生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

言葉は旅をする

2016-04-30 04:33:50 | 日々の暮らし
言葉は深いですね。
言葉は分かりやすく、
記憶されるように話す事が大事です。

難しくて分からないと、記憶できないからです。

どんな言葉も、聞く人の心に響きます。

汚ない言葉は汚ない力を持っています。

美しい言葉は美しい力を持っています。

ポジティブな言葉を使いましょう。
あなたの心に変化がおこり、あなたの心の波動が高まり、美しい言葉しか浮かばなくなります。




『この顔で生まれてよかった』

歌手の加藤登紀子さんはステージで、

「私はこの程度の顔で生まれたことに対して、親に感謝したい。

もし美人で生まれていたら、このように努力しなかっただろう」と

話したといいます。

今の自分に満足し、感謝しなければ幸せもないのですと。

いい言葉ですね。

『人は何を残すか』

人間は死を約束された動物である。

人は死んでもその人の影響は消えない。

自分は何を残せるだろうか。

(聖路加病院 日野原先生)


肉体は消えても、言葉は決して消え去ることはありません。

『かりそめの

事と思ひそ

この言は(葉)

言の葉(は)のみと

思ほすな君』

(良寛)

言葉が軽いかりそめの事と思えても、言の葉のみとは思わないように、言葉は大きな力を持ち、世や人々を左右するとの意味です。

確かに、その音の一つ一つに、言葉の意味だけでなく、その音の持つ力が伝わって来ます。

温かい言葉をかけたら、
受けた人が、次の人に

また温かい言葉をかける。

言葉は時をかけ、

旅をする。

そう思います。

今日の善き日に


合掌
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一休さんの言葉

2016-04-29 20:08:39 | 日々の暮らし
無事夜勤が明けホッとしています。

私なりの夜勤見廻り対策がうまくいって、問題ある利用者の突然行動に対処できました。

たいそうなことではなく、夜間は人手不足ですから、時間による優先巡回を決めたり、待機場所を変更したこと位ですが。

そのため、記録が詳しく書けて、ヒヤリも2回発見できました。

事故がないと本当によかったと思います。

同業の皆さんもお疲れ様でした。

さて、今日は一休禅師がある人から

「菩薩行とはどんなことなのか」と聞かれた時、

「腹立てず、心はまる

く、気は長く、おのれ

小さく、人は大きく」

と書いて答えられた。

(別紙参照)

菩薩行とは、毎日の行いのことです。

現代にも通じると思います。

1.「腹立てず」これを

忍辱行(にんにくぎょう)といいます。

例えば、お得意様に恥ずかしめられても、腹を立てない。

「おん腹立てまい

ニコニコそわか」と

呪文を何度もつぶやくとよい。

2.「心はまるく」

心をまるく書いてある。
春ののどかな景色のように、いつも顔色をやわらげて、優しい言葉で人に接すること。

「まるい卵も切りように四角、

物もいいようで角が立つ」。

3.「気は長く」

もっと気を大きく持ちなさい。

10年も20年も先をみながらしましょう。

4.「おのれ小さく」

お得意様に対してリーダーはいつも叱られ役、責任をとらされる役なのです。

5.「人は大きく」

手柄はいつも部下の功績にしてやるぐらいの度量を持ちましょう。

菩薩行は

リーダーとしての

「人との接し方」

を教えています。


一休さんの言葉に



感謝して


合掌
コメント (2)
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妙好人(みょうこうにん)

2016-04-28 02:20:29 | 日々の暮らし
仏教語に「妙好人」という言葉があります。

ひなびた漁村に妙好人といわれる老婆が住んでいました。

いつも自分が生かされていることを神仏に感謝していました。

ある夏、おおぜいの家族と一緒に小舟に乗り、湾を横切って対岸の親戚へ行くことになりました。

天気はよかったのですが、風が強かった。

お婆さんは日傘をさして舟のまん中に座っていました。

湾の中ほどまで来たとき、突然小舟は横波をくらい大きく傾きました。

子供たちが驚いて立ち上がった。

バランスがくずれて、アッという間に小舟は転覆してしまいました。

海に投げ出されたみんなが、ようやく舟べりにしがみつくと、お婆さんがいません。


必死になって小舟を引き起こしたところ、

なんとお婆さんは日傘をさしたままで、お念仏を唱えながら舟のまん中に座っていました。

「私は舟がひっくり返ったとき、阿弥陀さまがお迎えにいらっしゃったと思い、ありがたくてただもうお念仏を唱えていただけだよ」

と答えたという。

妙好とは清浄な白い蓮華(れんげ)の花を表します。

これから、学門や教養がなくても愚かな考えを持つこともなく、

自然の恵みに感謝して自由に生きることを

「妙好人」と

呼ぶようになりました。

また、石川啄木が友人が偉くなり、不遇を嘆き愚痴りたくなったとき、

「友がみな

われより偉く

見ゆる日は

花を買いきて

妻とたのしむ」

と歌っています。

人はどんな悪い環境におかれたときでも、

決してあせらず、自分の現在の持ち場に生かされていることを感謝して、

心豊かに生きて行けばよいのです。

啄木の妻のように大半の女性は分かってくれるものです。

蓮華はよどんだ汚ない泥の中から育つけれども、

真っ白で清浄な花を咲かせる

「白蓮華の人」といわれる

妙好人の生き方を

見習いたいと思います。

あなたも妙好人に

なりますように

合掌
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良寛言葉の戒め

2016-04-27 18:22:06 | 日々の暮らし
ことばには不思議な力があります。

日本では「言霊(ことだま)」といって霊魂が宿っているといいます。

聖書は
「はじめにことばがあった。
ことばは神でかる」とあります。

幸せになる言葉

不幸になる言葉も以前紹介しました。


良寛さんがことばについての戒めを残しています。

1.ことばの多いこと。

2.はなしの長いこと。

3.手柄ばなしをすること。

4.自分の生まれや身分の高いことを人にいうこと。

5.人がものを言い切らないうちに、ものをいうこと。

6.たやすく約束をすること。

7.人に物をやる前に、何々をやろうということ。

8.物をやったことを他の人にいうこと。

9.よく知らないことを人に教えること。

10.悲しんでいる人のそばで歌をうたうこと。

11.人がかくしていることをバラスこと。


12.目下の人を軽んじること。

13.部下に荒いことばを使うこと。

14.心にもないことをいうこと。

などをしてはいけないときつく戒めています。

耳が痛いですね。

不幸になる言葉が出るのは、感謝をする心を忘れているからといいます。

ありがとうと心からいえる人は、

本当にありがたいことが起こります。


言霊ですから。


合掌

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論語より

2016-04-27 03:22:46 | 日々の暮らし
今日は久し振りに論語から幾つか、いい言葉を紹介したいと思います。

そもそも論語とは、約2500年前の中国で誕生した孔子と弟子たちによる言語録です。

それが、日本には五世紀頃百済から献上されたと日本書紀は伝えています。

聖徳太子の十七条の
憲法の第一条

「和をもって貴しとなす」は

論語を基にしているのです。

孔子は春秋時代の魯という小さな国で、

父を早く亡くし母親に育てられて、20才まで貧しい生活をしていました。

下級役人となり、長い下積み生活をしていたが、

「礼」を知る者として認められ、52才で司法長官となりました。


しかし、乱れた世を直すために、56才から諸国放浪の旅に出ました。

13年間八か国を「徳」を説いて歩いたのですが、仕官できず

69才の時再び故郷に戻り、孔子学園を開いて


74才で亡くなるまで、弟子たちを教えていたのでした。


私は晩年に論語を編纂したことに、何か親しみを感じているのです。



日本の道徳や武士道に影響を与えた論語です。

岬 龍一郎編訳の
分かりやすい言葉で
紹介したいと思います。

『風になびく草のように』

季康子(きこうし)が、孔子に政治について問うた。
「国民が道にはずれたことをしたら殺すことにして、善い国民に向かわせたらどうでしょう」。

孔子が答える。
「下の者は上の者を見習うものです。
どうして死刑を用いることがありましょう。

あなたが善を好んで先頭に立って国民を率いるならば、国民はこれに感化されてみな善人になります。

たとえば上にいる君子は風で、下にいる民を草とします。

草は風が吹けば必ず従います」と。

『矜持(きょうじ)』

心のできた人は、自分なりの誇りを持っているので人と争わないし、
多くの人に囲まれていても付和雷同することはない。

これを矜持という。


『人と言葉の混同』

心のできた人は公明正大であるので、話が上手いからといって即座に採用することはしないが、

よくない人だからといって、その人のいっていることまで棄てることもしない。

『最高の人物、最低の人物』

生まれながらにして自然に道理が身についている者は最上の人である。

学んだあと道理を知る者は次の人物である。

学ぶことを知らず道理に苦しんで、その後、発憤して学んだ者はその次の人物である。

だが、どういう状況でも学ばず何も覚(さと)るところがなく平気でいる者は最低の人物である。


『いざというときに人物がわかる』

季節が変わり寒くなって草木が枯れ果てる中、松や柏がひとり残り、その寒さにも負けることなく毅然と立っている。

平穏無事なときには君子も小人もその違いがわからないが、

事が起こって初めて君子の節操がわかる。


『人間が大事』

孔子の家の馬小屋が火事になった。

朝廷から帰ってきた孔子がこれを知って、
「負傷した者はいなかったか」といって、

馬のことは問わなかった。


『無私無欲の境地』

孔子には普通の人が陥(おちい)りやすい四つの欠点がまったくなかった。

それは「意」意地を張ること。

「必」無理をすること。
「固」固執、こだわること。

「我」我を通すこと。

である。

『乱を起こす人』

血気盛んな人は貧乏をすると、それに負けて自暴自棄となり犯罪を犯しやすくなる。

もともと徳のない人はすべてを他人のせいにして、社会が悪いといって暴動を起こすようになる。

『授業中にやるべきこと』

昼寝をしていた弟子にいった。

「腐った木には彫刻はできない。

腐った土は壁には塗れない。

それと同じように、人間として堕落している者には教育はできない。

寝ているようじゃ、私はもう怒る気にもなれないよ」と。

どれも耳が痛い話ばかりですが、これが聖書や仏教の経典のように続いています。

またいつか紹介します。

参考になれば


合掌
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