◎噓に噓を重ねて国民を瞞着し来たった後に……
本日も、大佛次郎『終戦日記』(文春文庫、2007)の紹介。本日は、八月十一日の日記。このあと、八月十一日から二十日までの日記を紹介する予定である。表記は、文春文庫版のとおり。
八月十一日
またひどく暑い日である。朝の内から道路に水を撒く。習慣になったと云うより水を撒いて何かしているような気になって慰めている趣きがある。やけな仕事のようで可笑しい〈オカシイ〉。珍らしく静かな御前〔ママ〕であった。二三機断続的に一機ずつ入って来ただけである。しかしこの一機が入って行った地方は新型爆弾のことを思い平気ではいられぬのだ。疎開に逃げ廻っているのか味方機の濁った爆音が空を通って行く。むしむしと暑い。遅ればせながら田の水が煮え米にはよいのであろう。
午後木原君が来る。夕方、門田君が東京からの帰りに寄り昨朝七時に瑞西【スイス】瑞典【スウエーデン】公使を介し皇室を動かさざるものと了解のもとにポツダムの提議に応ずると回答を発したと知らしてくれる。結局無条件降服なのである。噓に噓を重ねて国民を瞞着し来たった後に遂に投げ出したというより他はない。国史始って以来の悲痛な瞬間が来たり、しかも人が何となくほっと安心を感じざるを得ぬということ! 卑劣でしかも傲慢だった闇の行為が、これをもたらしたのである。山本さんに電話をかけると今日は藁谷大佐も来たりいよいよ活溌に仕事を始めるという。電話で話せぬからちょっと小暮君をよこしてくれと云う。小暮君来たる。米の配給由比ヶ浜〈ユイガハマ〉になく、五日続けて一家は馬鈴薯ばかり喰べているという話。
○朝刊に重臣論というのが出た。調子の変化がやや表面に出ようとした形である。国家の重臣たるものは単に内閣の首班だったとだったというのでは足りぬというのである。
〔夜さかんに敵機が来た。しかし何となくただ覗いて帰って行くという工合てある。〕
文中、「門田君」というのは、当時、鎌倉に住んでいた朝日新聞社社員、門田勲(かどた・いさお)のことであろう。
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