生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

天使

2016-03-22 02:43:58 | 日記
天使(エンジェル)とは神の使者として派遣され、神意を人間に伝え、守護するという使者をいいます。

いま何故か私の頭に、
「天使」という字が強く浮かんで来ました。

天使を信じるか?

と聞かれれば


私は見たことないから分からないと言うでしょう。

しかし、道元禅師の言葉に

「人間の如来は人間に

同ぜるがごとし」

仏が人を救うには

仏ではなく人間の姿で

臨むものだ。

と述べていました。

ハッと、気づきました。

登山していて、樹木の生い茂った山で一人道に迷ってしまった。

夕暮れ時に笛を吹きながら道案内してくれた

人がいた。

(ハッキリとした姿は見えなかったけど男性だった)。


元旦のロシアで日本海戦で敗れたバルチック艦隊の生き残りの軍艦を観ようと

零下30度の雪降る街をホテルのボーイの忠告を無視して出掛けてしまった。

軍艦を観て満足して帰ろうとしたら、

道が分からなくなり

1時間半さ迷い、

力尽きて雪の上に座り込んでしまった。


ポケットに昨晩買ったウォッカが一本入っていたからガブガブ飲んだ。


元旦の凍りついた運河に

朝7時歩いている人などはいない。

そこに一人の青年が来た。

バスがないので、違う道を歩いていて私を見つけたそうだ。

私をホテルまで送ってくれた。

彼の後ろ姿に何度もお礼した。

いま考えると、どちらも、あまりにも偶然に現れたようで不思議でならない。

天使だったのではないか。

天使や仏さまは人間の姿をして助けに来てくれる。

そうだったのか。


それなら、納得します。
愚かな私に
「ヤレヤレ」と助けに来てくれたのです。


皆様も経験ありませんか。

それは、きっと天使に違いありません。


神の願ったことをしてくれる人には

必ず現れると思います。

天使に感謝


合掌
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仏に成る

2016-03-21 01:56:17 | 日記
仏教の目的は『成仏』
すなわち「仏に成る」ことです。

その方法の一つに
「行い」「言葉」「考え方」という三つの活動において、仏さまの真似をするというものがあります。

「皆が手伝ってくれたから無事に行事ができた」とか、

「落ち込んでいた時に掛けてくれた言葉で頑張れた」とか、

「上司の冷静な考え方があったから、窮地を乗り越えられた」といった経験ありませんか。

「みんなが健(すこ)やかになれる」ような活動を通して、私たちは少しずつ仏さまに成っていきます。

「行い」「言葉」「考え方」のどれか一つで結構です。

「こんなとき仏さまならこうするんじゃないかな」

そんなことを意識してその日を送ることができたならば、その一日はいつもと少し違った一日になるかもしれません。

(真言宗長寿院住職)

素敵な説法ですね。

このお話の根本にあるのは、思いやりとか愛を感じますね。

今日という日は二度とありません。

一期一会

一生に一度の人と出会うかもしれません。


そう考えると

行動も

言葉も


考えも


変わってくるものです。


今日は


仏さまに成る日です。

頑張りましょう。

合掌
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ソウルメイトと魂の伴侶

2016-03-20 15:39:39 | 日記
電話やメールをしようとした人から、電話やメールが来たことがあると思います。

偶然の一致を「シンクロ二シティ」と呼びます。

これは宇宙からのメッセージと言われています。

私はこのようなことがよくある人は、ソウルメイト(魂の伴侶)の仲間と感じています。

ソウルメイトとは愛によって永遠に結ばれている人達のことで、

幾つもの人生で何回も出会いを繰り返している仲間のことをいいます。

ソウルメイトはいつも一緒に地上に生まれて来ては、さまざまな人間関係を作り出し、
お互いの学びを助け合っています。

大好きな人も、大嫌いな人も、どちらもきっとソウルメイトなのだと思います。

すべての人を大切にすることができたとき、

私達の地球での学びは終わりとなり、ソウルメイトに感謝しながら

肉体を脱ぎ捨てて、
次の学びのステージに進むのです。

何度も話しましたが、
この世は修行の場。

魂を磨く場所なのです。

愛や思いやりが
深くなり

慈悲深さ、謙虚さ、
慎み深さが増して来たら、

それは、魂が磨かれている証拠です。

魂を磨くには年齢をかさねるとは限りません。

サミエル・ウルマンの詩「青春」に

青春とは人生のある期間をいうのではなく、

心の様相のことで、

優れた創造力、たくましい意志、燃える情熱、勇敢な冒険心などを持っている状態のことだそうです。

年を取ってもそのような気持ちを持っていれば、いつまでも青春というわけです。

私はそれに、好奇心旺盛な人と、夢を諦めない人を付け加えます。

自分は年だからと自分を制限する気持ちが老いを呼ぶのです。


徒然なるままに書き綴りました。

何かが伝わりましたなら貴方と私は

ソウルメイトなのです。


合掌
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壮大な心

2016-03-20 00:16:19 | 日記
「共に生き残る」

植物は一度根を張ったら、一生その場所で生きていくしかありません。

隣に根を張る木は、養分を奪い合う競争相手であり、ときには成長させてくれるライバルでもあります。


「森」とは木が三本立っているだけではなく、いがみ合いながら我慢して、

生かし合って森に成長しているのです。


嫌な相手でも共に生き延びるために、

いがみ合いながらもどこかで折り合いをつけて、

共に生き残っているのです。

(横浜国大名誉教授 宮脇昭)

私達の身の回りにもあてはまると思います。

森を見習ってみるのも必要だと思いました。



「あなたには、二つの目と二つの手があります。

ひとつの目は自分を見つめなさい。

もうひとつの目は、
人を見なさい。

ひとつの手は自分のために。

もうひとつの手は困っている人にさしのべなさい」

(オードリー・ヘップバーン)

「大海よりもなお壮大

なものは大空である。

大空よりもなお壮大なものは

人心である」

(詩人ビクトル・ユーゴー)

皆様も壮大な心を意識して

共に生きて

いきましょう。


合掌
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人生の穴

2016-03-18 01:42:33 | 日記
今日は五連勤目の夜勤が待っています。

大変ですが、私は皆から働き者と言われているので、

愚痴はいいませんし、苦になりません。


私を必要としている仕事があるだけ幸せを感じています。

人は人には言えない苦しみ、悲しみ、悩み、悔しさ等を持って生きているものです。

それらを頑張って乗り越えるには

温かい優しさや、思いやりとか、心に染みる言葉等からです。


今日は私に気づかせてくれた言葉を幾つか紹介したいと思います。


『熟れたオリーブの

実が落ちるように』

このほんのわずかな時間を自然に従って歩み、安らかに旅路を終えるがよい。

あたかも、よく熟れたオリーブの実が、

自分を産んだ地を誉め讃え、

自分を実らせた樹に

感謝を捧げながら落ちてゆくように。

(ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウス)

死をイメージするもっとも素晴らしい言葉と言われている

「オリーブの落果」。

自分を産んだ大地(自然)を誉め讃え、育ててくれた樹(皆様)に感謝しながら落ちてゆく。

私はこの言葉を胸に秘め、日々感謝して生きています。

皆様の愛したご家族が亡くなる時、声にならない言葉は

ほとんどオリーブの落果のように感謝して、お先にと言っていると思います。


『人生の穴』

看護、看取(みと)りの「看」は手と目が合わさってできています。

どんなに医療が進んでも変わらないのが、
笑顔、温もり、言葉かけです。


神様は私たちの

「願ったもの」よりも

幸せを増すのに

「必要なもの」を

与えてくださいます。

それは、必ずしも自分の欲しくないものかもしれません。


すべて必要なものだと感謝して、

謙虚に受け入れることが大切です。



人生には思いがけない悲しみ、苦しみの

「穴」があったからこそ、

見えるものがあるのです。

(マザー・テレサ来日の時、通訳していた渡辺かずこシスターの言葉)


辛いこと、悔しいこと、理不尽なこと、悲しいことなど

あまり欲しくないことです。

しかし、これらも
きっと幸せになる為に

「必要なもの」かもしれません。

そう思って謙虚に受け入れて

乗り越えてください。


生きる力になりますように


合掌








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