生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

この身は仏

2018-11-30 19:07:46 | 日々の暮らし
仏様や亡くなった両親、ご先祖様は仏壇の中にはいない。

『衆生本来仏(しゅじょうほんらいほとけ)なり』

(白隠禅師)

この身すなわち仏なり。
仏様は自分の中にいるのだ、粥を食べるのは単なる人ではない。

仏性を持った尊い人なのである。

仏様が食べるものだから、御をつけて御粥というのだ。

飯と言わず御飯というのだ。

味噌汁と言わず御味噌汁というのだ。

かずと言わず御かずというのだ。

と白隠(はくいん)禅師は述べています。

心の中に仏様が宿っているのです。

仏様がいつも、見守ってくれています。

感謝して頂きましょう。



僕の仏様は良寛さん、

御酒が好きなのです。

僕はいいから、仏様にあげないとと頂戴しています。

白隠禅師はいいこといいますね。


合掌
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樹木希林さんと良寛

2018-11-30 05:49:27 | 日々の暮らし
『死ぬこと誰かの心の中で生きること』

先日の朝日新聞に樹木希林さんの会話集が掲載されていました。

「死ぬときぐらい好きにさせてよ」
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」

晩年の希林さんがたどり着いた境地に
「うらを見せ おもてを見せてちるもみぢ」
    (良寛)
「裏から始まるところがすごい。
年や経験を重ねても、人間は表裏を持ち続けているという本質を見抜いた人の句ね。
こうありたい」
     (希林)

また、良寛の次の句も好んだ。

「散る桜 残る桜も 散る桜」

誰にも等しく訪れる死に、人は一喜一憂するが、終わりが決まらないのに、そこに至る生き方が定まるわけがない。
という意味に
「そう考えると心強いわね。
でも、死ぬことは誰かの心の中で行き続けることなんじゃないかしら」
     (希林)
お釈迦様の弟子の一人に提婆逹多(だいばだった)がいる。

釈迦にたてつき、困らせるので、みんなが彼を遠ざけた。

だが釈迦は「役立つ人だけがいいのではない。
困らせる人は己を磨く上で必要だ」と説いた。

すると、希林さんは
「くっくっ」と笑いながら言ったという。

「そういえば提婆逹多は私にとっての裕也ね」
と。

死ぬことは
誰かの心の中で生きること
素敵な言葉に

合掌


 
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やすらぎの言葉

2018-11-30 01:15:00 | 日々の暮らし
今日は外国の諺や旧約聖書、古文などから心の安らぎや納得する一言を紹介します。

●明日は新しい日だ

過ぎてしまったことをくよくよ考えているよりも、明日という新しい日のことを考えるほうが気持ちが元気になる。

●悲しみは他人に話すと薄らぐ

人に心の内を話すことによって、気持ちが楽になる。楽になったぶんだけ苦しみや悲しみがやわらぐ。


●心の奥底に達してあらゆる病を癒せるのは音楽。
あらゆる病を治すのは温かい言葉だ。


音楽は心を癒してくれるが、あらゆる病を治せるのは、その人を思いやる気持ちにあふれた温かい言葉である。


●心の楽しみは良い薬である。


楽しいことというのは、それ自体が心を癒す薬となる。



●最大の富は、わずかなものに満足できる心のことである。


わずかなものに満足できるといつも心が満たされるので、そう感じられることが最大の富と言える。

●空(から)の器がもっとも音をたてる。
(イギリスの諺)


内容のない者ほど、口でギャアギャアと騒ぎたてる。

●世界は苦難に満ちている。
また、それを乗り越えることにも満ちている。
(ヘレン・ケラー)



●深い谷に水を満たすことはできても

人の心を満たすことは
難しい。

●「必要があればあるほど拒まれるものが忠告」
(レオナルド・ダ・ビンチ)


●人間には他にも読み方があります。

「じんかん」と読めば
仏教用語で人の住む世界、現世のこと。

「ひとま」と読めば
人のいない時。

そして、「ひとあい」と読めば、人付き合いや人に対する愛想のことで、「人愛」とも書きます。

人間とは人愛という意味があるので、人と接することで自分を磨いてくれると思います。

いつの世も人間関係は奥深く大変なものと感じています。

●仏教用語の中に、仏の道を悟った楽しみのことを道楽と呼ぶとあります。

修行を積んで、道を極めた人の真の楽しさのことを意味していました。

いつしか、単なる趣味や楽しみの意味に変わり、道楽者、道楽息子等と享楽的な楽しみに使われてしまいました。

自分の道を一歩一歩楽しみながら歩いて行く。
それが本来の道楽なのですね。

皆様も真の道楽を見つけて下さい。

年の瀬に思います。

合掌
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日本の美しい言葉

2018-11-29 00:37:34 | 日々の暮らし
この時期の美しい日本の言葉を紹介します。

「風花(かざはな)」

ちらちらと、風に運ばれてきた雪片。

その雪片を、花びらに見立てたのです。

山が雪だと知らせに来た

小さな使者のようです。

「徒花(あだばな)」

「徒(あだ)」は、無駄とか、空しいという意味。

咲いても、実を結ばない花。
咲いてもすぐに散ってしまう花。

季節外れに咲く花。

しかし、何らかの役割があるはずです。

すべての花が必要な花なのです。


「かぎろひ」

東(ひんがし)の

野にかぎろひの

立つ見えて

かへりみすれば

月西渡(かたぶき)ぬ

(万葉集柿本人麻呂)

「かぎろひ」は、日ノ出1時間ほど前に見られる最初の陽光といわれ、

よく晴れた寒さの厳しい日にしか

見られない現象です。

陽炎(かげろう)の語源といわれ1300年以上前の


壮大なロマンがある
日本の言葉です。


毎朝散歩しています。

日ノ出になると

現れることがあります。

思わず合掌してしまいます。


今日も頑張って

生きますと。

合掌
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誘惑する神

2018-11-28 12:22:14 | 日々の暮らし
松尾芭蕉の奥の細道の冒頭に出てくる言葉に


「漂泊の思い」があります。

あてのない旅に出たいという気持ちです。


また、
「そぞろ神のものにつきて、心をくるはせ

道祖神の招きにあひて

取るもの手につかず」


があります。

人の心に取りついて誘惑する神をそぞろ神といます。


道祖神とは、路傍の神で、石碑や石像の形で祀られています。


和の心に

漂泊の思い

が含まれていることは

誰しもあてのない旅に


あこがれているのでしょう!

私は必要とされる所を探し、あてのある旅に出ますが。


合掌
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