不良おやじの小言

思いのまま、自分で考え 人の生きる人生を認めた上で 

自由に、のびのびと、たった一度の人生

ホッとする宮沢賢治

2009年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム

先日スキーの帰りに吹雪の中花巻の宮沢記念館に行ってきました。                                     

宮沢記念館はバス停から500メートルばかり上った丘の上にあるため、
降り続く雪で10センチほど積もった雪道を悪戦苦闘しながら登り、入場しました
。記念館には人影はまばらで従業員の数の方がおおいようでした。
37歳で亡くなった宮沢賢治は有名な詩や童話を残し、純粋なまましんでいった人のようにおもえました。
こんな人が全世界のあちこちにいるのでしょうが、死んでしまってから有名になっても?
とおもいながら「雨に負けず---」とつぶやいていました。

宮沢賢治の詩

雨にも負けず、?風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ、丈夫なからだをもち

慾はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と、味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを、自分を、勘定に入れずに

よく見聞きし、分かりそして忘れず

野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにデクノボーと呼ばれ、褒められもせず、苦にもされず

そういう者にわたしはなりたい

賢治は宗教に走ったり、いろいろ悩み、先生を捨て、まずしい農業者の助けになろうと、
自分の学んだ技術を農民に教え、指導にあたったりしています。

こんな人が殆どだったら世の中平和だったのに、わたしには到底無理な、
無料奉仕のボランティア精神がある人だと思います。

そんな賢治を見ていると、なぜか人間としてホットするのです。

わたしは俗世間にどっぷり使った、色も欲もある人間です。
私は企業に入り何かにつけ、権力欲、色欲、金銭欲、名誉欲、出世欲、等をさんざん見せつけらました。

企業の人事や人間関係といっても、自分があの人やあのグループに入ったら、有利だとか、
おいしい思いができるとか、出世間違いなしとか、
所詮本当の人間関係ではなく利害関係に基づく人間関係にすぎないとおもいました。

要するに権力を見極めそれに媚びることが、サラリーマン最善の策なのです。
その見極めは、今の世の中ではお金を支配している権力者です。
私は無知でその方面の能力がなく、できませんでしたが。

現在マスコミ得意の勝ち組・負け組でいえば、何しろ資本主義ですから、
お金を持っているものが能力に関係なく勝ち組なのです。
お金を多く獲得しさえすれば英雄であり、時のひとです。それは手段を問いません。
献金を強制する宗教法人でも、株屋でも、銀行屋でも、商社でも、クレジット屋でも、
経営者でも、何しろお金を稼ぎさえすれば時の人、英雄です。営業優先金、金、金です。

また、よく営業で見かける、研修を商売にしている会社の研修の時、
研修特訓で全員挨拶をさせ、上司が部下をしかり、気持ちを高ぶらせ、
部下が涙して誤り上司と抱き合い、翌日から心を入れ替えがんばるという研修の場面をよく見かけますが、
それで本当の効果などあがるものではありません。

それで成績が上がったらそういうところを見せてもらいたいものです。冷静に分析すれば、
市場だったり、集客力だったり、商品の安さだったり、高くてもその商品の良さだったりするものです。
接客による成績の上昇等微々たるものです。私が、会社が傾いて調査や出向したりした所など、
そういう悪い精神論が横行しているところばかりでした。

その精神論を捨て、通常通り、市場を調査し、製品の良い点を理解し、
顧客側のことを考え対処すれば、通常に戻り、成績も普通になります。

もともと精神論が普通より業績を悪くさせていることが多いのです。
適度な競争は必要でしょうが、知識や経験のないままに競争させることは、
押込み販売やお客に嘘をつく(知識があって行う場合は問題ですが、
殆ど解らずに生返事しているケースが多い)等かえって弊害が多いのです。

歴史的にも精神論が横行するようになると大体会社も国もだめになります。
日本の敗戦当時も憲兵がやたら権力を持ちアメリカに敗戦してしまいました。
人間は歴史に学ばず、繰り返すのでしょうかね?

研修による拡販など絵に描いた餅なのです。粉飾の方法もありますしね。

しかしそれも企業のサラリーマンは権力者を中心にした上下関係であるから、
それぞれが演技しているわけです。悲しい習性ですよね、
ただ研修会社を儲けさせているだけだとおもうのですが。
人事担当役員等はそれによって研修会社からバックマージンをもらいホクホクかも?

私などは、小さい頃は別にして、企業に入ってからは、
どうせ裏で悪いことしなければ金持ちなんかになれるわけがないはず、とずっと思っています。

だから歴史上の人物で英雄と言われる人は、絶対に権力操作で、マスコミや検察を自由に操り、
甘い汁を吸っている人だと思っているので、一人も信じたことがありません。
私は、自分が英雄になれないものだから、相当のひねくれ者ではあります。

だから花巻でも新渡戸稲造のところは素通りし、宮沢賢治記念館です。
それでその権力にはかない抵抗を試みる人たちに感動を覚えるのかもしれません
しかし賢治等はそれを超えているような気がします。
それは全てを一回捨て去っているところに本質があるようです。

安定した教師の世界に安住せず、農民を助けたいと思った所に凡人と違うところがあるのだと思います。
単なる一か所では満足できない飽きっぽい人間の要素もあったのかもしれませんが、
その農民を助けたいと思ったこと自体、私にはできないことです。
まず私なら「教師を辞めたら私はどうなるの?家族はどうなるの?」と考えるのが普通です。

それを、本当に教師をやめて自ら農民となり、技術指導するということは凡人にはなかなかできません。
そしてそのため体を壊し、最後は東北砕石場の主任技師となり、37歳の若さで死んでいくのです。

彼は日本無産党といって共産党と同じ思想として、当時の馬鹿な官憲から目をつけられていたようです。

ということは私もそんな意識はないのですが、要素を持っているのかもしれません。

しかし、特定の党や特定の宗教など、とんと興味がありません、
そんな党や宗教に見返りを求めて所属した所で、寄付金を取られるだけで見返りの保証等ありません。
見返りを求める事自体、汚職に通じるものがあります。

民主党小沢代表問題も何故今なのか、何故権力を行使する側の摘発ではないのか、
権力行使側やお金持ちの妖怪、外国の思惑等が見え隠れしているようですね。

というのも色々噂はあるかもしれませんが、
小沢代表の側には税金を使って国を動かす権力はありません。
それがこの時期に?ということです。
何か作為を感じても不思議ではないでしょう。

今もCIA・KGBなど、各国にスパイ制度はあるようですが、
所詮それも金が絡んだ利害関係にすぎませんよね。国家間の縄張り争いにすぎませんから、
人間の尊厳とは程遠いものがありますよね、

果して、この情報操作に日本国民は今まで通り流されてしまうのでしょうか?
こう考えていくと、交換の手段であるお金は罪悪の源泉のような気がします。
物々交換の時代に戻しませんか?そんなことできるわけがないよ!ですかね。
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