◎ニューデリー放送、17日の神戸空襲を伝える
本日、三月一八日は、七十一年前、名古屋空襲があった日である。また、昨日、三月一七日は、同じく七十一年前に、神戸空襲があった日である。昨日の当ブログで紹介した中村正吾の日誌も、「三月十八日」の項で、両市への空襲に触れていた。「夜半すぎ、名古屋が痛爆された。昨暁の神戸空襲にひきつづく大都市空襲である。神戸の中心地帯の被害は甚大」。
さて、本日は、黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)という本を紹介したい。この本は、一か月ほど前、神田神保町の古書展で買い求めたものだが、読んでみて、きわめて史料性が高い本であることに気づいた。
著者の黒木雄司氏(本名・黒木勇治)は、戦争末期の一九四五年(昭和二〇)三月一七日、第五航空情報連隊情報室(広東)に配属された。当時の階級は伍長である。ここでの黒木伍長の任務は、世界中の放送を聞いて情報を集めることであった。著者は本書で、そうした放送の内容を、日を追いながら詳しく紹介している。
本日は、その「三月十八日」の項を紹介してみたい。この日、黒木伍長は、初めて「勤務」につくことになったが、最初に聞いたのは、三月一七日の神戸空襲を伝える「ニューディリー放送」であったという。
三月十八日 (日) 晴
「黒木少尉殿、起床の時間であります」と、当番兵が起こしに来た。
「俺は少尉ではない」といったら、びっくりした顔をした。なんと洗面器に水が一杯入れてあり、自分が顔を洗うと、さっと手拭を出してくれる。当番兵の丁寧さにはおそれいった。どうも将校と思っているようだ。【中略】
午前七時の起床、つづいて朝食も終えたので、まだ七時二十分くらいだった。勤務交替は午前八時といわれていたが、安東兵長の徹夜勤務もあり、早くてもよいと思って情報室に入っていった。安東兵長も朝食をちょうど終わったところだった。【中略】
時間の来るのを待たず申し送りをしてもらった、まず電話交換器の説明から聞く。この電話交換器は外線五十回線に接続しており、本体は日本の沖電気の製品である。
外線からかかって来るとベルがなり、レシーバーには先方の話が聞こえ、切り替えによっては部屋中に流れるようになっている。こちらのマイクで話せぱ通話ができる。隊長〔芦田大尉〕や上山〈カミヤマ〉少尉のいるときは当然、切り替えてみんな同時に聞けるように配慮する。また厠【かわや】に許可を得て行くときも、かならず切り替えておくようにする。【中略】
説明を聞いていると、あらためて自分の職務の大切さがわかる。
午前八時、芦田大尉が入室された。自分は起立して礼をした。隊長は、「交換台勤務者は立ち上がる必要はない。ここが戦場だ」と笑いながら、横後ろの応接の小机の横を回って隊長の椅子に座られた。裸電球が各机ごとに天井から吊り下げられ、百ワットの電球で照明は申し分ない。照明とは別に人の座る真上に天井から扇風機が着いているので、風も申し分なく十分である。
安東兵長からは、同じことを何度も何度も繰り返し説明を受けたのでよくわかった。安東兵長は昨夜徹夜したにかかわらず、かなりの時間いてもらった。
午前九時、突如、ニューディリー放送が情報室入口の上のスピーカーから放送を開始した。
――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によれば、昨三月十七日早朝、米軍B29三百十機は神戸市を空襲し、焼夷弾の投下を行ないました。繰り返し申し上げます。信ずべき情報によれば、昨三月十七日早朝、米軍B29三百十機は神戸市を空襲し、焼夷弾の投下を行ないました――
神戸のどこへ落としたのだろう。須磨から鷹取、長田〈ナガタ〉、兵庫、和田岬、元町、三宮〈サンノミヤ〉、灘、東灘、六甲道〈ロッコウミチ〉と町並みがつぎつぎと浮かんでくる。早朝とは何時ごろだろうか。五時、六時ごろか、否、それよりも早い二時、三時ごろだろうか。神戸は鉄筋の建物はあちこちにあるが、ほとんどは木造の建家〈タテヤ〉だ。焼夷弾ばかり三百機以上のB29がつぎつぎと落としたのなら、火の海になっているだろう。入営直前まで神戸にいただけに、それにだれはどこにと思うと、たまらなくなる。
昭和十八年の六月まで祖母と二人で六甲道に居を構えていたが、六月にお婆さんが病気になったので、広島の叔母の家に預けたのは正解だった。
この情報にボンヤリしていたのか、安東兵長が、「この敵側放送も放送局名、放送時間、放送内容をこう書くんですよ」と、見本を書いて説明してくれた。
昨年(十九年)一月、神戸駅頭で三菱重工の造船効程課〔ママ〕の水上課長以下課員全員と高等技術員教習所の同級生の残り全員が、万歳、万歳と自分を送ってくれたが、その自分が最初の情報に、神戸の大空襲を聞くとは何という皮肉なめぐり合わせだろう。【中略】
安東兵長から先ほど敵側放送の情報の書き方を教わった通り清書し、隊長に提出する。
午前十時過ぎ、隊長に許可を得て厠に行く。厠は壕の外、内務班の建家の下手にあって、丸太四本に外側から筵【むしろ】が四枚かけてあるだけで、どこからでも入れる。穴だけが深く掘ってある。板が二枚渡してあり、大急ぎで用をすます。この厠行きだげが唯一の外の空気に接する時間である。昼食は午前十一時五十分ごろ、当番兵が電話交換器の机のところまで持って来てくれた。【中略】
今日は日曜日というのか、敵機の情報は南支ではどこからも流れて来ない。聞き逃さないために耳にレシーバーをかけているが流れず、静かなものだ。
午後六時五十分、夕食を当番が持って来てくれたので食事をしていたら、午後七時、NHKのニュースが流れて来た。
――本日午前九時よりの臨時閣議におきまして、決戦教育措置要綱が決定致しました。すなわち本年三月一杯をもって、国民学校初等科を除く全学校は授業を終わり、四月一日より向こう一年間、授業を停止することに決定しました――
自分は唖然とした。国民学校以外は授業もできないのか。国内のことが、今までそんなに深刻だとは知らなかった。隊長に、ここで知り得た知識を他に洩らしてはならぬといわれたことが本当によくわかった。
午後八時、安東兵長が上番〈ジョウバン〉して来たが、今度は自分が一時間残り、気のつくことを教えてもらうこととした。その一時間がたったちょうど午後九時、またニューディリー放送がはじまった。
――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべきところの情報によりますと、硫黄島攻略の米軍の発表では、昨十七日をもって日本軍の組織的抵抗は終了したと発表致しました。繰り返し放送します。…………。――
自分の情報室勤務第一日は、朝のニューディリー放送、夕方のNHK放送、そして夜のニューディリー放送とあまりにも今まで情報とまったく離れた世界であったとはいえ、緊急事態の極に飛び込んで来たようで、胸の鼓動の躍るのが自分自身わかるようだった。いずれにしても、情報室第一日目は情報というパンチを左の頬に、そして右の頬に、そして左にと三発くらわされたようだ。
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