3104丁目の哀愁と感傷の記録

日々生きてます。自分なりに。感じた事を徒然に書きます。素直に。そんな人間の記録。
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ハーモニウム飼いたい

2010-12-07 20:10:00 | 
標記の通り、『タイタンの妖女』を読破した。

おそらく多くの人と同じように、俺も爆笑問題のススメの最終回での太田光のコメントを見て、感化されて読もうと思ったクチだ。
あのレビューは本当にこの本が面白い、読むべき本であると思わせてくれるな。

それから随分と時は過ぎてしまった。
けど何故か読むときは一字一句逃すまいとなめるように読んだ。

読んだ感想としては“神のような小説を読んでしまった…”

小説を読んだ者、あるいは“徹底的に無関心な神の教会”の信者なら突っ込みたくなる表現かもしれないが、あいにく俺は無宗教なものでね。

人間が、宇宙がここまで発展してきた究極の目的の残念なものっぷりがとても衝撃的。加えて同じくらいサロが気の遠くなるほどの時間を待ち続け、守り続けたメッセージのくだらなさも同じくらい衝撃的だった。

太田光はこの小説を読んで号泣したと言っていた。
俺は泣かなかった。しかし、この小説はもっともっと多感な時期に読んでおくべきだったのかもしれない。

ただ、間に合ってよかった。
この小説を読めてよかった。
大げさな言い方になるがこの小説に出会えてよかった。

一生をかけて読むことができる小説の数なんてたかが知れている。
そのごく僅かな中で、読むことができてよかったと思う。
この話を知らずしてこれからすごすことにならなくてよかった。

本当に面白かった。そして考えさせられた。それはとても抽象的で、大きく漠然としていることことだけれども

面白かったという表現が必ずしも適切なものだとは思わないが、とりあえず探して書くのがめんどくさいのでこのままにしておく。

ヴォネガットは間違いなく天才だと思う。
小説を書きたいなんてことを思っていた時期があったが、この作品を読んでからそんなことを考えるべきだったと感じた。

歴史にのこる本当の名作を読むことができてよかった。
偶然にもこの作品を知ることができてよかった。

この作品を体験することなく一生を終える人もたくさんいるんだから。


いや、俺がこの本に出会うことができたのはどこかにいる誰かの思し召しで、
この本のことを偶然のように知り、出会うことができたことは必然だったのかもしれない。


もしかしたら、俺は天にいる誰かさんに気に入られているのかもしれない。




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