礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

家永三郎博士の期待から瀬木比呂志教授の絶望まで

2015-07-22 07:37:23 | コラムと名言

◎家永三郎博士の期待から瀬木比呂志教授の絶望まで

 昨日の続きである。家永三郎の名著『司法権独立の歴史的考察』(日本評論社、一九六二初版)の中から、裁判所をめぐる「危機的状況」を告発している部分を紹介している。本日は、その二回目(最後)。昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く(一四六~一四八ページ)。
 
 (二)既成事実に対する屈伏ないし迎合 裁判官が捜査・検察官の調書に絶大な信頼をかけるのは、前記のような行政官憲との一体感にもよるが、同時に行政官憲のつくり出した既成事実――たといそれが拷問等の違法行為を含むとしても――に弱いためでもある。裁判所が法令の違憲審査に怯惰〈キョウダ〉の傾向をもつことは、違憲立法であるとの判決の確定した〔最高裁1953・7・22〕のが政令三二五号以外まだ一つもないという事実からも察せられるが、その原因もまったく同じであって、裁判官が立法・行政府と一体感をもつとともに、立法・行政府のつくり出した既成事実を厳格に批判する勇気に欠けているためと考えるほかない。砂川事件上告審判決〔最高裁1959・12・16〕田中耕太郎裁判官の補足意見に、「かりに(米軍)駐留が違憲であったに」ても、刑事特別法二条自体がそれにかかわりなく存在の意義を有し、有効であると考える。つまり駐留が合憲か違憲かについて争いがあるにしても、そしてかりにそれが違憲であるとしても、とにかく駐留という事実が現に存在する以上は、その事実を尊重し、これに対し適当な保護の途を講ずることは、立法政策上十分是認できるところである。(中略)既定事実を尊重し法的安定性を保つのが法の建前である」とあるのは、そうした裁判官の傾向を憚る〈ハバカル〉ことなく公言したものとして、注目に値しよう。
 (三)人権擁護の熱意の欠乏 上記のような、行政・立法権力に傾斜する裁判官の精神的姿勢は、裏からいえば、国家権力による侵害に対し国民の権利を擁護する裁判官の重大な使命――それこそ新憲法下の裁判官の最大の責務であるはずだが――をまったく自覚していないことを意味するものにほかならない。松川上告審判決〔最高裁1959・8・10〕中の「事件発生以来十年を経過しようとしている(中略)。差戻〈サシモドシ〉の結果は、審理のためさらに第二審第三審数年という年月を要することになりそうである。これでは裁判の威信は地を払ってしまう」という田中裁判官の少数意見や、「指折り数えてみると、本件は、当審に繋属して以来五年余を経過し、事件当初からは、すでに一〇年の歳月が流れている。一切の事情を考慮しても、破棄差戻の判決をなすべき案件ではない。自分は、この際、本件に終止符を打つことが、当審としてなすべき適正な裁断であることを疑わない――という池田克裁判官の少数意見などは、これらの裁判官が人権の尊貴をいかに軽ぐ考えているかの端的な証拠であろう。そこでは、人権の保障が目的であって、国家機関はすべてこの目的を実現する手段としての組織にすぎない、という憲法の基本的構造は完全にネグレクトされているのであった。
 以上は、「巨大な山脈の雲表〈ウンピョウ〉に現れた嶺にすぎない」(松川上告審田中少数意見のことば)けれど、最高裁・下級審を通じ、新憲法下の裁判所の内部を支配する憲法感覚がどんなものであるかを「推認する」ことは、決して困難ではあるまい。戦後の裁判官の思想的情況を規定する基本的条件がここにあることを、まず銘記しておく必要がある。

 家永三郎は、「裁判官の思想的情況」を批判しているが、それに絶望しているわけではない。「新憲法下の裁判所の内部を支配する憲法感覚」という言い方でもわかるように、家永は、裁判所の内部に、旧憲法的な憲法感覚が残存していることを問題にしているのである。したがって彼は、これから先、「裁判官の思想的情況」が好転してゆくことを期待していたし、その可能性は十分にあると見ていたと思う。
 事実、『司法権独立の歴史的考察』の増補版(一九六七)の刊行から六年たった一九七三年(昭和四八)四月四日には、尊属殺人に対する重罰規定は、憲法の定める「法の下の平等」に反し、「違憲」であるとする最高裁判決が出ている。
 その一方で、私たちは、『絶望の裁判所』(講談社現代新書、二〇一四)の著者・瀬木比呂志さんから、今日の裁判所をめぐる状況が、「絶望的」であると聞かされている。おそらく瀬木さんの言われていることは、本当だと思う。
 では、こうした絶望的状況は、いつごろから、どのようにして定着してしまったのだろうか。少なくとも、一九七三年四月四日の時点においては、そうした絶望的状況は存在しなかった。その後、なぜ、今日のような絶望的状況にまで到ったのか。是非とも、その経緯が知りたい。その経緯を、わかりやすく解説した本を読みたいと思う。

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