静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 人の命を奪う罪と罰 ≫  再び問う: 反省/更生の可否&期待は 遺族の赦しを超えて余りあるか?  死刑は”近代国かどうか”の浅はかな踏み絵ではない

2018-07-19 19:58:23 | トーク・ネットTalk Net
 14年前、茨城で起きた女子大生殺人事件に対する検察求刑につき、今日の報道でまたまた、おなじみの光景が展開された。お馴染みとは、弁護側の展開する「反省/更生のチャンス」に訴えかける非論理/情緒論法だ。  此の訴えかけは「犯行時の精神不全を検証してくれ」という精神鑑定要求の投げかけと同次元。それは≪もだし難い発情、とっさの情欲、計画性は一見無い≫かに見える流れを構成する犯罪行為? なら弁護士が必ず使うツールだ。 

 でも<精神不全/異常、或は瞬時の錯乱>が犯罪のエネルギーであったことを証明することが、何故、殺人の倫理的「罪 = Sin」まで赦すことにつながるのだろう? 貴方は赦せる?
つまり、計画的な殺意準備が立証されねば、いつでも<”とっさで”瞬間おかしくなっただけです”>で逃げられるのか?  それで、好いのか?という根本的疑念なのだ。
 医学的な問いではなく<何故か、あの瞬間、ふと可笑しくなっただけなんです・・・>が殺人の言い訳になリ得る、その『更生/精神療養を信じる』刑法理念そのものへの私の疑問だ。

幸い、私は今のところ、身内に殺人事件の被害者も加害者も持たない。然し、それとは無関係に「罪と罰には例外を一切許さない人類普遍の原理がある」を肯定する。
なので、精神異常/精神不全/過去の前歴などという周辺要素で言い逃れ/罪逃れを赦す余地を含む現在の法体系は、どうしても整合しない。人的情意としても受け入れられないのだ。
 例えば私の息子が殺人を犯したと仮定しよう。 其の際、私は理由/精神状態を問わず、定められた法規体系に従い、死刑も受け入れる。誓って命乞いなどせぬ。   < 終わり >
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