◎朝日の長谷川君は十日間、家に帰らないという
雑誌『座談』第二巻第三号(一九四八年三月発行)から、「帝銀毒殺事件楽屋話」と題する新聞記者七名による座談会の記録を紹介している。本日は、その五回目。
座談会に出席した記者七名の名前は、冒頭で明記されているが、個々の発言については、名前ではなくA~Gのアルファベットが用いられている。このうち、発言者名が推定できるものについては、アルファベットの下に、〔 〕で、社名と氏名を入れておいた。
百万円の報道費
E〔読売新聞・井形忠夫〕 うちなんか、百万円突破したさうですよ、費用が。(笑声)朝日さんはもつと掛つてるな。朝日さんは一本八十円の弁当代だけでも、もう一万円突破してますよ。
G 八十円? それは安いよ。米持つていつて作ってもらつたつて、加工賃が五十円くらゐ掛るからな。
C 本部へは最初からどのくらゐ泊つてるの。
B〔毎日新聞・三谷博〕 やはり二人ですね。写真班を入れれば大体四人。
D 少いてすな。
B 四人でなければ泊れないんだ。車は一番多く使つた時が八台。
C 読売は。
E うちの場合は最初の事件発生の時が人間十人の車が五台くらゐですね。次の日から三日間くらゐは、自動車と側車〔サイドカー〕と単車、全部で十台くらゐ、人間は二十人くらゐ動員しましたよ。
C 延べ三十人くらゐ来てたな。
E 泊りだけで平均十二、三人ですよ。今は六人ですがね。
F〔朝日新聞・堀長隆〕 朝日は読売さんと大体同じだ。だけどもそれは本部関係だけでね、あとは遊軍といふのが動いてる。これが全然お祭なんだ。てめえで写真が入つたとかいつて 走り廻つて楽しんでるんだ。(笑声)実際困るんだよ。
E 遊軍は多いですね。
記者 酒はどうでした、本部は。
G 酒はね、酒は乏しいですよ。昔は大きな事件があれば、本部に詰めかけた人が勝手にそば屋から一本持つて来て呑むといふこともあつたけどね、今はもう酒なんていふものは‥‥。
E 最初の四、五日といふものは、酒呑んでる暇がなかつたですよ。
G とにかく多く来た日は概ね二百人くらゐ来てたね。
E さうですね。目白署を占拠したといふ形でしたね。警察官がどこへいつたか、見えなくなるくらゐでね。
G 毒殺魔謙虚の第一報を社に送る、これを各々目標にして来てるんだからな、眼の色が違つてます。昨日まで警視庁の記者クラブで仲よく呑んでゐた仲間が、まつたく黙つちやふ‥‥。
F さうなんだな。ふだんの呑み友達が、擦れ違ふ時にかうやつてね。(グツと睨む)
E 俱楽部で仲よかつた朋友【ポンユウ】同士が口をきかなかつたですよ。
A せいぜい煙草をタカルのが関の山。
G 煙草をもらひながらその人の顏を見て、すぐよこすやうなら安心だ、なんて思つたりしてね。(笑声)
F そのくらゐの神経戦はあつたな。
E 各社の中に非常に優秀なる記者といふのがゐるんです。それをみんなで追つかけゴッコしましたね。
記者 マークするわけですね。
E さうなんです。
F マークしなきやダメなんですよ。
E あれが動いた、きつと何か摑んだらうといふわけでね。
G 朝日の長谷川君な、あれは大した努力をしてをると思ふな。俺が警視庁へ出たら、あいつは今日で十日間、家に帰らないといふんだ。家の人から電話があつてね、それに対して長谷川君はどこにゐるんだか判りませんなんて返事してるんだ。さうしたらおつ母さんが警視庁へ来たよ。年とつたおつ母さんだ。私は長谷川の母でございますが、伜〈セガレ〉はどちらにをりませうか、といふんだな、それから朝日の人が捜査本部と連絡をつけて、長谷川が電話口に出て来たらしい。さうしたら、お前、十日も帰つて来ないんだが、どうしてるのか。そこでかういふわけだといつて様子を話したらしい。そんなら 着物もずゐぶん汚れたろ、シヤツなんか汚れたろ、忙がしかつたら帰らなくても構はないが、シヤツを取替へたらいいだろ、といふ話をしてる。長谷川が、取りにゆく暇もないんだ、といふと、ぢや、けふ届けにいつてやるぞ、と言つたんだよ。俺はこの話を聴いた時に、やつばりかういふおふくろがゐるから‥‥。
D 今度は各社でも相当病人が出てるんぢやないですか。
G 俺の所の記者も、留守の間におつかさんがお産でね、赤ちやんが生れてるんだよ。奮闘中に男の子が生まれてるんだ。小池君もさうだつてな。
D うちのキヤップの松尾さんは、子供が二人とも扁桃腺で熱出して‥‥。
G 新聞記者は第一報を早く送る、そのためには家も犠牲にするんだ。
A 僕は一番脈があるのが板橋以後の犯人の足取りだといふので、とにかく徹底的に洗ひましたよ。板橋の安田銀行支店で小切手一万四千七百五十円を現金にに替へた、あれから忽然と消えて足取りが判らない。そんなバカなことはない。煙ではないだらうといふので、洗つてみたんですがね、その時に車が間に合はないんですよ。あつちへ駈けずり、こつちへ駈けずりでせう。それで交通違反ですがね、オートバイのうしろへ乗つて走ったんです。そのために交通巡査に咎められること二回、しかし、わけを話して納得してもらひましたがね、とにかく埼玉県から千葉県の例の四ツ木橋までいつてるんです。大分ノビちやひましたよ。
G この事件で捜査本部が都民に協力を求めたら、あの野郎、面白くねえ、と思つた奴を投書して来てるらしいな。
D 近頃は特捜(特別捜査班、警視庁にある)に特捜をからかふやうな投書が山積して来てますね。【以下、次回】
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