生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

忘れ水

2018-07-26 01:04:27 | 日々の暮らし

野中や木陰を流れる、誰にも気づかれないような水の流れを忘れ水といいます。

草陰に見え隠れして、
途切れ途切れに流れているささやかな流れ。

和歌の世界では今にも途切れそうな恋のたとえに使われている。

存在すらも知られてはいないけれど、
心のよりどころになったりもする。

このような人がきっとどこかにいるのでしょう。

「あづま路の

道の冬草

茂りあひて

あとだに見えぬ

忘れ水かな」

(新古今集)

「はるばると

野中に見ゆる

忘れ水

絶え間絶え間を

嘆くころかな」

(後拾遺集)

野中にはるかに見える
忘れ水のように、
あなたの訪れが
絶え間がちなのを
嘆いています。

何かほっとする光景ですね。

忘れ水

好きな言葉です。


合掌
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木と人間

2018-07-26 01:04:00 | 日々の暮らし
以前話した言葉の中から「木と人間」について再度話したいと思います。


「まっすぐに大きく伸びた木は、材木としてすぐに役立つから、切り倒される。

でも、曲がった木は、使いものにならないと思われるから、巨木になるまで生長する。

短所が長所になる。

人間世界だって同じさ。」
   (老子)

「木にはそれぞれクセがあり、一本一本違う。
産地によって、また同じ山でも斜面によって変わる。

真っすぐ伸びる木もあれば、ねじれる木もある。

材質も堅さや、粘りがあるものとさまざまである。

木も人間と同じ生き物。
今の時代、何でも規格を決めて、それに合わないものは切り捨ててしまう。

人間の扱いも同じ。

法隆寺が千年の歴史を保っているのは、

みなクセ木を上手に使って建築しているからだ」

(法隆寺宮大工 西岡常一)

私達の社会も、色んな人がいて、それぞれの役割をもって生きている。

俳優もいれば演出家、脚本家、ナレーター、カメラ、照明、音声、音楽、美術、タイムキーパー、小道具、舞台装置、写植、美容師、ケーブル運び等多数の専門職がいて一本の番組ができるのです。

私が制作した中で楽しかったのは、
女優さんを使った
日本橋から京都まで
の「東海道食べ歩きの旅」でした。

時々しか行けませんでしたが、スタッフは収録後豪華な料理を頂き感動していました。

何時の時代も食べ物シリーズは受けますね。

暑中お見舞い申し上げます。
水分補給をして夏ばてしませんように。


合掌
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