森羅万象・考える葦  インターネットは一つの小宇宙。想像、時には妄想まで翼を広げていきたい。

好きなアニメ・漫画、趣味の語学・数学・宇宙、真剣に防災・政治・少子高齢化まで興味の赴くまま自由に大胆に考えていきます。

nhknewsweb/幻の裸婦画「眠り」(動画) ; 11月14日06:45分、  幻の裸婦画「眠り」120年ぶりに公開 黒田清輝の師匠の作品  

2020-11-14 11:46:17 | 美術/夢の美術館、 ; 絵画、彫刻、城・神社・寺院、庭園…

  

<iframe class="video-player-fixed" src="https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201114/movie/k10012711441_202011140633_202011140643.html?stamp=20190422&movie=false" allowfullscreen="allowfullscreen"></iframe>

  

 

◎◎  幻の裸婦画「眠り」120年ぶりに公開 黒田清輝の師匠の作品

 

□□▷▷  明治から大正にかけて活躍し、近代洋画の父と呼ばれた黒田清輝の師匠のフランス人画家が裸婦を描いた「眠り」という作品が、14日から神奈川県の美術館で始まる展覧会で120年ぶりに公開されます。黒田が「眠り」を参考にして完成させた作品も併せて展示され、当時、「春画」と見なされ、不道徳だと批判を受けていた裸婦を描いた作品の表現を、黒田が、日本に受け入れられるよう模索していた様子が読み取れます。

 
◇◇  「眠り」は、黒田清輝が、フランス留学中に師事したフランス人画家、ラファエル・コランの作品で、裸の女性が草原に寝そべっている様子が描かれています。

⇨⇨  1900年のパリ万博で展示されて以来、所在がわからなくなり、幻の作品と言われていましたが、4年前、日本の学芸員がフランスで所在を確認し、14日から神奈川県箱根町のポーラ美術館で開かれる展覧会で120年ぶりに公開されます。

⇨⇨  会場には、黒田が「眠り」を参考にして描いたとされる「野辺」という作品が隣どうしに展示され、作品を見比べることができるようになっています。
 
  構図はほぼ一緒ですが、「眠り」では白い肌の女性が無防備に脇を見せながら熟睡し、私的で親密な空間をのぞき見ているような印象を与えるのに対して、「野辺」は、黄色がかった肌の女性が、はっきりと目を開いて、視線を左手に持つ花に向けています。

  19世紀から20世紀にかけて日本では、女性の裸体を描いた絵画は「春画」と見なされ不道徳だと批判をうけていましたが、黒田は日本に受け入れられる表現を模索していたことが読み取れるということです。

▷▷  展覧会を企画したポーラ美術館の山塙菜未学芸員は「2つの作品を見比べることで黒田が西洋的な裸婦像をそのまま踏襲するのではなく、日本独自の裸婦像の条件を模索し、細かい創意工夫を重ねたことがわかる」と話しています。

📆⏰  この展覧会「Connections」は、11月14日から来年4月4日まで、神奈川県箱根町のポーラ美術館で開かれています。

黒田清輝とは

○○  黒田清輝は、明治から大正にかけて活躍した画家で、明るい日光を取り入れた日本の洋画のスタイルを確立したことから「近代洋画の父」と呼ばれています。
 
しかし、明治28年、鏡の前で身支度する裸の女性を描いた「朝妝」(ちょうしょう)が「風俗を乱すもの」として批判されます。

この作品を当時の日本人が展示会で眺める様子を描いた風刺画には、ぽかんと口をあけた老人や熱心にスケッチする少年、顔を隠す女性や熱心に尻を見つめる男性など驚きのまなざしで見入る人たちの姿が描かれています。

◆◆   さらに、明治34年に発表した座る全裸の女性を描いた「裸体婦人像」では、展示された絵の上に警察が布をかぶせて下半身を隠したことから、世論を騒がせ、これは「腰巻事件」と呼ばれています。
 
※※ 今から考えると随分と牧歌的な話しだと思えますが、当時は世間の常識や権力と先鋭な対立をしていた問題でした。

黒田が師匠のラファエル・コランの「眠り」を参考に、工夫を重ねて制作した「野辺」は、こうした裸婦表現が日本で受け入れられていく、契機となりました。

「野辺」に見る黒田の工夫

 
「野辺」に見る黒田の工夫
師匠であるラファエル・コランの「眠り」を参考にして「野辺」を制作した黒田清輝。

¤¤¤☞  美術史に詳しい女子美術大学の三谷理華特任教授は、2つの作品の比較から黒田が日本で裸婦表現を受け入れてもらうのに模索を重ねた形跡が読み取れると言います。

  2つの作品は、上半身だけかかれた裸の女性が草原の上で寝そべっているという構図がほぼ同じですが、「眠り」では女性が無防備に脇を見せながら熟睡し、私的で親密な空間をのぞき見ているような印象を与えるのに対して、「野辺」は、はっきりと目が開かれ視線は左手に持つ花に向けられています。

  また、「眠り」ではフランスでしばしば描かれていた触感的な刺激で官能性を高める「毛皮」が腰にかぶせられていますが、「野辺」では女性は腰の辺りで赤い布に右手を添えています。

  さらに「眠り」では西洋人の白い肌が強調されて描かれていますが、「野辺」は肌の色に黄色や茶色が混ぜられ、日本人を描こうとしていることがわかります。

  黒田があえて下半身を描いていない絵画を参照し、肉体を強調せずに物語性や叙情性を持たせることで裸=不道徳という当時の社会的通念を乗り越えるような裸婦の表現を確立していったのではないかと考えられるということです。

  三谷特任教授は、「作品の違いによって日本の裸婦表現の変化の節目が読み取れる。『眠り』は日本近代の洋画や裸婦表現を検証する上でとても重要な作品で、今後研究がより進むことを期待したい」と話しています。
 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。