ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

娘よ(11)

2013-08-24 11:11:26 | 生き方
D剤が2.0になり、ずいぶん少なくなった水曜日のことだった。
夕食の付き添いに行ったら、娘は、突然私に聞いた。
「父、髪切った?」
こんなことを聞くのは、注意力のあった娘の発病前の言葉である。
髪の少ない私が床屋に行っても、家族は気付かないことが多い。
だが、娘だけはいつも、一発で気付くのだ。そして、「髪切った?」と聞いてくる。それが、正常な頃の娘だった。
「そうだよ。実は、先週床屋に行っていたんだ。気付いてほしかったけどね。」
と答えながら、娘の言葉に、ここしばらくない感覚を覚えた。
そこで、改めて尋ねてみた。
「ここは、どこだと思う?」
すると、その問いに、正確に答えた。
「病院。○○病院。」
すごい!
何がすごいって、この2か月余り、娘が今を正常に認識したことだ。
「ここは、どこ?」の問いに対して、毎回、ホームセンターや商店、食いもの屋などの名前が出てきたりしていたのだった。
現在の居場所を病院と認め、しかも正確に病院名が出てきたのだ。その後も、2度聞いたがいずれも正しく応答した。

そのうえ、「頭がぐちゃぐちゃする。」と言った。
頭がぐちゃぐちゃする、ということは、自分の体のことを正しく認識している言葉だと思った。
「今は、脳の病気で入院しているのだから、仕方ないんだよ。」と答えながら、昨日までの娘との会話と違うものを感じていた。
「今日は、何日?」と聞くと、(デジタル置時計を見ずに)「8月21日。」と答えた。
「今は、8月。ずうっと入院していたんだよ。」と言うと、
「いつから?」と聞いてきた。
「5月29日から。ほら、カレンダーに印がついて救急車と書いてあるでしょ。」
「そんなにたっているんだ…。職場で倒れたって、私どこで仕事をしていたの?」
「順番に思い出してみよう。学校はどこだっけ?」
「K…(高校)。」
「そうだね。じゃ、そのあとは?」
「H…(専門学校)。」
「そうそう。その後、最初どこに勤めたんだったっけ?」
「………。」
思い出せずに、娘は無言で涙をこぼした。
「いいんだ。少しずつ思い出せば。じゃ、教えるよ。…。」
…こんなふうに、まともな会話ができるのは、2か月ぶりだった。
あのひどいけいれんを目撃して、帰りにホタルを目撃した6月20日以来のことだった。
本当に久しぶりだった。

娘は、この日、何度も泣いた。
でも、涙の質が違っていた。
前の涙は、つらいことや家族と会えたうれしさがあったことからだった。
この日の涙は、「自分が悔しい」ことでこぼれていた。それだけ長く入院していたのに、何も覚えていないこと、大事なことが思い出せないことが悔しいのだと言う。

私の帰りがけに、娘は、急に「ねーかあさんとKちゃん」と、声を出した。「ねーかあさん」というのは、親しい親類に対する彼女独特の呼び名である。Kちゃんはその娘だ。
「えっ!?」
「…なんでもない。妄想しようとしていた。」と、彼女は言った。
この時、真の復活だと思えた。
妄想や幻想を口にしていた娘が、自らそれを押しとどめようとしている場面だと見えた。

今までの治療が効いているのかもしれない。
この1週間に行った免疫グロブリンの投与療法が効果があったのだろうか。
あとは、けいれん止めの薬がなくても、けいれんが起きなくなれば、本物だ。
うれしかった。

病院から家に帰るとき、ふいに涙がこぼれた。
長い長い闘病から、やっと復活への一歩を踏み出せたのだ。
よかった。本当によかった。
そう思った途端に泣けていた。



…だが、悔しいことに、よいことは長く続かなかった。

金曜日の夕食の時間に娘を訪ねると、娘は拘束ベルトをズボンを脱ぐように器用に脱出したところだった。
そして、食事を「家に帰ってから食べよう。」と言う。
言っていること、やっていることが明らかに正常ではない。
横を見ると、またもやD剤は、4.0に引き上げられていた。
娘に、「ここは、どこ?」と聞くと、「施設」とか「○○屋(弁当屋)」と言うのだった。
3日前と同じになってしまっていた。

木曜日、けいれん止めのD剤は、1.5にまで下がっていたはずだ。
その日も日中は、しっかり会話ができていたのに…。
その夜、けいれんが起きたのだそうだ。
そして、この金曜日の午前中にも2度のけいれんが起きたのだと、看護師さんが教えてくれた。
この看護師さんは、木曜午後に車椅子で娘を連れて病院の展望室に行ってくれた方だった。
その時、娘は、展望室から臨む自分の家の方を看護師さんに教えながら、力強く、
「わたし、(退院したら)もう絶対にここには戻って来ない。」
と、言っていたのだそうだ。

むろん、娘はそのことも覚えていなかった。
長く入院していることも忘れてしまっていた。
悔しい。
また、やり直しだ。

しかし、3歩進んで2歩下がるの、下がった状態なのだと考えたい。
いや、2歩進んでいたのが、3歩下がったという表現が今の感覚に近いかもしれない。
深いため息が出る。


でも、負けない。
娘と共に、前を向く。

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2 コメント

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でも確かな前進が (赤羽根康始)
2013-08-25 01:08:59
娘さんの意識が、一時的にせよずいぶん回復したのですね。その後また心配な状況が続いているようですが・・・。
でも、一歩でも前進した事実が生まれたわけですから、そこに回復の可能性や希望を見出せると思います。ご家族の皆様の心労はいかばかりかとお察ししますが、また一歩、二歩の前進を信じていきましよう。
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励ましに感謝します (50fox)
2013-08-25 11:30:42
そうなのです。
娘の問題は、けいれん止めを高くしないとけいれんが起こること。
これさえなければ…と思うのです。
先日のことを希望に、また前を向いていきます。
ありがとうございます。
励ましに感謝します。
返信する

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