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Bike&SlowLife

バイクとカメラを愛し、自然を愛し・美しい風景を愛して、ゆっくり生きてる奈良県に住む気分は若者の雑記帳です。

太安萬侶墓

2011-03-05 | ツーリングレポート
大和の古代遺跡探訪に出かける

奈良時代に稗田阿礼(ひえだのあれ)と古事記を書いた人物の墓へ



愛車のSuperCubで、のんびりゆっくり ~ 奈良公園の少し南から県道80号=奈良名張線に入る。
奈良奥山ドライブウエイの入口を左に見ながら坂を登る、快適な広い道路が少しだけ~狭いクネクネ道になってくる ~ キョロキョロしながら走ってゆくと 「太安萬侶墓」 の標識が見えた ~ 指示通り進むと山間のマバラな集落の中に墓はあった




小高い山の中腹・南斜面に太安萬侶さんは眠っているのだ



道路脇にこれが建っていた
途中でちょっと迷ったりしたので、家から1時間余

対面には白いキレイなトイレがあった



雑木林の山の斜面・茶畑の中に眠っていたのだ


奈良市此瀬町の茶畑の中に、直径4.5mの墓に眠っていたのです。
昭和54(1979)年1月に地元の農家の人に見つけられるまで、1200余年も健やかに安眠されていたのだ

見つかったのは遺骨・真珠・漆喰の断片・墓誌の断片などで、当時 “大発見” で報道関係者や見学者で大混雑したらしい

 
奈良時代の上級官人の墓としては、このように規模、構造、遺物の出土状況等が明らかにされた例はまれであり、昭和55年2月に史跡に指定された・…現地の説明文より




墓には赤いさざんかが咲き、その横には桜の古木が寂しそうに佇んでいた


正面には花立と賽銭箱があるが訪れる人は少ないようだ
 見学中に出逢ったのは子供連れの1家族だけだった


奈良市内といえどこんな山里である


当時、車の無い時代には、奈良の都からはかなり遠かったはずである、なぜ?この場所に墓を造ったのだろうか?

そんなことを思いながら~針TRSへ寄って休憩~名阪国道沿いを走り~福住~天理~トコトコ帰りました。


コメント
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