生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

オープン・ハート

2018-07-14 03:53:19 | 日々の暮らし
私達の体はボディ、スピリット、マインドの三つからできています。

ボディとは肉体、スピリットとは魂、マインドとは心。
 
肉体と魂が活動するときに味わう感情、思い、感覚などを感じる機能をマインドといいます。

心が穏やかな気持ちでいるとき、心は大きく開いています。

これを心理学では
「オープン・ハート」と呼ぶそうです。

心を開くと物事に対して、優しい気持ちで接し、たくさんの事を受け入れる事ができるといいます。

反対に憎しみや、恐怖を感じているときは心を閉じてしまいます。

心を閉ざすと益々憎しみが増大してしまいます。

納得しませんか。


オープン・ハートに一番大切なことは愛の注入といいます。

愛は無限の力がある。

愛されてる貴方は

オープン・ハート!

合掌


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迷って迷って生きる

2018-07-14 03:53:19 | 日々の暮らし
愛について
キリスト教は
「汝の隣人を愛せ」という。

仏教は
「愛してはならない」と説く。

仏教とキリスト教との大きな差といわれています。

仏教は愛を否定しています。

仏教では愛は自己中心ととらえています。


永遠に繋ぎ止めたいという執着があるからだ。


愛のあるところには必ず執着がある、これを渇愛(かつあい)と表現している。

執着するから悩みが多いのか。



仏教ではこの世を娑婆(しゃば)と呼んでいる。

この世は楽しみもあるが、苦しみの方が多い。


この世は差別社会だ。

金持ちも貧乏人もいる

男性女性の差別もある。


刑務所にいる人は何故かこの娑婆に出たがる。

浄土には全く差別などない世界ととらえている。

それなら、早く浄土に行けばよいのではと考えてしまう。


しかし、誰もが早く行きたいとは思わない。


これについて、親鸞聖人が答えている。

『この娑婆が迷いの世

界だからである。

迷いのなくなった人、

悟った人にとっては、

この世は娑婆でなくな

る。


娑婆に住んでる凡夫は

迷っているから娑婆に

執着するのだ。


執着とは迷いの一つな

んだ。


迷いの世界を離れたく

ないと迷いつつ生きる

のが凡夫なのだ。』


要約すると、

迷っているから離れたくないと執着してしまうのだと述べています。

このような理由を明らかにされたあとで、

親鸞聖人は


『なごりおしくおもへ

ども、娑婆の縁つきて

力なくしてをはるとき

に、かの土へはまいる

べきなり』

この世に執着しつづけて、そして縁が尽きたとき。私たちは浄土へまいるのだ。


縁が尽きるまで、娑婆にしがみついて生きればいい。

それが、娑婆での生き方だと述べています。



僕の座右の銘は

『迷わぬ者に悟りなし』です。


迷って生きるのが人生なのですから、

もっともっと縁尽きるまで、

迷って迷って


生きればいい!


そう思いました。

合掌
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