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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

千葉徳爾と流血の民俗学

2016-03-16 05:38:49 | コラムと名言

◎千葉徳爾と流血の民俗学

 一昨日、鵜崎巨石さんのブログで、千葉徳爾著『日本人はなぜ切腹するのか』(東京堂出版、一九九四)の書評に接した。大変ゆきとどいた書評で、泉下の千葉徳爾先生も、お喜びのことであろう。
 この本は、刊行当時、購入して読んだことがあり、現に、書棚のどこかにあるかと思うが、すぐには探し出せなかった。
 その時の記憶だから、あまりアテにならないが、基本的にこれは、講談社現代新書『切腹の話』(一九七二)の復刊・改題であろう、という印象を受けた。ただし、一か所、重要な違いに気づいた。それは、『切腹の話』の末尾では、「三島由紀夫の切腹」に触れていたにもかかわらず、『日本人はなぜ切腹するのか』のほうでは、その部分がカットされていたことである。この記述をめぐって、何か不都合なことでも生じたのだろうか。
 千葉徳爾という「歴史民俗学」者は、私にとって偉大な先達であり、これまで、いろいろな場所で、いろいろなことを書かせていただいてきた。
 手抜きで申し訳ないが、本日は、以下、過去の文章を引用させていただく。『犯罪と猟奇の民俗学』(批評社、二〇〇三)の解題として書いた「柳田國男と流血の民俗学」という文章の最後の節である。
    *    *    *
◎千葉徳爾と流血の民俗学
 中山太郎は、師〔柳田國男〕が関心を示さなかった〈性〉の問題にも進んで言及したユニークな民俗学者であったが、その人柄・研究姿勢は概して堅実であり、あえて〈猟奇〉を好むタイプの研究者ではなかった。しかし、柳田の弟子の中には、同じく堅実な人柄・研究姿勢で知られながら、柳田以上に〈猟奇〉を好んだタイプの民俗学者もいた。それは、師の狩猟研究を引き継いだ千葉徳爾である。
 私は、千葉がきわめて多方面にわたって優れた研究を蓄積したことは、十分承知しているが、それでもなお、千葉の民俗学の本質は〈猟奇〉にあると捉えたい。
 千葉が一九七二年に出した『切腹の話』を買い求め、その「はじめに」を読んだ時の衝撃を、私は今でも思い出すことができる。そこには、次のようにあった。
《本書は、著者の狩猟伝承研究の途上にあって関心をひいた、切腹という日本人に顕著な行動についての考察であり、いわばその副産物ともいえる。/もともと、野獣を追い求めてこれを狩り殺す快味が、酒に酔い女色に溺れる楽しみに勝るとも劣らぬ魅力をそなえていたことは、体験した者ならば誰でもうなずくところである。以前、秋田県の菊地慶治翁から承わったところによると、このあたりのマタギたちは、春の訪れを軒端の雪が融ける雫の音にききとりながら、国境の山々の岩壁の姿、谷川の流れの地名を呼びあげて、あのクラにはそろそろ熊が出て来るべなと思うと、心がゾクゾクとうずき出して、矢も楯もたまらず狩に出てゆきたい気持に駆られるという。私にはそれほどの執心もないけれども、それでも若いころモンゴル草原の一角で、軍用トラックの上から猿や狐などを追いつつ小銃で射った、あの息づまるような壮快さは一生忘れることはあるまい。》
 特に、最後の部分に驚いた。みずから「殺生の壮快さ」を語るインテリに、それまで出会って来なかったからかもしれない。
 もちろん、中味も凄かった。次のような話が次から次と出てくるのである。
「……Aさんは自分の好みで白絹の腰巻、あとの二人はメリヤスのズロースをはき、シャツなしの裸の上に上衣を着て、上衣をぬげばすぐ腹を切れるようにしました。(中略)〔ママ〕Aさんは毛布を敷いて上に坐り、東へ向いて合掌し上衣をぬいで脇へたたみ、『先へ失礼します。私十文字に切りますから、お願いしますといってから介錯してください』というと、二、三寸刃を出した短刀を構え、眼をとじ低くエイッと声をかけグサッと突立てると、ウウームとうめき声を立てて臍下の少し右まで引廻しました。暗さのため血のとぶところはわかりませんでしたが、傷口がバックリ黒く見えて血がどす黒くあふれるのがわかりました。前かがみになって大きく肩で息をしながら、刀をみぞおちにプスッと突入れましたが、アーッと悲鳴をあげて身体をねじって苦しみ、引下げることができないのでやっと刀を抜くと放り出すように前に置き、バタッと手をつくと『お、お、お願い』とあえぎあえぎいうので、Bさんが走りよって抱きかかえるようにしながら胸をプスリと刺しました。Aさんは手足をふるわせ十五分はどピクビクと動いていましたが、そのうち全く息が絶えました」
 このようにやたらに「流血」シーンの多い本であるが、切腹の研究書としてもちろん第一級であり、切腹を通して見たユニークな日本人論でもある。
 千葉の本をもう一つだけ紹介しておこう。『たたかいの原像』(一九九一)である。ここで千葉は、戦争というものの原型を「狩猟」に見出している。これまた「流血」シーンが多いが、まず類書がない非常に有益な本である(すでに紙数が尽きたので、内容の紹介は割愛する)。
 思うに千葉徳爾は、師・柳田の資質のうち、最もプリミティブなものを受け継いでいる。もし柳田が初期における〈猟奇の民俗学〉を放棄していなかったとしたら、その研究の方向は、千葉と同じようなものになったのではないかと思うが、どうだろうか

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