寒い日になった、本格的な冬がやってきたようだ
大阪府南河内郡河南町の山の中を歩いてきました、
太子町から南河内グリーンロードの平石トンネルを抜けて ~ 大阪府道704号竹内河南線を山の中へ入って行く ~ 道路脇に車を停めて ~ 高貴寺へ ~山の中を 磐船大神社へ ~ 道幅はまあまああるが、ほとんど人が通った形跡がないような道を下って行く、道標によれば “ 河内ふるさとのみち ” らしい ~ 平石集落の端にでた、“ 此山頂平石城址 ” の道標あり ~ 山頂を目指して登って行く
行き交う人は誰もいない、年末の風は冷たい !
↓ 高貴寺にて


相当古い墓や石仏も

現地の説明文より抜粋
伝えるところによれば文武天皇の御代役行者が法華経二十八品に配して葛城山の峯々に開いた二十八霊場の内、当寺は第二十五品の観音経普門品に配当されるものであった ・・・・
大阪府の史跡に指定されている、役行者さんの時代なら相当古い歴史なのだ
杉林の中の寒い道を歩く
↓ 磐船大神社にて

両脇にある自然石の燈籠は3m弱ありそうな大きなものだ



山の斜面に巨大な岩だ! 高さは背丈よりもっと高い

どんな猛獣がいるのだろうか?

境内に 「 河内ふるさとのみち 」 の道標あり、平石城跡へ 1.1Km と書いてある、これくらいの距離なら歩けるだろう

河内ふるさとのみち を下って行く

「 此山頂平石城址 」 の道標


落ち葉満載の緩い坂を登って行く、見事な落ち葉の絨毯だ!

小高い山頂が城址である
石垣もなく一目見て城址とわかるものはない
城址に詳しい人が見たらわかるのだろうが、私では解らない

小さな祠と文字が刻まれた自然石、かなり古いようだ

城址より 木々の間から白石の集落が見える
平石城は、この地の豪族平岩茂直が、楠氏の赤阪挙兵に応じて築いた城である。 元弘元年 ( 1331年 ) 赤阪城攻略にむかう関東軍は、平石峠を越えて大和から河内に進入したが、茂直はこの城に拠って防戦した。
その後正平14年 ( 1359年 ) 、足利勢が河内に攻め入った時、楠木正儀は17の城を整備してこれを防ぎ、この城も17支城の一つとして修築して茂直の子茂幸が防戦した。 ・・・・ 現地の説明文より

府道沿いの道標、集落の中を高貴寺そばの駐車地へ戻る

寒さにめげず黄色い花は美しく咲いている
寒空の中 2時間半程の低山歩き、歩数計は 7,295歩 になっていた。