2日目の朝は摂津と山城の國境、天王山に登った。標高は200m余りだが、淀川を山が挟む地形なので傾斜が思いのほか厳しい。然も、登山道が降雨には川となってしまうらしく石でゴロゴロ。とてもハイキング気分どころではなく、登山靴でなければ足が堪えるなと思っていたら、案の定、足がヘロヘロになっただけでなく革靴の底が外れてしまった。そんなハプニングはあったが、山頂手前の<旗立松展望台>からは北東に明智・羽柴両軍の古戦場《 写真:左 》が見え、西南には大阪平野《 写真:右 》が一望でき、戦略的要衝であることがわかりやすい。折しもNHK大河ドラマで重要な場面の舞台でもあり、好天に恵まれたのを感謝した。
山を降りて「大山崎山荘美術館」へ 《 写真:左 》。この建物は、ニッカウヰスキー創業を支援した実業家の山荘が紆余曲折の末に荒廃したため、京都府/大山崎町の要請もありアサヒビールが買い上げ、美術館としてスタートした。安藤忠雄氏の設計による地中展示場にある何枚かの睡蓮<モネ>を売りにしているようだが、率直に言って視力が衰えたモネ最晩年の作ではないかと疑いたくなるほどに色調も筆致もぼやけており、壮年時代に描かれた作品を観た者には、まるで老醜を直視させられたかの気分だ。 皮肉なことに、山荘の内装・外装とも素晴らしい木材が惜しげなく使われ、建築の美に寧ろ感銘を受けてしまった。明治・大正期にはまだまだ立派な巨木がふんだんに有り、大工の匠も多かったからこそこれほど贅を尽くすことも可能だったのだな、と改めて時の移ろいに想いを致した。
美術館のあとはサントリーのウヰスキー工場見学へ。発酵工程では麦汁から出る匂いに接し、嘗てミュンヘン市街で嗅いだのと似てはいるが少し違うなどと独りごつ。貯蔵倉庫では経年ごとに樽の中のウヰスキーの色と分量が変化するのを観る 《 写真:右 》。
そしてテイスティングへ。 これが残念ながら、質量ともに期待外れのサーヴィスであった。 有料なのに、むむむ・・・。
山を降りて「大山崎山荘美術館」へ 《 写真:左 》。この建物は、ニッカウヰスキー創業を支援した実業家の山荘が紆余曲折の末に荒廃したため、京都府/大山崎町の要請もありアサヒビールが買い上げ、美術館としてスタートした。安藤忠雄氏の設計による地中展示場にある何枚かの睡蓮<モネ>を売りにしているようだが、率直に言って視力が衰えたモネ最晩年の作ではないかと疑いたくなるほどに色調も筆致もぼやけており、壮年時代に描かれた作品を観た者には、まるで老醜を直視させられたかの気分だ。 皮肉なことに、山荘の内装・外装とも素晴らしい木材が惜しげなく使われ、建築の美に寧ろ感銘を受けてしまった。明治・大正期にはまだまだ立派な巨木がふんだんに有り、大工の匠も多かったからこそこれほど贅を尽くすことも可能だったのだな、と改めて時の移ろいに想いを致した。
美術館のあとはサントリーのウヰスキー工場見学へ。発酵工程では麦汁から出る匂いに接し、嘗てミュンヘン市街で嗅いだのと似てはいるが少し違うなどと独りごつ。貯蔵倉庫では経年ごとに樽の中のウヰスキーの色と分量が変化するのを観る 《 写真:右 》。
そしてテイスティングへ。 これが残念ながら、質量ともに期待外れのサーヴィスであった。 有料なのに、むむむ・・・。
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