生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

涙雲

2017-05-31 03:11:03 | 日々の暮らし
辞書にない雲に「涙雲」があります。


万葉集に

涙で曇り目も見えぬ。

という歌がたくさんあります。

空の雲でなく、

目の雲を指しているのです。


日本人は涙好きな国民と言われています。

涙の語源を調べると、

「な」は泣く。
「み」は水。
「だ」は垂れる。

泣くと水が垂れてくる。

そこから、涙ができた

ようです。




「瞳の中にも


空がある


澄みきった空がある


晴れ渡った空がある


時折

涙雲になり


涙の雨が降る

そのあとは


まぶしい空が



やってくる」

涙雲のあとは


瞳の空は晴れて


輝きを取り戻すのです。



今日の佳き日に



合掌




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祈りとは

2017-05-30 04:15:15 | 日々の暮らし
「祈ることで救われるのは

その人の心なのです」

(法然)

源頼朝の妻、北条政子

は夫の死後に尼に

なりました。

浄土宗の法然に祈るこ

とで病気や死から逃れ

られるか聞いた時の、

法然の返事と

言われています。

人は悩み苦しんでいる

時、神頼みしますね。

神社、仏閣、教会 に

お参りしますね。


確かに心は楽に


なりませんか。



神に預けてしまったからです。


神様はちゃんと

現れ聞いてくれて

いるのです。

例えば、霊感の強い人

が、修行僧の山に


登りました。

天狗の像がありました。

滝が流れていました。


滝や天狗に目が見えた

といって相談されました。

それは、

祈る事で通じて

清らかな水に

姿を現しているのです。

あなたが祈っている


神様が。




天狗の像には

女性がひそんでいました。

私があなたは


女性ですねと

たずねると


見破られたかと


いってました。


その山は女性を

護る山なのでしょう。


祈りとは



苦しみも喜びも



神と共に


分かち合うことなのです。

合掌
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熱き血汐

2017-05-29 04:04:36 | 日々の暮らし
5月29日は与謝野晶子の命日です。

「やは肌の

あつき血汐(ちしお)に

ふれも見で

さびしからずや

道を説く君」


いつも真剣に

人の道を説いて

熱い思いの

女の気持ちを


知らなくて

寂しくないの。



妻子のあった

与謝野鉄幹にぶつけた

体当たりの情熱が

感じられる歌です。



身体の中を流れる血を

海の潮にたとえた

血汐と表現した所が

すごいなあと思います。

さあ、私も


熱い血汐で仕事に



励みましょうかね




合掌
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心の衣

2017-05-28 15:49:21 | 日々の暮らし
夜勤していました。

知り合いの居宅介護ステーションの応援で
夜勤してきました。

一人(独居)のおばあさん、娘が週一で来て

パンを置いていく

それをかじって命をつなぐ。

歩けずに、はいずって

トイレに行ってたと

いう。

いまは美味しそうにご飯を食べている。

笑顔が可愛い。

またまだこのように介護を必要としている人が一杯いるのだろう。



今日も陽射しが強かった。





「春過ぎて

夏来るらし

白妙(しろたえ)の

衣ほしたり

天の香久山」

(万葉集・持統天皇)

春過ぎて、夏がやって来たようだ。

真っ白な衣が


干してある

天の香久山に。


冬枯れの樹木も

いつまでも

枯れてはいない

春になれば

花も咲く。


厚い氷で


凍った川も

夏になれば

溶けて流れていく

順風満帆の


人生などはない


いつか花開く


ことがある

だから


今日一日だけ


頑張ろう


心の衣を


干してみよう




天の香久山のように。



合掌
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無碍(むげ)の人

2017-05-27 05:12:13 | 日々の暮らし
生まれた時には


何もねえ。

テレビもねえ。

パソコンもねえ。

あるのは回覧板だけ。


冷蔵庫もねえ。

洗濯機も電子レンジもねえ。

あるのは井戸の水だけ。

コンビニもねえ。

スーパーもねえ。

あるのは雑貨屋だけ。


そんな時代でも



心はなぜか


満たされていた。


懐かしささえ感じる。


夕食のためにと


モリを持って


海に飛び込み


鯛やヒラメ


あじやワカメ


蟹やさざえ

をバケツ一杯とって

帰った少年時代。


自然を身近に


感じていた。


1000年前の人は

どうだったろうか


なんにもねえ!


と不満を述べて


いただろうか。



自然に感謝して、


貧しくても

嫌な気持ちを


起こさない人を


「無碍(むげ)の人」

と呼ぶ。


逆の人を


有碍(うげ)の人という。

何かに不満が


あったとき


昔を思い出してみよう。


古代を思ってみよう。


いつの世も



自然に触れることが


心を満たしてくれると



気づくはず。

大地の女神


ガイアに



感謝



合掌







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