はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

心に残った言葉

2010年02月07日 20時45分59秒 | インターミッション(論文等)

『佐々木幸綱の世界7 評論編2』(河出書房新社)より。


 自我至上主義、オリジナル至上主義が、現代短歌を痩せさせ、層薄くさせているという私の観測に立って、あえてこのことは言っておく。
(中略)
 歌壇がこのままの状態でゆくと、歌は、ますます細部へ細部へと入り込んでゆき、僅少差のオリジナル競いに堕してゆくだろう危険を感じている人たちは少なくないはずである。そう、その先は行き止まりしかない。
 たとえば、西行の『山家集』を見るがいい。作歌という行為は、ぴりぴりとした神経的な行為なのではなく、もっと図太い行為なのだということが分かる。自我とか、オリジナルとか、あえて言うが、そういう小さなところにこだわらずに、太い線で、ひたすら根拠を目ざせばそれでいいのだ。『山家集』中にはおびただしい類想歌がある。八百年も経てば、そんなものは洗い流される。千三百年の歴史を持つ詩型に関わるということは、日常にはない、そういうスケールの時間に自分を晒すことなのである。
  (中略)
 私から〈私〉へ、私の根拠に向かって一つ次元を越す意欲が一切に優先する。それが作歌の現場である。ささやかなオリジナルという徒花を咲かせに狂奔することはない。先年を経ても色褪せない花を思い描く。せっかく伝統詩型に拠ろうというのだから、この程度のスケールの夢を持とうではないか。

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 さすが、「益荒男歌」と称される佐々木幸綱の論だ。
「オリジナル」という概念に対して考えを巡らせている時だったので、かなり長いが抜き出してみた。
 あまりにスケールが大きすぎて、この境地に至るまでの道程に呆然としてしまうのだけれども。