◎各新聞社記者による「帝銀毒殺事件楽屋話」
敗戦直後の一九四七年(昭和二二)一二月、文藝春秋新社から、『座談』という雑誌が創刊された。その第二巻第三号(一九四八年三月発行)に、「帝銀毒殺事件楽屋話」と題する座談会の記録が載っている。読んで、なかなか貴重な「史料」だと思ったので、本日以降、何回かに分けて、これを紹介してみたい。
座談会に出席した記者七名の名前は、以下に示すように明記されている。しかし、個々の発言については、名前ではなくA~Gのアルファベットが用いられている。このうち、発言者名が推定できるものについては、アルファベットの下に、〔 〕で、その名前を入れておいた。なお、「記者」とあるのは、雑誌『座談』の記者と思われるが、その名前は明記されていない。
帝 銀 毒 殺 事 件 楽 屋 話 各 社 第 一 線 記 者
出 席 者
時事新報 森西 芳久
毎日新聞 三谷 博
日本経済 神林 春夫
共同通信 杉山 俊次郎
読売新聞 井形 忠夫
朝日新聞 堀 長隆
東京新聞 丹野 幸作
記者 けふはお忙がしいところをありがたうございました。終戦以来、新聞紙の面白さは社会面からもり上つて来るやうに思へるんですが、今回の稀代の毒殺事件に対する記者団の活動、皆さんがぶつかつた珍しい話、さういふ裏おもての話を本筋にしてザックバランにお話していただけば、ありがたいと思ひます。どなたか、事件当初から、ひとつ‥‥。
第一報は何処から
A その前に一つの前提を言ひたいんです。といふのは、今までのいろいろなな殺人事件とか、さういふ大きな事件になると、必ず警視庁と記者とはお互に全然秘密主義で、当局は一つも発表しない、それに対して記者は善良なる感と足を使つて捜査の線に食ひついてゆく、といふ状態なんですが、今度の場合はそれが非常に激しいわけなんです。だから、各社独自の立場でやつてゐるといつてもいいと思ふんです。殊に初めは各社が思ひ通りのゆき方をしたんですが、最近は中だるみで、どこの社が動いても大したことはないだらうといふので、本部にゐても雑誌か何か読みふけつてゐますがね、あの当初は各社が非常に緊張してやつてましたよ。
C 今度の事件はとにかく毎日さんがリードしたんだから、ひとつ話してもらはう。
記者 写真なぞ華やかでしたね。
C どうして毎日さんの所へ早く入つたかといふことも。
B〔三谷〕 僕はあの日、警視庁に七時半まで残る約束になつてゐたんです。ところが、あ の事件は警視庁では全然キャッチ出来なかつた。単なる集団中毒事件として、よそのはうへ報告が入つてるんですね。これを毎日が非常に早く取つたのは、実は現場近くの一読者がいち早く社へ通報してくれたんです。その時わが社ではたまたま社会部の会がありましてね、全員が集つとつたから、それツといふので全力を集中出来た。副部長級、デスク級、の連中が陣頭に立つて、第一陣、第二陣と波状的に出たため非常に早くキャッチ出来たんです。
記者 カメラなんか、非常に早くいつたやうですね。
B ええ大勢いてたやうですね。一人や二人ぢやなかつたらしいな。僕はその時、 社にゐなかつたけど。
C それから朝日さんが、すぐに‥‥。
F〔堀〕 読売と一緒くらゐぢやないかな。
E〔井形〕 殆ど同じですね。
F 僕の所は消防の救急車から入つたらしいですね。つまり中毒事件としてね。
C 救急車といふものは警察の関係でなくて消防になつてる。交通事故があつて負傷者を収容しなければならぬといふ場合には、消防署から救急車が動くわけですね。それで消防署には救急簿といふものがある。これを新聞記者になつたばかりの一年生は必ず見させられるんですが、 そこへこの事件が入つた。それを朝日さんと読売さんが取つたといふわけですね。
F 毎日のやうに読者が通報しない限り、そんな所から取るより仕方がないんですね。
D 今度のは毎日以外はみんなその手で取つたんぢやないですか。
F 読売はどんなふうだつた?
E あれをキャッチしたのが五時十六分なんですよ。うちの白戸君といふ記者が当夜の居残りで、これがたまたま、今夜火事がないかと見にいつたところが、救急車が三台出たんですね。救急車はふつうなら一台しか出ないんです。大きな交通なら二台とか、三台とか出ますがね。だからこれはテッキリ大きな交通事故だと思つて救急簿を見ると椎名町の帝銀で中毒患者が発生したと書いてある。遅い新年宴会をやつてメチールか何かでやられたんだらう、と思うつたんです。要するに大した事件ぢやないと思つて彼は一人でゆかうとしたんです。ところが僕は事件といふものが非常に好きなので、その話を聴いて、ぢや、一緒にゆかうといつて、二人でいつたんです。それで目白の警察へ寄つたのが五時四十五分。ちやうどその時に鑑識課へ電話してるんです。さあ大変と思つたけれども、締切時間が今は七時なんです。一時間とちよつとしかない。急いで現場へいつてみると、非常線を張つちやつて、全然中へ入れてくれないんです。この時が六時でした。あの時は帝銀と聖母病院の両方へゆかないと取材出来ないんです。それで二タ手に分れて、やつと第一報を手に入れたんですが、それが六時半。締切までに三十分しかないんです。それから社まで運んだんですが、これが記録ださうですよ。七分間ださうです。目白から読売の本社まで七分間。うちでも一番の名手といふオートバイ乗りが、信号なんか無視して走つたんですがね、とにかく七分間でいつたさうです。
C 目白署の捜査主任の大西といふ警部補から聴いてみると、四時ちよつと前に、何か中毒があつたといふ報告があつていつてみたところが、あの騒ぎでね、すぐ本庁に電話したといつてるから、警視庁に入つたのは五時十分くらゐぢやないかな。
D 救急車に入つたのは早かつたけど、事件ものとして入つたのは遅かつたんだ。
E 僕が目白署へ着いた時に、ちやうど電話してましたよ。
C 初めは警察も中毒事件としてゐたな。
B しかし捜査一課ぢや、さすがに事件が大きいと見たらしい。【以下、次回】
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