大和の古代遺跡探訪に出かける
奈良時代に稗田阿礼(ひえだのあれ)と古事記を書いた人物の墓へ
愛車のSuperCubで、のんびりゆっくり ~ 奈良公園の少し南から県道80号=奈良名張線に入る。
奈良奥山ドライブウエイの入口を左に見ながら坂を登る、快適な広い道路が少しだけ~狭いクネクネ道になってくる ~ キョロキョロしながら走ってゆくと 「太安萬侶墓」 の標識が見えた ~ 指示通り進むと山間のマバラな集落の中に墓はあった

小高い山の中腹・南斜面に太安萬侶さんは眠っているのだ

道路脇にこれが建っていた
途中でちょっと迷ったりしたので、家から1時間余
対面には白いキレイなトイレがあった

雑木林の山の斜面・茶畑の中に眠っていたのだ

奈良市此瀬町の茶畑の中に、直径4.5mの墓に眠っていたのです。
昭和54(1979)年1月に地元の農家の人に見つけられるまで、1200余年も健やかに安眠されていたのだ
見つかったのは遺骨・真珠・漆喰の断片・墓誌の断片などで、当時 “大発見” で報道関係者や見学者で大混雑したらしい
奈良時代の上級官人の墓としては、このように規模、構造、遺物の出土状況等が明らかにされた例はまれであり、昭和55年2月に史跡に指定された・…現地の説明文より

墓には赤いさざんかが咲き、その横には桜の古木が寂しそうに佇んでいた

正面には花立と賽銭箱があるが訪れる人は少ないようだ
見学中に出逢ったのは子供連れの1家族だけだった

奈良市内といえどこんな山里である
当時、車の無い時代には、奈良の都からはかなり遠かったはずである、なぜ?この場所に墓を造ったのだろうか?
そんなことを思いながら~針TRSへ寄って休憩~名阪国道沿いを走り~福住~天理~トコトコ帰りました。
奈良時代に稗田阿礼(ひえだのあれ)と古事記を書いた人物の墓へ
愛車のSuperCubで、のんびりゆっくり ~ 奈良公園の少し南から県道80号=奈良名張線に入る。
奈良奥山ドライブウエイの入口を左に見ながら坂を登る、快適な広い道路が少しだけ~狭いクネクネ道になってくる ~ キョロキョロしながら走ってゆくと 「太安萬侶墓」 の標識が見えた ~ 指示通り進むと山間のマバラな集落の中に墓はあった

小高い山の中腹・南斜面に太安萬侶さんは眠っているのだ

道路脇にこれが建っていた
途中でちょっと迷ったりしたので、家から1時間余
対面には白いキレイなトイレがあった

雑木林の山の斜面・茶畑の中に眠っていたのだ

奈良市此瀬町の茶畑の中に、直径4.5mの墓に眠っていたのです。
昭和54(1979)年1月に地元の農家の人に見つけられるまで、1200余年も健やかに安眠されていたのだ
見つかったのは遺骨・真珠・漆喰の断片・墓誌の断片などで、当時 “大発見” で報道関係者や見学者で大混雑したらしい
奈良時代の上級官人の墓としては、このように規模、構造、遺物の出土状況等が明らかにされた例はまれであり、昭和55年2月に史跡に指定された・…現地の説明文より

墓には赤いさざんかが咲き、その横には桜の古木が寂しそうに佇んでいた

正面には花立と賽銭箱があるが訪れる人は少ないようだ
見学中に出逢ったのは子供連れの1家族だけだった

奈良市内といえどこんな山里である
当時、車の無い時代には、奈良の都からはかなり遠かったはずである、なぜ?この場所に墓を造ったのだろうか?
そんなことを思いながら~針TRSへ寄って休憩~名阪国道沿いを走り~福住~天理~トコトコ帰りました。