礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

近衛公は、はやまったことをされた(吉田茂)

2024-08-27 00:55:44 | コラムと名言
◎近衛公は、はやまったことをされた(吉田茂)

 富田健治『敗戦日本の内側――近衛公の思い出』(古今書院、一九六二)から、第四九号〝近衛公自決の真相「その一」〟を紹介している。本日は、その四回目(最後)。

 そこで私は卒直に中村〔豊一〕公使の言った詳細を報告した。更に私は『特に近衛公に対しては多分に政治的意味のある出頭命令だといっている様子だし、この際これ以上延期の運動がましいことをやると却って色々世論の誤解を招く虞れもあるから、この延期交渉は、近衛公の発意として近親者に、これ以上やらぬように申渡して頂きたいと思う』と言った。近衛公は黙って肯いた。併しその時、思いなしか、一抹の淋しそうな近衛公の表情だったことを、未だに私はふと思い出す。あんな風な悄然たる近衛公を私は公との永いおつき合いにおいて、只の一度も見ることがなかった。
 併しこの中村公使の返事は公爵自決後十六日午後吉田茂氏(当時外務大臣)が弔問に来ての話と大変な、喰い違いがある。
 吉田氏は『自分は近衛公は入院されると思っていた。勿論それは総司令部も許す筈である。二三日前にマッカーサーに逢ったときに、近衛公に対しては、ハウス・アレスト(自宅監禁)と言っていたし、当然出頭は入院によって延期され得ると思っていた。そこで自分さえ、近衛公に逢っていたならこんなことにはならなかったのに、実に残念至極なことであった』と言い、翌昭和二十一年一月の近衛追悼祭の席上でも吉田氏は公然とこの言葉を繰り返されたのである。又私は吉田氏には、その後十数年の間、度々お目にかゝっているが、談偶々近衛公自決のことに及ぶと、必ずや『近衛公は死なれなくともよかったのだ。はやまったことをされた。マッカーサーも出頭延期は諒承していたのだ。それを中村公使が、間違った処置をしたのである。自分はこのことだけでも中村公使を職務上許せないと思っていたのだ』と度々言われるのを聞いている。吉田氏のことである。その言に偽りはあるまい。併し前述した通り、中村氏は『公に対する出頭命令は政治的なものだから、総司令部はその延期は承認しそうにない。健康のことを持ち出してもあちらの医者が来て連れて行くにきまっている。そういうことになっては、近衛公にとつても好ましくないことだと思う』と言い、また当時アメリカ側に付いての消息通の間にも、概ね中村公使と同じ見解の者が多かったように思う。
 只私として残念に思うことは、当時あれ位親しかった、許し合っていた近衛公と吉田さんとの仲である。両人直接でも又私が使いに行ってもよかった。吉田氏に直接、総司令部との折衝を頼めばよかった。それだのに、近衛公も亦私も、吉田外務大臣は恐らく人一倍、蔭に於て近衛公のために動いてもらっているだろう、外務大臣という地位に於て日夜心労している吉田さんである。その人を更に苦しめるようなことは言い出したくない。こんな気持ちで、吉田氏には何も交渉しなかったのである。若し吉田氏によってマッカーサー元帥の承認の下に、近衛公が出頭延期を許されていたなら、恐らく近衛公も自決は絶対にしなかったことであろう。とすれば、歴史は変っていた。そして近衛公の存在する今日の日本の政界を想像することも亦愉快なことではないであろうか。

 これを読んで、いろいろ考えさせられた。吉田茂の言う通りだったとすれば、たしかに近衛は「はやまったことをされた」のである。自決の原因については、中村豊一公使の情況判断を挙げることもできるし、その情況判断を、そのまま近衛に伝えた富田健治の対応を挙げることもできる。
 富田は、中村公使の情況判断を受けて、近衛に、「この延期交渉は、近衛公の発意として近親者に、これ以上やらぬように申渡して頂きたいと思う」と進言した。富田自身は、あまり意識していないようだが、この進言は、近衛に対して、みずから退路を絶つよう強く促したものである。中村公使の情況判断を伝えたという性格のものではない。近衛の自決という問題については、富田の「責任」も少なくなかったと思う。
 しかし、「責任」ということを考えるならば、最も「責任」が大きかったのは、近衛文麿自身であろう。巣鴨への出頭の回避ないし延期を本当に望んでいたのであれば、富田を使って情報を集めるなどといった姑息なことはせず、みずから吉田茂外相を訪ねるなどして、出頭を回避ないし延期を働きかけるべきだったのである。そういうことをしなかったところに、(できなかったところに)、彼のプライドの高さ、意志の弱さがあったと考えている。
 明日は、話題を変える。

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