生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

神の使い

2019-07-04 03:47:23 | 日々の暮らし

ニルマル・ヒルダイ(清い心の家)には死を待つ人の家と呼ばれ、多くのインドスラム街から送られてきた患者五万人。 市民はそれでも反対した、ヒンズー教徒をカトリックに改宗させているに違いないと。 警察所長もそうだと考えていたから立ち退ぞかせるためにやってきた。 マザー・テレサやシスターたちはおかまいなく仕事をしていた。 死んだ人を綺麗に洗いその人の宗教でお祈りして埋葬していたのに驚いたのでした。 シスターたちはいろんな宗教のお祈りを勉強していたのです。 またヒンズー教の僧侶がコレラで死んだので道端に放置していたのをマザーはかついで帰っていったのです。 警察所長は市民にいったのです、マザーを追い出しましょう。 しかし、君たちの母さんか娘さんが代わりをしてくれたらと条件をつけたら皆だまって帰っていったのでした。 私は夢でマザーに出会えたのを感謝しています。 私をこれに近い仕事に導いてくれたからです。 死を待つ人に寄り添う事はとても難しい。 神の使いと考えがんばります。 ストレス発散にはシニアの仲間と日帰り旅行に行きます。 昨日は箱根登山鉄道で強羅まで行きアジサイを見てきました。         合掌

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継続は力

2019-07-04 01:11:12 | 日々の暮らし

経文の中に和顔悦色施(わげんえつしきせ)、言辞施(ごんじせ)があります。 『和顔悦色施』とは、微笑みを浮かべ、にこやかな顔で他人と接すること。 『言辞施』とは、優しい言葉を他人にかけること。 この二つを合わせた言葉を、 『和顔愛語(わげんあいご)』といい、 いつもやわらいだ笑顔で人に接し、いたわりの言葉を他人にかけることをいいます。 和顔愛語は仏道修行の一つとされ、誰でもできるお布施といわれています。 ストレス社会の現代では大切な修行ではないかと思います。 どの職場でも心掛けてみてはどうでしょうか。 ただし、ずっと続けることです。 きっとあなたへの評価が変わります。 昔話にある村で、何日も日照りが続き、田んぼが干上がってしまいました。 村人は祈祷師を雇いました。 その祈祷師は3日間祈りましたが雨は降りませんでした。 祈祷師はあきらめて村を去って行きました。 村人は腕の悪い祈祷師だと悪口をいい、評判のいい祈祷師を雇いました。 その祈祷師は3日お祈りしましたが、雨は降りませんでした。 また3日祈りましたが雨は降りませんでした。 また3日祈りました、 9日目に雨が降って来ました。 村人は沢山の褒美を与えました。 この祈祷師は特別な力があったわけではありません。 ただ、雨が降るまで祈り続けただけでしたから。 偉大な成功者とは成功するまで続けるのです。 和顔愛語が三日坊主になりませんように。 何事も継続は力なり。        合掌

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