不良おやじの小言

思いのまま、自分で考え 人の生きる人生を認めた上で 

自由に、のびのびと、たった一度の人生

工業化住宅販売会社の運営

2008年08月31日 | 建設・不動産
工業化住宅販売会社の運営


ディーラー制度の建設業の運営は、
実際には相当全体をシビアに管理しないと利益はあがらないと個人的には思 います。
その理由は要約すると下記の7点ほどになると思います。
それぞれに長年の建設業経験から要約話してみますが、地域によっても、
規模によってもかなり差があると思います。

ディーラー制度の300名規模の工業化戸建て住宅の建設販売会社を想定して
話してみますがあくまで個人的なものとして参考にしてください。

(1)受注数が不安定である。
(2)工期が長い(上棟までは早いが、造作・内装・外構等に時間がかかる。)
(3)大工・工事業者(左官等)への支払いは零細のため現金払いが原則
(4)公庫・ローン・年金融資などの資金が抵当権設定後であるため、
   回収が建設完成後となり立替資金は建設数が多くなるほど嵩む(資金繰りが大変)。
(5)競争相手である工務店は倒産件数も多いが、
   雨後のたけのこのように次の工務店が生まれ、
   全国では多少減っているがそれでも平成16年の建設業許可業者は558,857社あり、
   宅建業者は13万8,752社ある。
(6)コストダウンを図るところは構造部分であろうが、その部分は総原価の2~3割である。
(7)完成品で引き渡すためには車と違い不動産のため必ず現場施工が必要である。

☆まず(1)と(5)の件ですが平成16年度1,193,038戸の着工件数ですがそれを単純
(公共事業を考慮に入れず)に上記建設許可業者数で割り算すると、
1,193,038÷558,857=2.14棟となります。これで大量の受注を見込めるのでしょうか?

☆(2)及び(3)の話は資金繰りの話ですが、1000万の戸建て建築の場合建設業者の支払いは、
着工時2割、中間(建物上棟)時3割(約1・5ヶ月目)、
完成時5割(3ヶ月目)と上記零細大工等の理由で多くの場合現金支払いを強いられます。
これに対し入金はお客の大半は、頭金が少なくローン等を使いますので、
着工時に百万残り9百万は抵当権設定後(民間ローンは多少融通が利きます)
=完成後平均2ヶ月です。ということは着工から完工し、資金回収まで5ヶ月ですから、
一棟につき約平均4ヶ月から5ヶ月約9百万(実際は原価であるから8百万位)の
資金負担をしなければならないことになります。

☆(4)の公庫・ローン・年金融資等の融資制度は基準(公庫は中間資金制度がありますが)が厳しく、
大体抵当権設定後何ヶ月か後の融資になります。手続きを間違うともっと遅くなります。

☆(6)のコストダウンの件ですが原価構成は、構造体部材、サッシ、キッチン、バス、トイレ、
壁材、床材、家具、玄関ドア等に分かれます。
この中で建設業者がコストダウンできるところは構造体部材のところに限られてきます。
これは全体コストの2~3割に過ぎません、
まして現代の多くのニーズと考え合わせるとこの部分だけではコストダウンは図れません。
後は仕入れコストを下げることしかありません。
今でも平均5割程度は常識的に仕入をさげているようですが、大量仕入れを条件にしていますので、
売れなければ不良在庫を抱えることになります。

☆(7)の施工の問題ですが、車はすべて均一に工場で完成させた後販売されますが、
住宅は顧客の敷地、それも常に違った敷地にあうよう、
生産部材を運び現場で違った大工や業者に施工してもらい完成しなければなりません。
品質にバラツキがありクレームの原因となります。


以上のことを考えますと、相当緻密な管理をしないと利益などでるわけがないと思います。
個人的にはかなり現場ではそれぞれの社員が必死にやっていると思います。
よく御殿を建てた建設業者の話を耳にしますが、その大半は資金の流用や詐欺まがいの利益で、
運営者や周りの人が自分の御殿を建てて、
他の従業員や業者や消費者の犠牲の上になりたっているとしか考えようがありません。
また余談ですが、最近の株の買占めで、阪神やTBSを買い取る騒ぎがありますね。
阪神やTBSの経営者が立派な人だとは思っていませんが、
一生懸命努力している社員はどうなるのでしょうか、
金儲けだけで努力(私も努力していませんけど)もしないで、心を金で買えるのでしょうか?
それにしてもよく金がありますね。

販売収入代理店方式の一戸建て建築業者の資金繰りを単純な下記条件で1年間を試算してみます。
(条件)○営業180、建設100、総務10、経理10、販売資金10、の300名体制と仮定します。
営業6割、建設3割、経理・総務・販売資金・研究開発等の間接部門1割
(多分今までの私の付き合った経営者なら1割の部門をもっと減らせという話になると思いますが?
それでなるべく人員を増やさないよう過去やってきました。)で計算しています。

営業の成約率はどこも、全国平均0.5棟位と思いますが、
それですと、とても損益的に成り立ちませんので、
成約率を初年度0.6棟とし、営業180名×0.6=108棟/月と考え下記に試算を記してみます。
毎月約100棟契約、そのうち10棟が着工(実際は不可能)できるとして
毎月100棟着工、3ヶ月後完工と仮定します
(1)入金                      1000万円
  ①契約の入金平均           100万円(1ヶ月目と仮定)
  ②最終金平均              900万円(着工から5ヶ月目入金と仮定)
※ローン、公庫、年金等融資の実行は抵当権設定後になりますから、
 完工2ヶ月後として計算します。又、公庫の中間金は考慮に入れていません。
(年金融資等は完工から実行迄、3ヶ月以上かかることもあります。)
(2)支出                      800万円
  ①着工時支払(2割)          160万円(1ヶ月目)
  ②中間時支払(3割)          240万円(2ヶ月目)
  ③完成時支払(5割)          400万円(3ヶ月目)
    ※工務店は日雇い労務者等を働かせますので、現金払いが原則になります。
資材を含め、厳しく支払って、着工2割、中間(上棟)3割、完工5割の支払と仮定します。
(3)人件費(300名)            平均毎月40万円
(4)その他経費              平均毎月40万円
{おおよそ建設業の場合人件費(直接従業員に支払われる
給与・賞与・ばかにならない販売報奨金---必要なの?の他に、社会保険料の企業負担分
「法定福利費」や「退職給与引当金」や「福利厚生費」等も含まれる。)が
全体一般管理費の5割を占めます。昔のMホームの販売会社の平均40万の人件費は、
実際はもっと低いと思いますが?}
以上の仮定で初年度の資金繰りを試算すると下記のようになります。
                         初年度資金繰り           (単位:千万円)


(1)入金-(2)支出-(3)(4)経費=-30.4億円、
初年度資金繰りとしては約30.4億円の資金不足になります。
これに対し損益計算は3ヶ月目から毎月100棟完工するとして、
年間1,000棟の売上げ100億円、原価80億円、
粗利益20億円で経費が約28.8億円で、赤字8.8億になります。
2年目は受注・完工とも20%の増加として、
完工棟数1,440棟(1200×120%)の売上144億円、原価115.2億円、
粗利益28.8億円、経費28.8億円で収支トントンとなります。

しかし他に部材の押し込みも資金負担しなければなりませんし、
借金は減りませんし、上記の資金繰りを見ればわかるように、回収率を早めないと、
拡大とともに借金はどんどん増え金利負担は賄えません。
それに一般管理費が一人当たり80万ということはかなり無理があります。

また契約や完工率が20%アップということは精神論など言ってられないほど
一丸とならなければ無理な数字です。数字から言うと会社が成り立たないことになります。
ちなみに私が今まで述べてきたことは、販売代理店方式による最大利益率を前提に話しています。
販売代理店方式は、金融、工場、中心のメーカー(研究・開発、及び手配師)、
販売代理店で、利益を奪いあうわけですから、薄利多売になるほど、
前記4社のいずれかが負担が大きくなります、
通常は力の弱い販売代理店か生産工場に負担が多くいくと思います。

ではどこで解決するかといえば、
①別途工事などを積極的に受注する---ですが、
 所詮片手間仕事ですのでそう多くの収入は望めません。
②人件費を下げる---ですが、労働問題ですので、労働基準法に基づいた、
 社員の就業規則の問題や社保険問題も絡み、実際は困難です。
③設計原価を安くする(姉歯になるかも?)---ですが、
 メーカーの業者取引の部分が大多数を占めますから、
 販売代理店での解決は実際問題困難です。
④施工単価をやすくする---ですが、人手に頼る所を外注でごまかし、
 外注業者は日雇いで経験の少ない外国人を雇い施工しているわけですから困難です。
⑤工期を短くする---ですが、商品の施工部分の短縮化や、
 輸送、部品の欠品問題、施工者のレベルア ップ等、販売代理店だけでは解決できません。
⑤金利負担を軽減する---ですが、力関係で金融機関から借りる方が弱いのですから困難です。
⑥受注を増やす---ですが、全国平均で一人当たり月0.5棟です。
 上記計算式は一人当たり月0・6棟で計算していますので困難です。
 それに完工も付随して増えるわけですから、施工能力も上げなければなりません。

ということで、発想としては色々浮かびますが、これといった良い解決策は見当たりません。
また言い忘れましたが、上の人件費には、突出した社長・役員の人件費は考えておりません。
いずれにせよ、経費、金利、を極力押さえ、受注、粗利益率を上げ、
なおかつ最終ユーザーに安く供給するという課題に挑戦しなければなりません。骨の折れることです。
そして現場経験の少ない、金融機関の天下り先となりますので、ますます悪化します。
株の一発勝負や、異議なしの総会屋さんに儲けさせる金があったら、
国の基本の法律を作る、政治家はもっと足元の大事なことへ
真剣に目を向けるべきではないでしょうか?

ついでに工場の原価管理、在庫管理について、携わったのがかなり古いので、
常識的なところで、お話しします。工場は原材料管理、仕掛品管理、完成品管理と
通常の販売会社より複雑になり、現場ではおもに数量管理を中心に行います。
会計的には、大体どの会社もその現場の数量管理の資料を元に、
期末の棚卸資産(原材料等残っている数量)を把握し、それを金額で評価し、
仕入総額から棚卸資産を差し引き、仕掛品換算金額を差し引き、
残ったものがその期の仕入原価とする(この仕入原価を、期末商品で割れば期末製品単価となります)
手法をとります。他に売価還元原価方法等があります。
現在はコンピューターの時代ですから、数量を管理すれば金額の計算は自動的にしてくれるようです。

しかし数量が数えられる単位でないものも多数でてきます。
その時は換算数量Kgとかリットルとかパネル一枚等の単位で管理し、
それに換算単価を掛けることになります。従って数量管理を何でするかは大変重要になります、
通常製品単位(売る製品の原価単位)になるよう原価集計します。
また仕掛品などの換算手法によってかなり決算が操作されやすいので、
会計基準でいう継続性の原則が求められます、
一度適用した会計手法は度々変えてはならないということです。

棚卸しも通常は帳簿棚卸しで行い、決算期末は実地棚卸しをするというのが実情です。
そして、帳簿と実地の差額は棚卸減耗損などのロスとして処理します。
原価計算の種類としては総合原価計算と(1種類の製品を計算するのに適している。)
個別原価計算(種類の違う製品を個別に計算するのに適している。)の分類方法、
実際原価計算と標準原価計算の分類方法、
全部原価計算と部分原価計算(直接原価計算「変動費と固定費」等)の分類方法等があります。
棚卸資産の評価方法には下記の方法があります。
   ①先入先出法―――先に入れた商品から先に出すという仮定で評価するので、
            残っている商品は後から仕入れた単価で評価することになります。
   ②後入先出法―――後に入れた商品から先に出すという仮定で評価するので、
            残っている商品は先に仕入れた単価で評価することになります。
   ③総平均法―――1定期間内に受け入れた商品総額をその受入数量で
           除した平均単価を払出し単価とします。
   ④移動平均法―――商品受入のつど計算した平均単価を
            次の商品受入時までの払出し単価とします。
 (1) の収入は84億円、(2)の支出は85.6億円、(3)、(4)は28.8億円、

商品品目の多い卸売業にかんしては、経験がないのでよくわかりませんが、
品目の売単位の原価を把握し、在庫管理するのは当然でしょうが、
同じような品物を集約する、部門別に管理する、
売り先別に管理する等の手法が考えられると思います。

30年位前、建設販売会社で工事、販売の顧客の販売管理
(例-工事カード=顧客の工事の進捗状況により、顧客の入金管理、
工事や別途工事の支払管理、顧客のローンや登記の預り金の入出金管理)が煩雑で、
真剣にコンピュータ化を考え本部に稟議書(担当役員は銀行から出向の社長室役員でしたか?
覚えていません。)をあげましたが、「時期尚早!」とあえなく却下された経験があります。
もっともその頃は100名ぐらいの規模でも、四畳半くらいのコンピュータ室が必要であり、
温度も一定の温度を保つ必要があった時代です。仕方なく給与計算だけアウトソーシングした覚えがあります。

いまは急激に進化し、パソコンをつないで色々なソフトが発売されています。
しかし最初のプログラムをよくばり、管理を集中しすぎると、
コンピュータに振り回され、かえって時間がかかる危険性があります。業務すべてを繋ごうとすると、
組織の変化や、製品の変化(しょっちゅう商品コードヤ組織コードを変えなければなりません。)
対応が難しくなり、かえって時間がかかり、振り回される危険性があります。
なるべく総務・経理業務、生産管理、在庫管理、流通管理、
顧客管理、建設管理などくらいに区分し、サブソフトを作り、それを組み合わせる方式が、
変化の多い中小企業にとってはベターだと思います。合併や分社化にとっても、その方が便利なようです。

私はコンピュータの専門化ではないのでよくわかりませんが、
専門家は分散型データベース管理と呼んでいるようです、
それに構造化や、オブジェクト指向等の考えを組み合わせ互換性をもたせ、
データを管理する方法のようです。インターネットのWWWサービスの仕組みのようなものですかね?
もっとも一番それで合理化され易いのが、総務経理の事務部門ですが、そしてどこもそうですが、
一番先に合理化の対象となる部門です。自分で自分の首をしめてきたわけすね。

そして今の派遣社員につながっているようです。皆懸命に合理化してよかったのかどうか?
考えさせられます。また一番抵抗が多く、合理化しにくいのが言わずとしれた、販売部門です。

ちなみに、銀行関係の出向者は総務・経理部門には弱い人が多いようです、
どちらかというと販売部門系の人で、口の達者な人が多いようです
(貸すという性質からですかね?お金を効率よく運用する姿勢にはなじまないようですね?)。
その人たちが守りの総務経理部門を牛耳る、結果は見えていますよね?いけないまた、
悪口の言いすぎですよね、いまだ人間ができていませんね。
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工業化住宅の問題点

2008年08月31日 | 建設・不動産
工業化住宅の問題点

プレハブ住宅は前もって工場で生産できる部分を生産し、
現場で組み立てる部分を極力少なくして建設する手法です。
その為に一番いい方法は家一軒前もって工場で作り、現地に置くのが最善です。
しかしこれには下記のような条件がつきます
① 土地の形状が均一である。
② 地盤が均一である。
③ 工場から現場までの道路幅、経路等輸送が容易で均一である。
④ インフラ条件が均一である。
等の条件をクリアーしなければなりません。

しかし、最初から今の都市計画に適した敷地など、
日本の都市において皆無であるので大変むつかしいのです。
土地の形状について都市の宅地は変形敷地が多く、
地盤は全国千差万別、道路は4m以上なければならないということが
昭和25年に法律化されましたが、
2項道路(国が認定した4m未満の既存道路)等数多くの既存不適格道路があります。
インフラは電機、水道、ガス等全部そろっているのは
大都市圏とその近郊の一部くらいしかありません。

①および③の土地の及び道路の問題で言えば、大きな家を運ぶ訳ですから、
8畳四角い部屋を運べば、2間約3,64m以上の道路がなければ運べません。
それに大都市圏の敷地はうなぎの寝床や三角形等、変形敷地が多く運べないし、
敷地に収まらないところだらけになります。それでヘリコプターで運ぶや、
もっと細分化して組み立てるという発想になるわけです。

②の地盤の問題ですが、出来上がった造成地では表面をみただけでは分からないことが
多数あります。例えば沼池の後だったり、田んぼの跡だったりします。
そうしますと造成地盤が固まるまで数年を要するそうです。
昔習志野の公団分譲地で沼池後があって建設がすぐ行われた為に、家が傾いた事件がありました。
そのとき瑕疵担保責任は公団にあると思いますが、
因果を含められ各民間建築業者が負担し建て替えたようです。
また田んぼにビニールを敷いてその上に土をもった造成地もあったそうです。
他にも色々ありましたが、今は建築基準法施工令の38条基礎の項目や93条の項目や告示によって、
地耐力のある基礎にしなければならず、
基準に満たない地盤の弱いところは地盤改良や杭を打って補強しなければなりません。
しかしこれも地中に埋まってしまう箇所ですので調査が必要ですが、書類審査で終わっているようです。

④はまだ電機、ガス、水道、下水道が整備されていないところもありますので、
それによって、前もって組み込む設備機器の仕様が異なってきます。
過去Mホームで研究開発した例を上げると、

1、カセット式住宅---マンションや戸建の部屋をカセット式の作りにして、
居住部分を壊し、そこに前もって作った部屋をカセットのように、はめ込むというものです。

2、コア---各部屋をコアというもので作りそれを組み合わせ家を作るというものです。
(積水ハイム、旭化成等がこの方法を踏襲しています。)
Mホームでは100万円住宅として売り出しましたが、
屋根の緊結ボルトが設計段階で計算ミスをしており、
伊勢湾台風等により屋根が飛び大変なクレームになりました。

3、ヘリコ---トレラー方式のヘリコというものを作り、移動式住宅を考えました。
これは海外アメリカのトレーラーハウスを真似たものです。

4、セラミック---セラミック住宅、最初は無尽蔵の砂浜(コストが安いメリット)の
圭砂を使って開発したセラミックで作る住宅というふれこみでした。

5、その他色々技術以外のソフトも
(生きがい村・等価交換方式・学者村・定住型リゾート・多能工による施工等)。
これらの商品やプロジェクトは会社の宣伝にはなりましたが、ことごとく失敗しています。
結局フリーサイズタイプのパネル式住宅のみが、工業化住宅として残りました。
この失敗要因は、研究が十分でない、実験がたりない
(資金力がない宿命なのでしょうか、実験物まで売ってしまうのです。)、
等原因を数え上げればきりありません。

例えば、セラミックの場合、メインバンクのお荷物会社(推察ですが)が
あったのでしょうか?名古屋のM製糖というところのいい加減な工場長
(もっともISO「国際標準化機構」制度等まだ関心がない時代ですが)を引っ張ってきて、
いけいけいどんどんで、工場を作り販売を開始してしまいました。唄い文句に適合した、
セラミックの強度がありませんから、工業化住宅の認定がとれるはずもなく、
鉄骨住宅となってしまいました。技術系の人材がいないのか
(高学歴の人材や一級・二級建築士、一級・二級建築施工管理技士、
技術士等の有資格者は多数いたようですが)、
例によって開発が完成しない前に発表してしまうのか、
メインバンクの資金や不良債権処理のための思惑が先行してしまうのか、
それぞれの複合原因だと思いますが、現場で関係する社員はたまったものではありません。
皆様の会社と今のMホームはそんなことはないと思いますが?
このセラミックは構造に余り関係のない飾り物の壁材になってしまいました。

余談ですが、昔、私はセラミックの壁がボロボロはがれるといって、
お客の色々なクレームに泣かされましたが、
確か四国のA工務店がやめたいと言ってきた新宿の販売会社でしたか?
やめると簡単にいわれて も、Mホームで決めた後任の社長と私だけでは、
特定建設業{1.経営管理責任者(経営の実務経験5年~7年以上)、
2.専任 技術者に関しては「名義借り」でなく、
常勤の社員・役員や事業主であることが必須であり、これらの資格者なしに許可を取ることはできない。
許可取得・更新時だけでなく継続して必要であり、
退職したり資格を失った場合は有資格者を補充するか、さもなくば建設業許可を廃業するしかない。}
の資格者がいないのですから、結局精算せざるをえなくなりました。
その時のMホームの担当は確かK役員とHさんでしたかね?

ちなみに下記にその建設関係許可一覧をあげておきます。
外注するとしても、少なくとも5年以上の経営管理責任者と建築一式工事の国家資格者はいると思います。
宅建業、建築士事務所はまた別途の資格者が必要です。
*建設業許可・宅建業許可・建築士事務所の許可について
それぞれの許可及び登録は事務所に掲示されることになっています。
ですから(建設業許可の掲示)がない所は請負工事はできませんし、
(宅地建物取引業許可の掲示)されていなければ宅地建物の売買、交換ができませんし、
(建築士事務所登録の掲示)がなければ建築物の設計ができません。
何も掲示されていないお店は要注意ということになります。それぞれの内容は下記の通りです。

1、建設業許可とは
建設業許可とは、注文者から請け負って工事をする場合に必要な許可を言います。
(元請け・下請けを含みます)1件の請負金額が500万円(税込み)以上の
工事をするにはこの建設業許可を受けていなければなりません。
建設業許可を受けるには、経営管理責任者がいること、
各営業所ごとに専任技術者がいること、誠実性(免許取消・営業停止などの処分を受けた人がいない)、
金銭的信用、欠格(破産者等がいない)に該当しない事が必要です。
尚高額な高層ビル等は特定建設業になります。

特定建設業の資格要件は一般条件より厳しく


7業種(土木一式、建築一式、鋼構造物、舗装、電気、造園、管)の場合
専任技術者と認められるのは1級国家資格者・技術士法による技術士に限られます。
これらの7業種は、総合的な施工技術を要する業種とされ、更に厳しい要件が求められます。

■その他21業種の場合
 専任技術者と認められるのは1級国家資格者・技術士法による技術士又は指導監督的実務経験者。
指導監督的実務経験者とは: 元請工事で、その請負代金の額が4,500万円以上であるものに関して
24ヵ月(2年)以上指導監督的な実務の経験を有するもの。
が必要です。

2、宅地建物取引業とは宅地建物の売買、交換、を自分で又は代理、媒介で行うこと、
および賃貸借の代理、媒介 をおこなうこと、を業として行うこととされています。

宅地建物取引業の免許を得るには以下の要件が必要です。
1)、事務所等ごとに宅地建物取引業にかかる契約を締結する権限を有する使用人を置くこと。
  (支店長等)
2)、事務所等ごとに5人に1人以上の割合で成年者たる
   専任の国家資格の宅地建物取引主任者を置くこと。
(20人なら4名、21人なら5名)営業を開始するまでに、
本店は1000万、支店は1つごとに500万の営業供託金を
本店の最寄りの供託所に供託してあること。
もしくは宅地建物取引協会の社員になって弁済業務保証金分担金として、
   本店60万、支店1つづつ30万を納付してあること。
3)、免許の欠格要件に該当しないこと(手続き面や人的面など)


3、建築士事務所の登録とは

1)設 計 で下記ような業務を行う場合、登録をしなければなりません
建築物の設計   
建築物の工事監理 
建築工事契約に関する事務
建築工事の指導監督
建築物に関する調査又は鑑定
建築に関する法令又は条例に基づく手続きの代理

2)建築士事務所の登録は、所在地の都道府県知事に対して登録します。
一級建築士事務所登録(一級建築士資格者)
二級建築士事務所登録(二級建築士資格者)
木造建築士事務所登録(木造建築士資格)
3)管理建築士を各事務所に置かなければなりません。
管理建築士は建築士事務所の業務に係わる技術的事項を総括し、
開設者に対し技術的観点から、その業務が円滑かつ適正に行われるよう,
必要な意見を述べる立場にあります。
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不良おやじの華麗なる幼少期

2008年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム
不良おやじの華麗なる幼少期
昭和19年に生まれた私は、兄妹には昭和23年、団塊の世代生まれの優秀な妹がいます。

私は人口の一番多い妹たちの団塊の世代から、
突き上げら、戦前の思想を色濃く残す先輩たちの間でその後の人生を送ることになります。

父親は徳島のT大学(鹿児島なのに何故徳島?)出の農林省関係の役人で、
家父長系(父親が一家の大黒柱で、「おれの言う通りにしたら間違いない」というタイプで
自分の家系の親戚の甥、姪たちの多数を、男は農林省関係の役人にし、
女性は農林省関係の役人と結婚させた。)面倒見はいいが、
好き嫌いのはっきりした、ワンマンな親爺でありました。

役人であるのに、住んでいる官舎に、部下の職員や、学校の先生や、近所の人たちを集め、
よく今でいうパーティを開き、終夜麻雀、飲み会等をやっていました。
私はその反面か、わりとおとなしく、マイペースに漫画を読んだり、紙芝居を見に行ったり、
勉強せずに、自分のやりたいことをやっている子供のようでした。
しかし、父が怒ると逃げないで「振り上げたこぶしが下ろせない子だ」と母親に漏らしていたようです。
大人になってから、父が「私は麻雀が強く、負けたことがない!」と言っていたので、
一緒に麻雀を打って見ました。父の麻雀は全然降りない、“いけ!いけ!麻雀”でした。
それで私は「親父は接待麻雀で勝たしてもらっているようだね?」といったら「そうか?」。

母親は鹿児島の良家の出で、学徒出陣で戦死した京都のK大学の兄貴、
熊本のK大学出の高校の校長の弟と、東京のT大学出の建築家を旦那にする妹を持つ、
ちょっとおしゃれな現代風の女性でした。父親と結婚するとき、祖母によると、
「相手の両親と一緒に住むことは絶対いや」と言っていたそうです。
大人になってから、そんな母親ですから、
父親の若い頃の所業にはかなり(徹夜の接待、料理作り等)不満をも持っていたと思います。

母親の祖母は私に多大の影響を与えた人物で、鹿児島で戦後食べるために、
闇市にでたり、近隣の人をまとめたり、やり手の祖母で私の父とは意見が合ったようです。
この祖母は折に触れ私に色々なことを教えてくれました。
例えば私が小学低学年の頃、昔の風呂は、まきをくべてわかしていましたが、
私に手伝わせ「何故一番風呂に旦那を入れるのかといえば、一番風呂は湯加減がわからないので、
とりあえず旦那を先に入れて、ちょうどいい湯加減になったときに私が入るのよ!」とか、
男尊女卑の鹿児島で、従順なふりをした女の強さを、事あるごとに教えられました。

また熊本に12歳頃まで育ったのですが、もう一人私に多大の影響を与えた、
小学校の先生は陸上競技の短距離を得意とする先生でありました。
私は悪がきではないのですが、いつでもいたずらばかりしていました。
そんな私をこの先生はバットを逆さに持ち握りのところで、殴ったり、
バケツを持って運動場の真ん中に立たせたり、共同責任だといって、
クラス生徒みんなを立たせて往復ビンタをしたり、下級生等弱い者をいじめるな!とか怒鳴たり、
いまでは暴力教師と非難されかねない先生でした。やはり私の父とは意見が合うようで、
しょっちゅう私的に杯をかわしていました。

この先生と父、母の叔父である校長先生(両親と他の二人はもう他界しました。)には、
つい最近まで、かわるがわる、時には全員一緒に飲み、
私が酒のおつまみ代わりに、いつもお説教されていました。

そんな私が小学校時代から30歳くらいまでは、戦後の混乱から、高度成長時代で、
色々なことが大幅に変化した時代でした。
私の小学校の頃は生活の面では、食事は私の家ではご飯に、味噌汁、漬物、めざし、が定番で、
たまのご馳走は卵に味噌を加え、鰹削り節を入れ、お湯を入れてかき混ぜるというものでした。
肉等めったにありませんでした。

トイレは汲み取り式、お尻を拭くのはトイレットペーパーなどなく、
新聞紙、それがいまは電機式トイレに入るとトイレットペーパーはありますが、
自動的に蓋が開き出ると自動的に後始末までしてくれて蓋までしめてくれます。

炊事のご飯炊きは米を水が透明になるまで研ぎ、
釜に入れ、蒔きで火加減(“初めちょろちょろ、中パッパ”という火加減)をし、
炊いていました。風呂も同様に火加減をして沸かしていました。それが今では、
米は電機やガス炊飯器で、風呂は電気やガスですべて調整してくれます。

洗濯は、たらいに洗濯板、洗濯したあとは物干し竿に干していました。
それが今は乾燥まで出来る電機洗濯機となりました。

車は商業用のダイハツミゼット三輪車、国産の個人一般乗用車から高級乗用車と瞬く間に発展していきました。
私はもう亡くなった大学の友人から安く譲ってもらった、いすず・ベレットという車が最初に乗った車です。

電話は交換手のいる、会社の電話から、個人の自宅電話、FAX付の電話、携帯電話へと発展して行きます。

汽車は蒸気から電機、新幹線、飛行機はプロペラ機からジェット機、ジャンボ機と発展し、
時間短縮により地球がどんどん近くなって行きました。
テレビは街頭テレビで力動山が庶民の英雄となり、皇太子ご成婚もテレビ中継されました。
最初の白黒人工衛星世界中継でケネディー暗殺番組という衝撃のデビューでした。その後も、
オリンピック放送を契機にカラー放送と発展していきました。

子供の頃の娯楽は、映画は白黒、テレビは発明されていましたが、
放送は試験的でなく、ラジオが主流の時代でした、
漫画は少年時代の赤胴鈴の助、イガグリ君、付録のおもちゃ、紙芝居等を楽しみにしていた時代です。
もちろんコンピューターや、パソコンゲーム、テレビアニメ等影も形もありません。

その後映画は白黒から総天然色、カラースコープ、立体映画と急速に発展していきました。
日本映画の全盛期は五社協定(東映、東宝、日活、大映、松竹)があり、
東映の黄金時代劇と言われた頃で、男優は中村錦之助、大川橋蔵、市川右太衛門、片岡知恵蔵、
大友柳太郎、東千代介、高倉健、江原慎二郎、梅宮辰夫、千葉真一------,
女優陣では、美空ひばり、丘さとみ、大川恵子、桜町弘子、千原しのぶ、
佐久間良子、三田佳子、大原麗子---等が活躍していました。
東宝では社長シリーズ、駅前喜劇シリーズで森重久弥、小林桂樹、三木のり平、フランキー堺、
加藤大介、淡島千景、池内淳子、司葉子、黒澤シリーズで三船敏郎---、
日活では石原裕次郎、小林旭、浅丘ルリ子、赤木圭一郎、---、
大映では長谷川一夫、市川雷蔵、京まち子、山本富士子、若尾文子、---、
松竹では佐田啓二、仲代達也、岸恵子、有馬稲子、高峰秀子---等が活躍していました。
毎週豪華二本立てで各社放映していました。人気の映画は映画館で拍手喝采が起きる時代でした。

そしてテレビが放映されるようになり、各映画会社のオールスター物や、
東映のやくざシリーズ物、日活のピンク映画とだんだんすたれてゆきました。
それと変わるようにテレビではまだ白黒の月光仮面、白馬童子、アニメの鉄腕アトム、忍者赤影、
大村昆のとんま天狗、お笑い三人組、
NHKの夢で会いましょう(永六輔、青島幸男、クレージーキャッツ、ザ・ピーナッツ)、
日本テレビのイレブンPM(大橋巨泉、朝丘雪路)等色々の娯楽番組が出てきました。

音楽は美空ひばり・江利チエミ・雪村いずみの三人娘、橋幸男・舟木一夫・西郷輝彦の御三家にはじまり
海外のエルビス、ニール・セダカ、コニー・フランシス、ポール・アンカ等のカバー曲を歌った、
坂本九、中尾ミエ、伊東ゆかり、森山加代子などのカバーポップス、海外の反戦運動から生まれた、
ボブ・ディラ等の影響で、岡林信康、かぐや姫、陽水、拓郎、中島みゆき等のフォークソング、
ビートルズの影響を受け、スパイダーズ(堺正章他)・タイガーズ(沢田研二他)等のグループサウンズ、
等次々と歌われて行きました。
自分たちで歌うものは、若者が集まって歌う歌声喫茶(灯等)からカラオケへと向かって行きました。

音楽の再生はSP、LPレコード、テープ、CDと変わって行きました。
所得は私が就職した1968年初任給が賞与を除き月3万円でした。
それが7年もすると賞与を除いて45万円(税込み)で15倍位になっていました。
白黒テレビが1950年発売当時17万5千円、カラーテレビが1960年発売当時42万円、
最初は庶民の高嶺の花であったが、1975年にはカラーテレビの普及率が都市・非農家で90パーセント、
農家で80パーセントと総中流の時代になっていました。

しかし1973年のオイルショックで10パーセントの成長をしていた日本は3パーセントへの低成長へとなり、
3種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)や車、クーラー等の国民の望むものも充足され、
国全体が目標を見失っていきました。

そして良くも悪くも財政出動しないとゼロ成長にもなりかねなかったため、
オイルショックの不況からの脱出を理由として1975年に一般会計で赤字国債を発行しました。
1975年の一般会計規模は21兆5000億円、
そのうち建設国債が3兆2000億円、赤字国債が2兆1000億円でした。
国債依存度(国債/一般会計)は一気に25%となりました。
その後は第2次オイルショック、バブル経済のとき多少持ち直しましたが
赤字国債および国債依存度は増えてゆきました。それが国の純粋の借入や政府債務を加えると、
現在800兆円以上の借金になっています。そして最近の格差です。
社会的には
政治は毎日新聞紙上を汚職の話が賑わし、
三面記事の片隅に下級官僚の係長や課長補佐の自殺のニュースが頻繁にありました。
その頃松本清張の「点と線」水上勉の「飢餓海峡」等が広く読まれました。
私の小学校の頃は今と多少違って、汚職等で罪を背負わされるのは部下のようでした、
そしてそれをだまって受け入れるのが、男らしいという風潮もありました。
その誤った考えが後の色々の汚職を生み、政治家や高級官僚、金持ち企業、やくざ等を増長させました。
私の父も汚職には神経質になり、業者からのお中元・お歳暮でも、
常識程度の安い物以外、業者に返却していました。

これには警察組織の在り方にも問題がありました。所詮警察も官僚です、
国家権力トップにはとても弱い、その権力のトップは自民党が指名(実際は内閣)しているわけです。
裁判所の関係も建前は最高裁判所の裁判官は国民審査権があるといいますが、
今までに罷免されたことはないし、実際国民には判断しようにも解らないのが実情でしょう。

司法・立法・行政の三権分立といっても選挙で当選した国会議員が多数決で内閣を作り、
内閣が行政を指名するわけです、それを戦後60年以上殆ど実権は自民党が仕切ってきたわけです。
そのため国家の中枢の人間を守るため、戦後すぐは(今もかも知れません)
よく不透明な裁判(裁判官や判事は悩んだ人もいたでしょうが?)が行われたようです。
だから私は、政権は一党でなく、度々変わらないといけないと思うのです(中が腐敗してゆきますから)。
考えてみたらこの日本は中国と同じく、戦後一党独裁できたのと同じことですよね?

もし変わるとして、800兆も借金を抱えた政府を引き継ぐ政党も大変でしょうが?
この借金を増税、インフレなしに大幅削減する方法が一つだけ考えられます。
貿易黒字で溜まった、外債、特に米国債を売ることです。と言っても、
政府は金融機関等に割り当てているでしょうから、金融の国有化がひつようでしょうが、
それに戦勝国アメリカに依存している日本がアメリカ経済をもっとガタガタにすることは、
現実的ではありませんが?

教育は戦後、アメリカ国防総省が教育勅語を全面的に否定する方針を打ち出し
「日本教育制度に関する政策」で、
教育勅語は教授、研究、儀式のよりどころにしてはならないと決定されました。
そして日本の国会は、両議院とも委員会の審査を省略する形で、
決議案が提出されて可決、成立しました。
この教育勅語は下記の内容ですが、戦前の人にとっては、日常唱和させられ、
憲法より大切にされたものです。

「天皇(明治天皇)ご自身がお考えになるに、天照大神(あまてらすおおみかみ)以来の
天皇のご先祖たちが我が日本を建国するにさいし、その規模は広大で、
いつまでもその基礎が揺るぐことのないようにされ、さらに、ご先祖たちは身をつつしみ、
国民をたいせつにして、後の徳政のお手本を示された。天皇の臣民である日本国民は、
いつの時代も忠孝をつくし、国民が心を一つにしてその美徳を発揮してきたこと、
これこそ我が国体(天皇制社会)のもっともすぐれた点であり、
教育の大もともここに根ざしていなければならない。

お前たち臣民(児童・生徒)は、父母に孝行し、兄弟は仲良く、夫婦も仲睦じく、
友人とは信頼しあい、礼儀を守り、みずからは身をつつしみ、人びとには博愛の心で親切にし、
学業に励み、仕事を身につけ、さらに知識をひろめ才能をみがき、人格を高め、
すすんで公共の利益の増進を図り、社会のためになる仕事をし、いつも憲法を大切にし、
法律を守り
ひとたび国家の一大事(戦争)になれば、
勇気をふるいたて見も心もお国(天皇陛下)のために捧げることで、
天にも地にも尽きるはずのない天皇陛下の御運勢が栄えるようにお助けしなければならない。

こうすることは、単に天皇の中良な臣民として行動するというだけのものではなく、
同時に、お前たちの祖先が残したすぐれた点を継承し、それをほめたたえることにもなるのだから。
このような教えに従うことは、まさしく我が天皇の祖先たちが残されたおさとしで、
皇室の子孫も臣民もともに守るべきものであり、之を過去現在のどの時代に当てはめても間違っていないし、
国の内外、世界中に当てはめても誤りではない。自分(天皇)は、お前たち臣民たちとともに、
このことを自分自身によくいい聞かせ、その教えを守り、君臣一体となってその徳をより高めたいと思う。
(琉球大学教授訳)、この勅語は1907年(明治40年)には、文部省が英語に翻訳し、
そのほかの言語にも続々と翻訳された。これを機に、
イギリスをはじめ各国から高く評価され、自国の教育指針を決定する際にあたって、
この勅語を参考にした国もあったといわれている(フリー百科事典『ウィキペディア』より)」

この中で下線の部分は常識的なことであり、削除する必要もなかったのではないのかと思います。
というのも最近の凶悪事件では、公園の中学生のホームレス殺人、秋葉原等無差別殺人等、
社会ではマスコミまで一緒になって勝ち組・負け組みとか、弱いものいじめがめだちます。

もちろん戦後も道徳教育はあるでしょうが、重要度が戦前とは違っているようです。
戦前はやくざでさえ、特に女、子供、年寄りには、暴力を振るうなという不文律があったようです。
いまはやくざも金貸し等して、弱いものいじめで大儲けし、地に落ちていますが。
わたしの小さい頃は私の親や先生から“弱い者をいじめするのは男らしくない!女のように女々しいやつだ”
といじめられたものですが?

勉強は私の時代はそう人口も多くなく、競争は激しくありませんでした。
それは就職した後もそう同期の競争というものはありませんでした。
しかし私より少し下の団塊の世代は人口が多く、学校の学級も多く
、常に競争で、世の中に出てからもすごい勢いで競争していました。
それが団塊の世代以降の放課後の子供の塾とか予備校に発展していったのだと思います。
私の時代の放課後は遊びでした。遊ぶといっても、回りに娯楽施設、ゲームセンター等ありませんから、
野山を駆け巡るか、めんこ、野球、相撲ぐらいでした。

一般社会は太陽族{「太陽の季節は、石原慎太郎の短編小説である。1955年発表。
同年第1回文学界新人賞、翌年第34回芥川賞を受賞。裕福な家庭に育った若者の無軌道な生き様を通して、
感情を物質化する新世代を描く。
当時としては、発表されるや文壇のみならず一般社会にも賞賛と非難を巻き起こした問題作で、
そのストーリーが倫理性に欠けることや誤字があることで芥川受賞の際にはある選考委員が
それらの問題を口にした。 ストーリーは慎太郎の弟・石原裕次郎がある仲間の噂話として
慎太郎に聞かせた話が題材になっているという。(フリー百科事典『ウィキペディア』より)」}が、
石原慎太郎のヘアスタイルをまねた、慎太郎刈にアロハシャツ定番として流行しました。

1957年売春防止法が施行され、青線・赤線が廃止になりました。
1964年の東京オリンピック際には、原宿のワシントンハイツの場所に選手村が建設され、
外国文化の洗礼を受けた若者たちによって「原宿族」が出現しました

その後の原宿は、1972年に地下鉄・明治神宮前駅が開業、1973年のパレフランス、
1978年のラフォーレ原宿のオープンや、創刊されたばかりのファッション雑誌「アンアン」や
「ノンノン」により原宿が紹介され、アンノン族が街を闊歩、
原宿はファッションの中心地として全国的な名声を手に入れました。
そのなかで原宿同潤会アパート(1958年完成)にはデザイナーやカメラマンなどのクリエーター達が
事務所を構え、文化を牽引しました。1980年代になると竹の子族の影響により、
竹下通りが発展し、歩行者天国(ホコ天)にはたくさんの若者が集りました。
1990年代は表参道に海外有名ファッションブランドの店が続々とオープンしました。

一方過激な若者たちは、
暴力団予備軍といわれた愚連隊、や暴走族、ヤンキー族等に分類される人間(右翼系)と
共産党系から派生した学生運動(左翼系)へと発展していきます。

そのほかの大多数の若者は、真面目な人間、それに無関心なノンポリ
(政治に関心のない、ポリシーのない人間という意味、少数派?)と呼ばれた人間等になっていきました。
私は、団塊の世代の学生運動の真只中にいたのですが、余り政治の勉強もしていませんし、
何でこんな大騒ぎしたり、オートバイを乗り回して近所迷惑を掛けるのか、よく理解できませんでした。
今も頭が悪いので、余り理解できていません。ただ、大人が学生たちを利用しているな、
ということは(暴力団や右翼や警察体制系が暴走族等、
左翼、共産党、労働組合系が赤軍等学生運動等)よく理解できました。

だから我関せずで、ノンポリでその頃も自分の好き勝手なことをしていました。
そして赤軍の永田洋子の浅間山荘事件から発覚した、若者の大量殺人事件が市民の反感を買い、
赤軍系はよりどころを失ってしまいました。その後「よど号、ハイジャック事件」等
海外に生きがいを求め左翼系は弱まって行きます。
これで、暴力団体質を残したまま、自民党の天下が訪れたのです。
体制側としては、利用した暴力団関係が体制組織として、邪魔になってゆきます。
それで暴対法や色々な法律を作りますが、暴力団もどんどん巧妙になっていきます。
そして今日の暴力団・右翼・自民党との腐れ縁の劇場を国民はみているのです。
何も出来ませんが?要するに右よりで強いもの勝(資本=金・人間共)のバランスのとれない社会で、
私にしては抽象的表現ですが、
「昔、日本にあった時間や空間の、やさしさ、思いやり、正義、勇気、自制(自分を律する心)の厳しさ等」は、
私も含め、皆どこかに、置き忘れてきたようです。

特に今の時代、正義や勇気のあり方が、一般市民にとって危険を伴うことが多く、
道理の通らない、気違いに刃物的事件が多いのが気になります。
反対に今韓国では、左翼政権が長かったため、立場を替えた、日本と同様の事件が、
アメリカ牛肉(狂牛病)問題を契機に起こっています。これには中学生くらいから運動に参加しており、
市民全体が騒動に巻き込まれているようです
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国家って何?

2008年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム


1、教育について、
私は、小さい頃から勉強は好きでなく、チャンバラごっこ、紙芝居、映画等遊び大好きの人間でした。
学校の授業をサボって映画を観ていた私に小学校の先生は
「そんなに映画が好きなら弁当を持って映画を見に行って来い!」といわれて
実際にそうしたこともありました。そんな私は、
親の意見である「今からは良い大学をでて、国の基幹産業で働けるよう勉強しなさい」と言われ、
あまり目的意識もなく大学へ進学しました。当然のことながら勉強が嫌いですから、
年中遊びやっと卒業できるくらいの成績でした。そういうことですから、就職もままならず、
親の紹介で鉄鋼商社に入社し、結婚し、このままではいけないと思い、
給料の高い企業を受け直し、建築関係の会社に再就職しました。


今になって思うことですが、子供には小さい頃から目的意識を持つよう指導し、
将来どんなことをしたいか考えさせ、また、
もっと大いに自由に遊ぶ時間も与えるべきではないでしょうか?
また、今のように小さいころから、塾通いし、いい大学をでて、いい会社に勤め、
ということが果たしていい教育でしょうか、
また、数学や理科が全世界の何番目で改善にはもっと教育を、と言ってるのを耳にしますが、
果たしてそうでしょうか?私などは文化系ですので、世の中にでてから、
数学の足し算・引き算そしてめったに出てきませんが割り算、掛け算でみんな間に合ってしまいます。
よい大学を出させ、みな管理職にするつもりなのでしょうか、
管理職はほとんど実務に役立たないものです。
そういう人をたくさん作ってもあまり意味がないのではないでしょうか?
これは給料制度も絡んでいますが、もっと専門分野の人間や、
技術者、芸術家等幅広い教育方法を考えるべきではないでしょうか。
今の日本の教育制度は中国の科挙制度を思い起こさせます。

2、思想について
民主主義と資本主義はイコールでしょうか?民主主義と共産主義はイコールでしょうか?
資本主義は独占資本という巨大資本の独裁者を生み、共産主義はなぜか、
レーニン、毛沢東、金正日のような、一人の人間独裁が生まれます。
情報の公開が資本主義において唯一の救いですが、中国が情報公開をうまくやり、
一党独裁を変化させたら、アメリカは仮想敵国を失うのではないでしょうか、
ま、当分中国はそういうことはないと思いますし、
日本を戦前の侵略軍国家のようなところだと若者に教育する、不気味な国ではあります。
戦後生まれの私にとって、中国の若者に私たちが侵略して人でも殺したのって言いたくなります。
歴史と現実をごっちゃにした変な教育でしょう?
またチベットに軍隊を差し向け侵略した国ですから偉そうなことは言えない国です。

アメリカはよせばいいのに世界中を私の民主主義(本当はアメリカ資本主義=拝金主義と思います)が
正しいといってイラクと戦争してしまいました。
バックの利害関係者は武器商人(武器を売らないと商売あがったりの連中)や、
石油商人だと言われています。ブッシュ政権は国内の台風でさえ、国民を守れないことや、
戦死者が多く、いまは国民からそっぽを向かれています。

そして日本では、日本の古くからの代表的業界である建設業界で
一級建築士が売主や施工者の言われるまま金儲けのために、
偽装設計を行い大変な問題になっています。又それを国から委託された検査機関が見逃すという、
官民癒着の構図をあからさまに露呈してしまいました。
密告と告発の違いは何でしょう、国語の解釈とは違うと思いますが、
前者は自分の保身のために(不正とか良心が判断できない人)告げる行為、
後者が国民や全体のために告げる行為として日本の文章には書かれているような気がします。
狂牛病で告発した人は後者に属すると思いますが、国も含めた日本的村社会につぶされたようですね。
あの責任のなすりあいを見ていると、正義とか良心とか口にできない国ですよね。
民主主義をもう1回見直す時期にきているのではないでしょうか?

3、軍隊について
上記の、その日本が憲法を改正し自分の国は自分で守ろうって言ってるのですよ、信用できますか?
また裏に武器商人かアメリカがいると思いませんか?いまさら軍隊を持ったところで、
IT戦争の今、中国はおろか、インドやパキスタンにも勝てないと思います。
国連を中心とした防衛体制を真剣に考え、国の借金をこれ以上軍事費で増やさないでほしい。
ちなみに戦後の日本は軍事費がなくて成長しました。又国の借金もありませんでした、
それを変えたのは良くも悪くも、1975年の田中角栄とその著書列島改造論と
それに便乗した大蔵大臣福田赳夫、大平正芳と大蔵官僚のタブーとされた、
建設、赤字国債の大量発行からです。

戦後すぐの生まれの私は、折りに触れ戦争の悲惨さを聞かされてきました。
しかし私たちはそれを子供たちに、自分が体験しているわけではありませんので、
伝えることをしてきませんでした。それが現在の風潮になっているのかも知れません。
映画24の瞳では、言論統制や天皇陛下万歳といって若年兵が出兵し
戦死して骨だけが帰ってくる場面が表現されています。
報道の自由もない、町内会(昔は、反戦的思想を監視するため、町内でグループを作り、
町民同志で監視しあい、密告などが日常茶飯事だったそうです。)などの組織で
監視しあうような世の中に戻りたいのでしょうか、そこまではならないと思いますが。
もう少し戦前のことをしっかり情報公開し、国民的議論をしたらどうでしょうか?

4、国家とは
国家って何でしょう、人間が作り出した縄張りに過ぎないのではないでしょうか。
国の境界がなくなれば、パスポートがいりません、
通貨も一つですみます(為替リスクやヘッジファンドなどという金融博打もなくなります、
外国資本などという考えもなくなります他にもいろいろメリットがあります)、
グローバルな会計、といっても所詮お金の話です国境をとりさったら、
いまのように複雑にしてマニアアックに遊んでいる会計(貧乏のひがみ?)でなく、
もっと単純明快な判り易い会計になると思います。派閥争いはあるでしょうが、
すくなくとも国家間の戦争はなくなります。警察は必要ですが軍隊もいりません
(宇宙の侵略者には必要かもしれません)。何千年後か、何万年後かそうなっているといいですね、
その間を埋めるのが国連の役目だと思います。当分ないと思いますが?

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ライブドア事件

2008年08月09日 | 国内不正・汚職事件
ライブドア事件Raibu
ライブドアの問題について、今から判ってくるのでしょうが、
利益の付け替えという意味がどうもわかりません。というのは、
会社の売上や利益がどうやって別の会社のものをライブドアの会社の売上げや
利益として付け替えできるのでしょう(合併ならあり得ますが)。

もし報道の通り、メールのやりとりであの会社に売上げを上げろ、
代金を入金させろと指示しているのであれば完全な粉飾になります。
そんなことは知識のある財務担当責任者がやるでしょうか?
もしそんなことをやったとすればその責任者は株にはくわしいが、
決算関係では相当な素人といわざるを得ません。

なぜなら、売上は、一時的にしろ、継続的にしろ、契約という相手との合意に基づきなされるもので、
メール発注・受注(継続的取引の場合)のやりとりとりはあるかもしれませんが、
相手との契約に基づかない売上や利益のやりとりはあり得ないと思うからです。
私は株に関しては相当な素人ですから、そ
んな便利に売上げや利益が計上できるのなら過去に教えていただければ、
資金繰りにもっと苦しまなくって良かったと思います?

昔不動産業者では金融機関と組んだ土地ころがしという手法が盛んに用いられました。
簡単に言うと、Aという会社とBという会社があります、例えば開発の場合、
土地を造成し完成するまでには3年かかると仮定(実際には7年ぐらい係りますからもっと複雑です)します。
先ず1年目大手Aが土地を購入し、
Bという知識はあるが信用力のない会社に次の1年(2年目)の契約で開発を依頼し
売買契約書を交わし保証付きで土地を売却しますこのとき大手Aはかなりの利益を先取りします、
3年目に開発許可のおりた物件を買い戻し最終ユーザーに売渡すのです。
この売却資金(と言っても金融機関からの借入ですが)AやBの人件費や一般経費を捻出していたのです。
ただここで問題なのは、A、Bの信頼関係です、商売ですから、それぞれが利益を主張し、
その売買での利益の配分について、争いがおき醜い争いに大体なります。
これらの行為は大きな意味では(1年決算制度だから仕方ないと一部経営者はいうのですが?)
合法的ではありますが粉飾の一種だと思います。

またその時もし利益の先取りをしすぎると(かなり多くあるようですが)どこかで、
売渡した会社や買受会社に歪みが出てきます。
この例はまだ良心的ですが、何の根拠もなく、高い値段で土地を転がし、
最終的にユーザーに売れないような高い価格で買わされた業者も多数あると聞いています。

なぜ、このようなことが起こったかというと、
戦後経済の発展に土地神話というものが大きく係わったことによると思います。
経済の血液である金融の貸付の部分が土地融資に走りました、
土地は絶対に下がらないからという理由で土地さえ担保に差し出せばお金をいくらでも貸し出したのです。
金融が土地本位制と呼ばれた時代です。金融機関自身や金融機関によるノンバンクを通じた迂回融資は、
審査やリスク管理が甘く、不動産業者の提携ローンなどを通じ資金が流出し
、後の住専問題に繋がっていきます。
しかしやがて土地の高騰から、国は国土法という法律を作り、
土地取引を事前に届け出るという規制を行いました(現在は事後報告)。
まもなくバブルは崩壊し、土地さえあれば崖地でも融資した不良な融資は、
不良債権と化し金融機関は大きな痛手を受けました。

私達は生活するうえで財やサービスを消費します。
自給自足の経済では自分で消費する分は自分で生産しますが、分業が高度に進んだ現代では、
主に企業より生産された財・サービスをお金で払って購入します。

財・サービスの購入に必要なお金は、労働力を提供するなど、
何らかの形で生産活動に参加することで受け取ります。
受け取った所得を財・サービスの購入に支出するという一連の流れが経済活動であり、
こうした個人の経済活動は主に「家計」というひとつのまとまった単位で進められています。
企業の生産活動や、個人の所得から税金という形で政府にお金が流れます。
そのお金で国民の生活の基礎部分(建前?)を整備していきます。

またこうしたまとまった単位は「家計」「企業」「政府」とそれぞれの活動をおこなっており、
またそれぞれが提供しあって経済全体は動いているのです。 
しかし、政府・家計の部分はわりと透明ですが、
企業の部分の情報公開と倫理が後れているような気がします。
そのため土地バブルや、ホリエモンの問題が起きるのではないでしょうか?
企業の倫理が企業のためのものであればいいという時代からの脱却が必要ではないかと思います。
上場企業(店頭含む)は1%に過ぎません。
その中の上場企業でさえ上記のような問題を起こすのです。
他99%の企業はどうなっているのでしょう。経済はいまだに正解はないようですが。

追記
過去に野村證券の田淵社長はバブル崩壊で株式相場の暴落が始まり、
TBSなど大口顧客への損失補填(ほてん)、東急電鉄株の大量推奨販売、
広域暴力団「稲川会」との取引など相次いで不祥事が表面化して、
就任間もない経団連副会長を解任され、業界団体の証券業協会の会長職の再任も辞退しました。
その後、総会屋への利益供与事件が発覚、野村証券の経営から完全に手を引いた事件がありました。
証券も闇の部分がいっぱいありそうですね。汗水流して働く人は報われるの?

ライブドアの決算をどう粉飾したか(2006年2月マネー経済より)
投資組合を利用した不透明な買収は、バリュー社だけでなく、ライブドア本体でも5件が判明しており、
04年9月期~05年9月期に集中している。いずれも、
ライブドアが新たに株を発行して相手企業を買収する手法だが゛、

実際には、ライブドアグループが出資する「M&Aチャレンジャー1号投資事業組合」
「JMAMサルベージ1号投資事業組合」が企業を買収し、
ライブドアの新株は投資組合に渡る仕組みだった。両組合もやはりグループが支配していた。
堀江容疑者らは、組合に入ったライブドア株を売却。
その売却益をいったんスイス系金融機関の匿名口座や仮名口座に裏金としてプールした後、
組合からの配当という名目で、子会社の「ライブドアファイナンス」に還流させていた。

還流した売却益は、ファイナンス社の売り上げに計上することで、
グループの連結決算上も売り上げに計上されたほか、
ファイナンス社がライブドアに広告などを発注したように装ってライブドア本体にも付け替えられ、
本体の売り上げとしても計上された。
このほか、ライブドアは、04年9月期決算後に完全に子会社化するため買収交渉を進めていた
消費者金融「ロイヤル信販」(現ライブドアクレジット)、
結婚仲介サイト運営「キューズ・ネット」の預金などを、
同期のライブドア本体の売り上げに付け替えていた。
こうした三つの手法で粉飾された額は、連結ベースで数十億円に上っていた。」ということです。

金融の売上は預金もいいんですか、顧客の預り金ではないんですか?
また株の売却益も色々操作しているようですが、会計に遠ざかっているので、
最近のグローバル会計制度についての知識はありませんが、
たしか継続的な株の売買であれば、収益計上でき、一時てきなキャピタルゲインは、
特別損益と教わったような気がしますが?

村上ファンド村上社長、楽天の三木谷社長、ソフトバンクの孫社長、証券会社、銀行も
上記は売上にするんですか?そんなはずはないですよね?マネーゲームではなんでも売上になるの?
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