◎勤労者は「勤労・懈怠」に独特の勘をもっている
拙著『日本人はいつから働きすぎになったのか』(平凡社新書、二〇一四年八月)に対する塩崎雪生氏の書評を紹介している。本日は、その五回目。
昨日、紹介した箇所のあと、一行あけて、次のように続く。途中、一行アキの部分は、引用にあたってもそのままとした。
当方の両親は、鹿島郡よりはるか北方、能登突端の珠洲出身で、なおかつ北海道移住者なのですが、幼児である当方が見ましてもなるほど確かに「働き者』との印象を受けました。そして、やはり無為に過ごすことを罪悪視するフシがあり、当方に対しても日常的にやたらと「身体を動かすこと」を奨励(というか強要)していました。
「勤労者」というものは「勤労・懈怠」に対する独特の勘をもっているようです。それは、効率や有効性といったものを嗅ぎ分ける本能とでも呼ぶべき能力で、その「眼識」に適わない事柄は、即座に甚だしい嫌悪の対象となります。当方が高校生の頃でしたでしょうか、課業ほとんどそっちのけで読書に励む当方を「始末に困る」とその独特の勘で判断したのでしょう、すぐにでもその悪癖をやめさせるべくある年長者に相談に行った、という笑えない一幕がありました。その年長のかたがどのように対応したのか、今となってはくわしくは想い出せないのですが、「読書も勉学のうち」といった答えを示されたのでわが親はしぶしぶ承知して、以後読書放任となったようです。
読書が授業理解や成績アップの即戦力とはならないことは事実だと思います。「そんなことに夢中になってないで、英語や数学の問題をどんどん解け」と言いたいこころも充分理解できます。「読書すなわち課業怠慢」であることはまぎれもない事実であるのかもしれません。しかしながら、この挿話を通じて当方がなによりも強調しておきたいのは、「労働(勉学)は「つらいこと」に取り組み、努力によってそれを克服することだ」とわが両親は認識しているということなのです。両親の目には読書するわが子が実に丨楽しそう」に見えたのでしょう。実際当方自身、勉強よりもなによりも楽しいからこそ読書に励んでいたのですから、 そこでもし「さては楽しんでいたな!!」などと詰問されたなら、返すことばはないわけです。《「つらさ」の伴なわない労働は労働にあらず》といったテーゼが両親のこころのなかに確乎としてあったなどとはいえませんが、上記本能的勘が「読書」を「娯楽」あるいは「徒事」と捉えさせていたことは疑問の余地がありません。
なお、宗旨的なことを記せば、父は「門徒だ」と自称していましたが、熱心に念仏を唱える姿など見たことはありません。母の家は日蓮宗でしたが、母自身は法華経などとはまったく無縁のようです。仏壇もありませんし、盆などに僧侶が来たこともありません。
《「つらさ」の伴なわない労働は労働にあらず》と記しましたが、かかる考え方は日本人の心性にかなり深く根ざすものであると思います。しかしその歴史は意外と短く、おそらく昭和戦時下にはじまるのではなかろうかと推測します。
戦時中、さまざまな不合理な事柄が横行しておりましたが、その最大のものは「この戦争は負けるのではないのか」と多くの人たちがうすうす気づいておりながら、誰しも対他的には「必勝の信念」などを言いつくろっていたという恐るべきこと悪習でありましょう。つまり絶対に成果の上がるはずもない事業に取り組んで、まちがいなく破産するとわかっていながらお互いに嘘を応酬し合い、なんら決定的な事態解決策も講じることなく、あれよあれよという間に最終局面を迎えたわけです。そのようななかにあって、末端で働かされているものたちには想像を絶する不条理が情け容赦なくつきつけられます。その顕著な事例は無論下級兵士の扱いに容易に見て取れます。【以下、次回】
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