作家遠藤周作が幼友達2人が何故か神父に なってしまったことがショックだったと生前語っていました。 その幼友達の山本襄治神父の本『心のともしび・聖書のはなし』 放送された内容を女子アナウンサーとの対談で語っているものですが、その中から気に入ったものを紹介します。 聖書を読んでる人にはすぐ分かる話だと思います。 聖書コリント人への手紙と、ルカ福音書より。 ザアカイと呼ばれる高利貸しがイエスを見たさに桑の木に登って見ていたら、イエスが気づいて降りて来なさい。 今日はあなたの家に泊まることになっていますから。 彼は驚き一晩で改心してしまう話があります。 (この話が僕は好きでよく思い出します) この話から神父は喜びについて語っています。 喜びには4つの鍵があります。 1.寛容 2.祈り 3.感謝 4.心配するな です。 しかし、分かりにくい寛容について話しています。 裏切り者、敵の回し者、などと呼ばれていたり、私なんか何をやったって認めてもらえないといじけ、ひがみ、こだわり、かたくなさといったものが喜びを妨げる要因になっている。 イエスは答えました 『あなたには、わたしの恵みで十分だ』 ザアカイは貪欲さだけの心から、いろんなわだかまりが消えて不正に得た利益は四倍にして返しますと誓った。 「自分を開放する」ことが『寛容』ではないかと。 失敗、病気、挫折、災難、怪物のような苦しみ、悲しみの時『それらが神様がくださったものならば、受け取ろう』 という気持ちが喜びの鍵なんだと語っていました。 いま、苦しみに耐えている貴方に喜びの恵みが必ず来ます。 『苦しみは神様からの 贈り物』 (マザー・テレサ) 祈願
散歩する野原に今年は遅咲きの彼岸花(曼珠沙華)が咲いています。 花言葉は情熱。 怪しげな花のイメージ から、別名死人花、幽霊花とも呼ばれています。 私はもうひとつの呼び名が気になります。 「葉見ず花見ず」 というへんな名です。 開花が終わると晩秋の頃に葉が咲き、翌春に枯れる。 花も葉もお互いを見ることなく散る。 何か不思議だと思いませんか。 別れ別れの生涯ですが 、それぞれの役目をしっかり守って生きていく。 後を頼むと何かバトンタッチのような気がします。 人もいずれバトンを渡す運命。 それに気づけ! と咲く花。 それと、球根には有毒があるので、土葬の回りに植えたとされています。 ネズミやもぐらから遺体を守るために。 茎には豊富な栄養素も あるので飢餓の最後の食べものと聞いたことがあります。 野の草花たちを守る役目をする彼岸花。 情熱という言葉が似合う花です。 じっと見つめてしまいます。 思わず心の思いを 祈願
秋の言葉です。
「月々に
月見る月は
多けれど
月見る月は
この月の月」
澄みきった少しの曇りもない満月は月の真澄鏡(ますかがみ)。
自分の姿を映す鏡ではなくて、心を映す鏡という意味です。
月をじっと見つめて いると、心の奥底まで 見透かされるという。
それも必要なのかも 知れません。
「心を映す鏡」 素敵な言葉に 感謝
施設の廊下の角の棚に一輪の花が生けてありました。
誰が生けたか分かりませんが、一日いい気分になりました。
その人の人柄、奥ゆかしさが伝わって来ます。 目に見える利益、よき報いを求めて生けている分けではないからです。
密かにする善行、いわゆる「陰徳」はなかなかできないものです。 縁の下の力になる行為です。
『悟り』の字から考えると、吾とはお互いの意味があり、心をつけることにより、一人で修行して得るのでなく、人や、物などの出会いによって悟りは得るものとあります。
この花一輪から、 陰徳を積むことが、人の気持ちを救うことになると気づくのです。
出会いによって悟る。 まさに実感です。
小さな縁の下に 感謝
今朝の一言。
弘法大師空海は、いろは四十七文字で仏法をやさしい言葉で表現しています。
「色は匂(にほ)へど 散りぬるを 我か世誰(よたれ)そ 常(つね)ならむ 有為(うい)の奥山(おくやま) 今日越(けふこ)えて 浅(あさ)き夢見(ゆめみ)し 酔(え)ひもせす」
春には、白い豊かに咲きほこっていた花も、やがては散って行くように、人間もまた、いつの間にか年をとって、ついには死ななければなりません。 人間ばかりでなく、すべての動物、植物も鉱物さえも、やがては滅びて行くのです。
この永遠で不滅の真理に気がつけば、はかない生命を嘆いたり、浅ましい夢を見て物事にとらわれることはありません。
煩悩(ぼんのう)の迷いの酒に酔ったりすることもない。 という意味です。
これが人間界の星に生まれた修業なのてす。
今日生きることができる喜びに感謝したいと思います。 感謝