生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

光となれ

2019-07-25 21:53:03 | 日々の暮らし

『成功者の百言より お経の一言が尊い』 と昔より言われています。 この世で成功者といわれる人であっても、自分の知恵や世間での知恵が、いかにすぐれた者であっても、そこには常に無力さがつきまとうものだからとの理由からか。  これを裏付けるように『この世で確かなものは仏の教えのみが真実である』 そう言って仏教の普及に努めたのが、聖徳太子です。 私は生きる上でいろんな偉人の言葉で勇気をもらって来ました。 しかし、仏の言葉は大いなる霊力をもっている言葉なので他に比較するものがないと言われています。 だから、私も自然にお経の言葉や聖書の言葉を使っています。 般若心経の最初の言葉が 『観自在菩薩(かんじざいぼさつ)』です。 簡単に訳すと観音さまです。 もっと古い時期には光世音菩薩(こうぜおんぼさつ)と言われていました。 光りは「智慧」、音は「慈悲」を表していました。 仏という智慧の光りに向かえば、苦悩や迷いの影は、自分の後ろに落ちていくと説いています。 植物も動物も光りに向かって進み、光りに向かって伸びる本性がある人間も同じ。 世俗的な、幸福を模索する者は、常に苦悩や迷いの影に行く先を 被(おお)われ、悲しみが去ることはないと教えています。 迷い苦しんだ時、観自在菩薩を唱え、自分を見つめよという事でしょうか。 世俗的なことを捨てよとは、簡単のようで、難しいことと感じています。 これも修行なのでしょうね。 仏の教えに 『自分を磨く一番の近道』は 他人の良いことを真似て、悪いことを真似ない。 人に親切にし、励まし、誉め、幸せを一緒になって喜ぶ、真摯(しんし)に仕事に取り組んで尊敬できる人がいたら同じように自分もやってみるのです。 と教えています。 良い行いは、心を磨きます。 あたたかい心が生まれます。 ポジティブな気持ちを、いつも持っていられるようになるからです。 きっとそのような、リーダーが一人はいると思います。 いなければ、あなたが その人になるように努力するのです。 あなたが、光りとなりますように。         合掌

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アンネの窓

2019-07-25 21:53:03 | 日々の暮らし

30年以上前の自作です。 銀座松坂屋で「アンネの日記」のイベントに行った時に作りました。 『ひまわりと泣き虫 窓』 私は窓。われわれ窓の命は何百年と長い。 私は長い間、悲しいことばかり見てきた。 いつも涙で雲っているので、仲間から「泣き虫 窓」と呼ばれている。 それは、ここに住んでいた優しいおばあさんが病気で死んでしまったからだった。 いつも私を磨いてきれいにしてくれ、私にいろんな話しをたくさん聞かせてくれた尊敬するおばあさんだった。 それから、明かりのつかない暗い窓だった。 ある朝、私のそばに一羽の小鳥がやってきた。 それはそれは、とてもきれいな羽根をした小鳥だった。 「チュッ!チュ!」 私に話しかけてきた。 「悲しそうな窓さ ん、元気だして。チュ!」 わたしはその可愛い小鳥に恋をしてしまった。 毎日毎日彼女がやって来るのが待ち通しかった。 冷たく厳しい雨が降っている時もやってきた。 「こんな時までこなくていいよ心配だから」 「だって泣き虫で淋しがりやさんだから休まずきたのよ」 しかし、その日はあまりにも冷たく厳しい雨の日だった。 彼女は疲れて目を閉じて眠ったまま下に落ちていった。 一日中、雨はやまなかった翌日晴れた朝 一人の女のこが動かない小鳥を見つけて、街路樹のそばに何かの種と一緒に埋めていた。 わたしはしばらく、曇った窓になってしまった。 ある日、あの地面から大きなひまわりが咲いていた。 私のほうを向いて咲いていた。 私は少し元気になってきた。 それから、戦争がやってきた…。 遠くから避難してきた家族がこの部屋に住むようになった。 一人の明るく陽気な女の子が私にほほを付けて外を毎日見ていました。 私はその温もりにドキドキしました。 しかし、そのこは、「自由に外で遊びたいな」と言っていました。 暗い部屋でみんなでクリスマスケーキを食べていました。 とても幸せそうでした。 翌日、怖い兵隊がたくさんやってきて、みんなを連れて行きました。 少女は車に乗る前に、見上げて私に手を振ってくれました。 しかし、二度と帰ってきませんでした。 戦争が終わり、街に平和が戻ってきました。 また、クリスマスがやって来ました。 私はいまでも涙で曇った「泣き虫 窓」です。 戦争もいじめもない世の中になったら泣き虫を卒業します。 見上げてください、クリスマスの日に泣いている窓を見つけたらそれはわたしです。 ひまわりが窓の方に咲いていたらそこが私です。 みんな、いい子になって私のそばにきてください。 その時を楽しみにいつまでもまっています。 いい子のみんなへ! 泣き虫 窓より。      おわり 即興で会場で作ったものですが。 僕の精神の根底には、ゴッホと宮沢賢治の生き方が影響されています。 どちらも、生前には認められていないという悲哀を感じているからです。 さて、今日の言葉ですが、最近感じていることです。 「人の喜ぶ事をすれば 自分の願いがかなう」 そんな気がしてなりません。 しかも、夢にまで具体的に見たりします。 これが気づきか導きなのかご褒美なのでしょうか。 皆様の幸を願って         合掌

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さすらいの旅人

2019-07-25 05:51:10 | 日々の暮らし

嵐にあって、船は知らない島に漂泊した。 「漂泊」とはさすらうという言葉。 そこから、「漂泊の旅人」と呼ばれている人達を考えてみました。 まず、イエスキリストがいました。 世界中に足跡を残しています。 弟子達をつれて布教の旅に漂泊した。 お釈迦様もそうです。 日本でもたくさんの僧や歌人、武芸者達が漂泊の旅に出ました。 松尾芭蕉も奥の細道の 旅にでましたが、520年前に同じ旅に出た西行法師を尊敬していたといいます。 西行にはたくさんのエピソードがあります。 藤原家の武士を捨て突然出家するのです。 泣いて足にしがみつく幼い娘を廊下から庭に蹴落として漂泊の旅に出たのです。 理由はいまだに分からないという。 しかも、歌人として有名で、新古今和歌集に一番多く歌を取り上げられています。 その生きざまに腹を立てていたのが、その当時に活躍していた、 文覚(もんがく)という僧侶です。 彼は空海ゆかりの寺を再興しようと後白河法皇に寄進に行って、無礼者と伊豆に流されてしまいました。 そこに同じ流されて来た源頼朝に平家を滅ぼすよう説得したのです。 頼朝は警戒してその気を出さないでいたので、文覚はどこからか拾って来た骸骨(がいこつ)をお前の父親の骸骨を見つけて来た。 これでも復讐する気は起きないか! と叱責したのです。 その後、源頼朝が天下をとったので文覚は空海のゆかりの寺、神護寺を再興できたのでした。 その荒法師文覚が 出家して僧になって 歌に明け暮れているような坊主に会ったら 頭を砕いてやる! と弟子達にいつも言っていたのです。 それを、伝え聞いた 西行が寺を訪れたのでした。 弟子達は大騒ぎになりました。 しかも、西行は泊めて欲しいと言ったからです。 とうとう二人は対面したのです。 文覚は丁寧に迎え入れ、特別に接待し翌日見送ったのでした。 弟子達に一目見ただけで、こんなにスケールが大きい人だとは知らなかった。 上には上がいると荒法師が述べたといいます。 松尾芭蕉が惚れた理由が分かりますね。 『舟の上の生涯を 浮かべ日々旅にして 旅を栖(すみか)とす 片雲(へんうん・ちぎれ雲)の風に さそはれて 漂泊の思いやまず』     (芭蕉) 今日の漂泊の思いに         合掌

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人生の旅路

2019-07-25 02:52:54 | 日々の暮らし

7月の季節の言葉に「峠」があります。 日本で考え出された字です。 山の上りと下りの境目ということ。 そこには旅の安全を祈る道祖神(どうそしん)を祭ったといいます。 一年の折り返し点。 一年の峠といい7月は一年の旅路の幸せを祈ったといいます。 人生の旅路の峠にも幸ありますように。         合掌

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