまして、先生に協力を懇請されたのであります。佐々木先生は事が重大でありますから、容易に起とうとなさいませんでしたが、とにかく一度東京へ行って近衛公に会って見てほしいということでしたので、十月十二日に上京されました。そこで近衛公や木戸侯から再三「是非ひとつ」というお願いがあったものと見え佐々木先生もことわり切れずにお引受になりまして、十三日に内大臣府御用掛をおうせ付けられました。これより先十一日に近衛公は内大臣府御用掛になっております。【以下、次回】

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