礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

今の場合、出頭拒否はできますまい(伊藤述史)

2024-08-25 00:44:40 | コラムと名言
◎今の場合、出頭拒否はできますまい(伊藤述史)

 富田健治『敗戦日本の内側――近衛公の思い出』(古今書院、一九六二)から、第四九号〝近衛公自決の真相「その一」〟を紹介している。本日は、その二回目。

 然も近衛公は、いつもと異って私に向い、厳然、伊藤〔述史〕氏と至急このことについて連絡をとって欲しいと言うのである。ところがこの伊藤氏は戦時中、那須の山奥に疎開してしまったので、仲々連絡がつかない、やっとの思いで伊藤氏に至急上京方の連絡がついた。そして十三日私は、伊藤氏を上野駅に迎えたことである。さてその時の伊藤氏の姿は、今でも記憶に残る異様そのものであった。頭に戦闘帽、づだ袋を肩にかけ、洋服は外国仕立てのものだが、勿論非常にくたびれている。茶褐色の巻ゲートル、そして足袋、はきものは草履〈ゾウリ〉で、これを子供のして貰うように、足のずれないように、紐でくくりつけてある。和洋折衷、古今東西混合型の身仕度であった。上野駅はゴッタ返すような人間の渦である。私はその一隅に伊藤氏を連れて行って、実はと言うことで近衛公の『出頭命令拒否意見』に対する伊藤氏の所見を求めると共に、その研究をお願いしたいのだと話した。
 ところが、国際法専門の法学博士であり、多年外交官として幾多の経験と学問的研究をしていた伊藤氏ではあったが、いとも簡単に答えた。
 『そりゃ問題になりませんよ。敗けた日本ですよ。理屈ではそんなことが言われるかも知れないけれど今の場合、出頭拒否はできますまい。併し摂政関白の誇りを持つ近衛公らしい考えですね。私も一つ研究はしてみましょう。又外務省の者にも逢って、現実に近衛に対する出頭命令の情報を集めて見ましょう』。
 その後伊藤氏は別途研究の上、近衛公にその結論の報告に行ったのである。勿論、近衛公の意見にも一理はあるが、仮令〈タトイ〉それを主張して見ても現状では実際問題としてなんとも救済のしようがないということであった。併し私はその後近衛公の自決が、色々の理由に基づくとしても、その重要な原因の一つは、近衛公の『国際法上権限のない逮捕、出頭命令はこれは拒否するのが当然である。併し今の自分にはこれを拒否し徹す実力がない。これを訴える国際機関もない。然もこの不合理なことに屈することは自分には、どうしても、できない。とすればこれを拒否する唯一の道は自決ということである』との出頭拒否に対する信念であったかと思う。〈282~283ページ〉【以下、次回】

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