◎覚醒剤のせいか全く眠くならない(黒木伍長)
この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
本日は、『原爆投下は予告されていた』から、三月二六日の日誌を紹介する(五五~五六ページ)。
三月二十六日 (月) 晴
覚醒剤のせいか、まったく眠くならない。隣りの部屋に数名詰めていた者も、午前一時ごろからか、全員引きあげたようだ。物音一つしない。壕の中はただ一人である。午前一時、二時、三時と時計の針は進む。どこからも電話もなければベルもない。軍隊ではすべ
て日本内地の時間と同じ時間を使っているので、草木も眠る丑三つ時とは、午前四時ごろにあてはまるのだろうか。静寂そのものである。
午前六時ごろ、厠に急いで行って帰る。まだ外も夜の帳【とばり】のままだ。【中略】
午前九時、安東兵長が隊長に挨拶に来た。その後、「班長殿、お世話になりました」という。お世話になったのはこっちの方だ。「お互いに元気で頑張ろう」といって別れた。【中略】
午前十時ごろ、二名の少年兵が入って来た。振り返って見て驚いた。子供ではないか。襟には座金〈ザガネ〉をつけて一ツ星、すなわち二等兵階級の幹部候補生だ。聞いてみると、中学二年生という。一人は静岡中学、一人は静岡商業、昨年中学、商業にそれぞれ入ってすぐ志願し、乙種幹部候補生となった。生徒のほとんどが志願したそうだ。静岡に第一航空情報連隊があってそこに入隊し、すぐ第五航空情報連隊配員と決まり、船の便で台湾を経由してやっとこちらに来たという。
隊長は、貴様の思う通りやれといったが、話の最中に一人は不動の姿勢も取れず、足を休めの形にしてぶらぶら動かしている。軍人精神からたたき込んでやらなければなるまい。それにしても子供だ。年齢を聞くと十五歳というが、満年齢でいうと十三歳だ。いずれにしろ軍人は人殺しをやる。場合によっては殺される。断わろうかと思ったが、情報伝達という情報室の職務を考えれぼ、断わるわけにもゆくまい。【中略】
静岡中学の子は田中といって、丸顔でやや色白、身長一メートル五十五、静岡商業の子は田原といって、やや面長な顔で、顔色はよく焼けて黒く、身長一メートル五十くらいだ。【以下略】