不良おやじの小言

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お金と人間関係

2009年03月15日 | 金融の経済問題
お金と人間関係

私は小さい頃よく振り上げた拳が降ろせない子供だと言われました、
簡単に言うと普段はおとなしい(自分でそう思っています)が、理屈っぽく反抗的で、
正しいと思うと引き下がらない、扱いにくい人間ということでしょうか?

企業に入ってからも中堅位になると」、おまえは演技ができない」とか「もっと先輩らしくしろ」とか、
また管理職になると「社員にイスの後ろを歩かせるな」とか「部下になめられてはいけない」とか、
色々有難い忠告?を、いっぱい頂きました。
そして名ばかり管理職で夜遅くまで働きました。大企業も経験しましたが労働組合は一度も経験していません。
一度くらい経験したかったのですが。

しかし、仕事がそれどころではない日々で、そんな事にはお構いなく仕事のうまくいく方法、
このグループは本当に全体で利益があっているのだろうか?とか、
仕事の流れはどう改善したらうまくいくのだろうとか、四六時中考え、人事や人間関係とかは、
仕事に関係なければいい加減で、適当に人にあわせている程度で、
ほとんど無頓着で興味がありませんでした。
またある社長には「このグループの会社をよくしようと思うな、
無理だから」とも言われ唖然としたこともあります。

ただし仕事になると、腑に落ちないと納得いくまで突っ込むタイプだったようです。
そのため会社でも商社や銀行から出向して来た人や、会社の監査などの時、
また私がいろいろな会社に出向した時や務めた時、
「そんなことをして何になるのですか?」とかいろいろ食ってかかったことがたくさんあります。
{例えば「この会社の場合は本社の強引な押込み商品を、
受けてしまうのが原因で会社が傾いているだから、その原因をとりのぞけばいい=
いくら業務を改善しても、それを取り除かなければよくはならない。」とか
また、「この工場は在庫管理(自分がもともと生産・出荷を管理する部門にいたので、
架空生産や架空出荷のことを知っていたものですから)が問題だ」とか}
相手の気に障る核心部部分のことを、経営者本人や銀行出身の会計士さん等に、
個人攻撃はしないのですが、遠まわしに言うのです。
そうすると、その数倍の言葉で「じゃ、どうすればいいんだ!(
本部に逆らえというのかの意味か?)」と速射砲のように私は叱られるのです。
そういう具合で正義が通るかと思えば、ほとんど通らず、正しいことは正義ではなく、
権力が正義?であることを、たたかれ、たたかれ世の中で教え込まれて行きました。

でも心の中では今でも間違えているとは思っていませんから、
じょじょに、権力憎し、金憎し、のひねくれた人間に成長してゆきました。
そして所詮資本主義や企業はお金を中心とした
利害関係の人間関係にすぎないと思うようになりました。金や権力媚びることですね。

先日餃子の最高益の会社の話を聞きました、ここの会社の店は独立採算制度を敷いているのでしょうか?
それとも全国1社でやっているのでしょうか?
もし独立採算制であれば本部の売上はその店に商品を卸すことで成り立っているはずと思います、
グループ全体で接客だけで、そんな安売りができるものですかね、
なんだか押し込み販売の臭いがしますが、思いす過ごしであればいいのですが?

お店がのれん分けなどであれば、そのお店が本社に多額の借金を背負っているのでは?
老婆心ながらお客はつぶれようが安ければいいのですから。
そういう場合の店長はやはり媚びるのですよ?しかし、
間違えても借金の連帯保証人にはならないようにして下さい。

連帯保証人の意味をウィキペディア(Wikipedia)』より引用してみます
「連帯保証人には、催告の抗弁権と検索の抗弁権はなく、債務者と全く同じ義務を負う。
連帯保証人であれば、借りた本人と同等の地位となるため、
借りた本人が理由の如何にかかわらず返済を拒否した場合や
借りた本人の返済状況によっては連帯保証人にいきなり返済を求めることも可能となる。
一般に、貸金での保証人となることは自分が借りたことと同等であるといわれるゆえんである。

銀行や消費者金融、信販会社、奨学金などでお金を借りるときや
契約書型ショッピングクレジット(個品割賦購入あっせん取引)の保証人は、
連帯保証人が求められることがほとんどである。
これは、単なる保証人では催告の抗弁権や検索の抗弁権が存在してしまうからである。

催告の抗弁権は、借りた本人に金を返すように連絡をすることを要求することで、
検索の抗弁権は、借りた本人に返済可能な資産がないかどうか確認、
あれば執行することなどを要求するものである。

これを利用されると、夜逃げした本人を探したり、話をしたりする必要があり面倒なため、
連帯保証人を利用する。銀行から融資を受ける場合、
信用保証協会の保証を連帯保証人に代える場合もある。」

この制度は明治時代初期位から債権者保護の名目で政治的(金融機関等の圧力か?)に
強化されてきたと思われ明らかに悪法であると思います。

いまからの人には言っていることが酷かもしれませんから、生き延びたいのなら、
権力や金に逆らわないことです。
「そんな事分かっているよ!」と皆さんの方が詳しいのかもしれませんが? 

これは資本主義も共産主義や他の主義も関係なく、
お金が中心にある人間関係ではお金を中心にしたドロドロの利害関係になることは仕方ないことかもしれません。
緊密な人間関係の唯一望みは家族の人間関係かもしれませんが、これも相続争い等で崩れつつあります。
そして私は資本主義という金の亡者の権力社会に疑問をもっていったのです。
もちろん共産主義でも権力を持つ金の亡者が過去続々と生まれています。

そして私の身の回りで起きていることは、ひょっとしたら、
政府や企業等社会全体で行われているのではないだろうかと思い始めました。
そして会社や色々な情報を見ていくと、どうも社会どころか、
世界全体が粉飾ではないかという思いとその原因がお金にあるような気がしてきました。
いまもずっとその疑念からはなれきれません。

「2000年代に入り、国際的な資金フローは急速に拡大している。
主要国・地域の対内純投資の推移をみると、2000年代には、
新興国や産油国からの資金流出の拡大及びアメリカへの資金流入の増大がみられる。
OTC市場におけるデリバティブ取引残高の推移をみると、2000年代に入って以降、
拡大を続けてきたが、03年以降更に伸びを加速させており、
08年6月末時点で、684兆ドルと世界のGDPの13倍の規模まで拡大している。

内訳を見ると、主に金利先物や金利オプション等の金利関連取引が全体の約3分の2を占めているが
、このところCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)取引も急速に拡大しており、
07年末には、57.9兆ドルにまで拡大した後、08年6月末には57.3兆ドルとわずかながら減少している。」
これは内閣府が2008年12月に世界金融危機の原因を分かりにくい文章と横文字で分析したものの一部です。
OTCというのは投資家や証券等の金融機関が、全世界の人々を対象とせず、
店頭で相対取り引きするものです。要するに証券取引所外の市場ということです。


現実には金持ちのための市場ということですか?
これが全世界GDPの13倍にも膨れているということは、
その破綻分まで、全世界の人々が負担するということはおかしくありませんか?
また金融市場の拡大については、全世界GDPの3倍と4倍とかいやそれ以上だとか、
いろいろ数字があるようです。これも全世界の税金で賄うのですか?

これはもう天文学的数字です。
もう一度、金融危機の定義を『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用してみます
「近代以降銀行による信用創造が活発に行なわれるようになると、預金などの信用貨幣が急速に増大した。
信用創造によって生まれた信用貨幣は、誰かが銀行から借金をすることで生まれる。
そして信用貨幣の価値は本源的には借手である「誰か」の債務返済能力が保証している。
そのため、借手の返済能力が低下すると信用貨幣はその価値が危ぶまれることとなる。
信用創造によって経済全体の貨幣は現金よりも多くなっているため、
そもそも全ての預金を現金と交換することは出来ない。しかしながら銀行は通常、
信用貨幣を現金貨幣に交換することを制限していないため、銀行への貸手(預金者)は、
信用貨幣の価値に不信感を抱いた場合、現金貨幣へ交換する取引(引き出し)を行なうことになる。
通常時、預金の引き出しは統計的に一定量を超えることはないため、銀行経営は成り立っているが、
預金債権者が一定量をこえて引き出しに殺到した場合は、これに応じることが出来なくなる。
これが取り付け騒ぎである。
こうして銀行による信用構造が崩壊するなか、銀行の貸し出し先は返済を求められる。
返済によって経済世界から信用貨幣が減少する。結果として経済活動は低調になる。
いくつかの借手はこれを返済することが困難と見こまれ、信用貨幣の一部は不良債権化する。
ここで借手が資金繰りのショートを起こして倒産すると、
債権放棄 (借手に対する贈与)を余儀なくされた銀行は危機に陥る。
このような恐慌状態に陥る可能性がある状態を、金融危機と呼ぶ。
例えば銀行が多額の不良債権を抱えた場合は、上述の恐慌状態に陥る危険が高まっているため、
金融危機が起きていると言える。」
上記の定義から行くと、今回の世界金融危機は金融機関自身が作り上げた
、自己取引市場における破綻であると思います。

これを何故全世界の税金等で賄わなければならないのか非常に疑問を持ちます。

日本では個人の住宅ローンの場合、年収の五分の一とか四分の一とか条件が決められています。
ということは全世界の人が借金しても、単純計算では、全世界年収の1.2~1.25倍です。
せめて全世界のGDPの1.5から2倍くらいであれば、とりあえず俺達も悪いのだから、
皆最初からやり直そうよという前向きの姿勢になるかもしれないのですが、
でも資産家の蓄財がどれ位含まれているか知れませんが、
4倍とか13倍とか破綻を誰が背負う気持ちがするでしょうか?
ばくちで摩って、1文なしになって、まだその13倍の借金を背負うのですか?
理屈に合わないでしょう?皆さんどう思いますか?

信用縮小で景気が悪くなっているといいますが、
むしろ信用創造等をどれくらい実体経済に近づける事が出来るかという問題だと思います。

やはり今から遅いのかもしれませんが、信用の創造や信用取引は適正規模に縮小すべきだと思います。
適正規模がいくらだときかれればよくは返答できないのですが、
これは資本主義、共産主義とか思想の問題ではなく、単純に配分方法の問題だと思います。

独裁者などクソくらえだとか、人事がなんだとか、
私は言いたいことをある程度言って幸せな時代に、幸せな人生を送ったのかも知れません。
今からの方は大変な時代だと思います。

先日もある県立高校で貧困のために、5割以上の生徒がやめているという衝撃的なニュースを耳にしました。
これは日本の話ですよ!私たちの子供の時代には考えられないことです。
また歴史は繰り返して、信用の創造で全世界のGDPの20倍位になり、
また金融危機をもたらすのでしょうか?
政治の貧困が原因ですかね?

毒舌は私の持って生まれた性格ですから、直らないと思いますが、
後ほんの短い人生を、批判だけでなく今後は楽しいことや希望も表現出来るよう、
自分自身を変革しながら生きていきたいと思います。いまさら無理かもしれませんが
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