礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日華停戦協定に基き日本軍は逐次撤兵

2016-03-17 05:40:56 | コラムと名言

◎日華停戦協定に基き日本軍は逐次撤兵

 この間、中村正吾の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)。中村は当時、緒方竹虎国務相(情報局総裁兼任)の秘書官。本日は、同年三月一七日から二〇日までの日誌を紹介する(一八〇~一八四ページ)。

 三月十七日
 繆斌によつて語られた戦局の動向は他面では、重慶が当面する戦局の重圧感を示してゐるものと思へる。それを判断すると次のやうなものではなからうか。
【一行アキ】
 一、まづ重慶〔国民党〕政権と延安〔共産党〕政権との対立の問題がある。重慶政権の民主々義的改組といふことがこの半年米国およびソ連で喧しく〈ヤカマシク〉論議されてゐる。米国およびソ連の輿論は、国民党の一党独裁を烈しく批判してゐる。この事実は取りも直さず蒋介石主席が今日なほ、共産党との全面的合作を未だ決意してゐない証拠である。
 一、然し、戦争の進展如何ではかかる重慶政権と延安政権との勢力の均衡が破れるかも知れない。その最大のモメントは若し、米軍の大陸上陸作戦が不可避となり、大陸が日米両軍の戦場となる如き時にある。想定される二つの場合、仮りに(イ)米軍が中支那に上陸する場合、日本軍の徹底的な反撃に伴ふ激戦で、上海はじめ支那の中支の中枢部が焦土化する可能性がある。(ロ)米軍が共産軍との連絡をねらひ、例へば北支に上陸する場合、それは米国の、ひいてはソ連の共産軍援助を公然化せしめることになり、その結果、重慶政権の勢力は必然的に低下する懸念がある。従つて蒋介石主席はその何れ〈イズレ〉をも採らない。要するに米軍の支那大陸作戦を起す如き事態を回避したいのであらう。
 一、蒋介石主席のこれまでの政策から見る時、中国共産党に対する政策は少くも非妥協的、むしろ高圧的であつた。国共合作をやれば今日では少くも重慶政権の以て立つ基礎が弱化する。それ故、その対共政策を根本的に変更することなく(且、国共問題に第三国が介入することなくそれが中国の純然たる内政問題に止まる以上、武力解決の自信を有しつつ)年来の宿願たるいはゆる中国の自主独立を達成せんとしてゐるのであらう。
 一、そこで、この目的達成のため、戦局の欠定的展開を前にして蒋介石主席としては、(イ)共産軍の勢力増大を阻止し、(ロ)国土の荒廃を救助するため何らかの手をうたねばならなくなる。日本が大陸に大兵を擁し、日本が自滅的徹底抗戦をする時、米軍の大陸上陸作戦の危機が生じ、それだけ中国の混乱を惹起〈ジャッキ〉する事態が予想される。これを出来る限り、今日、防止したいのであらう。
 一、斯くて、蒋介石主席は欧亜両戦局の一大転換期に際し、右の如き点を勘考して、大陸における日本軍との停戦を先決要件として、これに真剣な考慮を払つてゐるものであらう。
【一行アキ】
 繆斌は、蒋介石の意見と称して、
 一、日本は何よりもまづ南京政権の解消によつて日本の誠意を示すべきである。
 一、然る後、日華停戦協定を締結する。それに基き日本軍は逐次撤兵する。
 一、日本軍の撤兵後は、米軍の上陸を許さない。
 と述べたがこれは意味深長である。南京政府の即時解消、それによつて始めて、日華の話合ひが出来ると主張するのは、重慶がこれまでも一貫して探りつづけた態度で事新しいことでもない。ただし今度の繆斌の場合、それにつづき日華停戦協定締結の意ありと、重慶から指示されてゐるとなすことが、最も具体性を持つ点である。
 これまでの行きがかりもあり、複雑を極める中国問題である。これを一挙に解決することは中々困難である。けれども、愚図々々しては、戦局の速度の方が早い。問題解決の機会は、繆斌が良かれ悪しかれ、これが最後になるかも知れない。その意味では、日本は踏み切り〔ふんぎり〕が必要である。 繆斌問題を切り離して考へても、日本本土決戦に備へて大陸における厖大な軍隊を例とかしなければならない事態である。南京政府また有名無実の存在となつてゐる。繆斌の上京は、単にそれらの問題を日本が再検討する契機となることだけでも、意味を持つ。

 三月十八日
 夜、小磯総理は緒方国務相ととに、繆斌と会談した。
 繆斌はこの会談の後、失望の色を漂はせた。彼は総理大臣は日本では、何らの決定権を持つてゐないとの印象を得た。
【一行アキ】.
 夜半すぎ、名古屋が痛爆された。昨暁の神戸空襲にひきつづく大都市空襲である。神戸の中心地帯の被害は甚大。名古屋の繁華街も壊滅の模様である。

 三月十九日
 緒方国務相、柴山〔兼四郎〕陸軍次官、繆斌は、夜二時間半にわたつて協議した。.

  三月二十日

 小磯総理は、繆斌の件を明日の最高戦争指導会議に提出する決意を固めた。

 

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