
トゥンジュク村の入口(撮影:キクチ)
フェイスブックを見ていないみなさんへ。
-------------------
バリで勉強中の超新人キクチがフェイスブックに投稿をしていました。
とても気合いの入った良い文章だったのでご紹介しておきます。
キクチは今月27日の小原公演に参加します。
当日に帰国してその足で公演会場に駆けつけるそうです。
若者がうらやましい。
(か)
-------------------
キクチからの便り。(9/15:フェイスブックより)
誰かに発信するようなことでもないです。自分のための投稿。
あと10日でわたしの夏休み(バリ滞在)は終わるのだけど、誰もがそう語るようにやっぱりわたしも焦りを感じ始めました。たった2ヶ月間の話なんだけど、その中での出来事を頭の中で整理しようとすると余計に収集がつかなくなります。
ひとりで考えてもループするだけで、多分残り少なくなった滞在期間に対しての焦りに加えて、大学生によくある(はずの)自分何やってるんだろうっていう無駄に考え込んでしまう時期が重なってしまったんだと。
自分が何を見て、何を感じて、何を勉強したかというのは、本来なら毎日日記を書いて残しておくべきだったんだけど、怠惰な性格のせいでノートはところどころ空白が目立ち、見返すとそのぽっかり空いてしまった部分が何かを訴えてくるようで、なんだか情けない気分になり、あまり読む気にはなれないです。
でも昨日までのトゥンジュクは、この夏休みで一番考えさせられた数日間になりました。それはいまの時点ではどうにも消化できないことであり、帰ってからも考え続けることになると思うんだけど。
そもそもどうして自分がバリに来たのか、どうしてガムランを勉強したいと思ったのかなんて理由はもうほとんど忘れてしまったし、あったとしても後からこじつけたようなもので、もしかしたら最初から理由なんてなくて、ただ好奇心が働いただけだったのかもしれない。
もう少し大人になってから、例えば社会人になってからガムランのことを知っていたら、きっとこんなにはなってなかったと思う。学生っていう自由なご身分だから好きにできたんだ。
将来に対する不安がまったくないわけでもないんだけど。でもできるならば今してることを大人になっても続けたいし、こういう何か文化的なことをひとつの柱とした生活を送るのもいいなとも思えるようになった。それはいろんな生き方の大人とたくさん出会えたからでもある。
もし2年後、3年後、ただの社会人になっていたらきっともうわたしはバリには来れないだろうなとも思った。とくにトゥンジュクの人たちに申し訳なくて。
それだけ村の人たちに良くしてもらった。言葉もろくに喋れないのに、どうしてこの人たちはこんなに優しくしてくれるんだろうって何度も不思議に思った。
これはバリ人と接した日本人なら誰でも抱く感情なんだろうか、バリの人たちのあたたかさは誰にでも共通なんだろうか。
もしそうであるなら、自分はただ外国人のお客さんという立場でチヤホヤされそれに自惚れただけということになるし、そんなことをこんな公衆の場で自慢気に話したならばもっと恥ずかしい。
ひとりで村まで行けるようになると、不思議とそれまで心の片隅にあった不便さや汚さに対する不満はなくなり、むしろデンパサールよりも居心地がよく感じるようになった。
今回のトゥンジュクは、後輩がバリに持ってきていた教授の著書と一緒に過ごした。30年前に同じ場所で起こった出来事を読むなんて、すごい贅沢なことだなあと思いながら。
30年前にもやはり、トゥンジュクの人たちのあたたかさはあった。しかしその本の主人公と自分とでは立場は全然違う。
普段はあんまり口にはしないけど、わたしのこれまでの経験はほとんど教授のおかげと言っても過言じゃない。
そうじゃなければ、人と人とがあんなに親しく、日本じゃ息苦しくなってしまいそうなあの近すぎる空間に、外国人がひとり入っていけるわけがない。しかも芸能一家という恵まれた環境に。
覚えてもすぐに忘れてしまうのに半日中お稽古をしてくれる先生が他にいるんだろうか、わからない言葉があると一緒になって辞書をひいてくれる息子さんやその奥さん、学校から帰って眠いと言いながら先生の代わりに練習に付き合ってくれるお孫さん、朝の4時までほぼ無言で芸能を観に付き合ってくれた口ひげの立派なおじさん。他にもたくさん。こんなにお世話になるとは思わなかった。だから、わたしはスマンディさんの家族や親戚にこの感謝の気持ちをどう伝えていいのかわからない。
だから、わたしはできるだけ長くこの人たちと付き合っていきたいと思った。感謝の気持ちをちゃんと伝えられるようになるまで。
それから、日本でガムランが出来るとか、グンデルが出来るとかまだまだ口が裂けても言いたくないとも思った。わたしは10歳の男の子にも敵わない程度の技量しかなくて、それなのに出来るとだなんて胸張りたくないなあと。そんなのなめてる。バリ人にはなれないけど、バリ人と同じくらい演奏できるようにいつかはなりたいと、自分にとってはかなり大胆な目標を抱くように、ついになってしまった。
特に自分に才能があるとも思ってないし、長く続けたいと思っていても本当にそんなことができるのかわからないし。ましてや、この気持ちが一時のものであり日本に帰った途端薄れてしまうかもしれない。
でもこうやって考えたことが、もしかしたら自分の転機になるのかもしれないなあとも。そんなことは後になってから気付くものだけどね。