「記憶とは過ぎ行く時間に対する反証だという。終わりの夏、せめても、たしかだったものはなんだろう」新聞に書かれていた辺見庸さんのコラムの一文が目を射た。人は同じことを考えるもので辺見さんも散歩しながら消えていく散歩仲間のというか散歩の途中で出会っていた人々が一人、また一人と消えていくことに「何も告げず、しずやかに逝くもの、過ぎ去っていく影、ことわりもなく消えゆく気配にこのごろは妙に胸がさわぐ」と書いてあった。自分の行く公園でも同じことが起こっている。あのうんていにぶら下がって懸垂をしていた老人をふと見かけなくなったり、木刀を持って剣の達人のごとく型を披露していた老剣士は、いつからいなくなったのだろう。過ぎ去った時間の中を自分は生きて歩いていく。毎日の散歩は、淡々とすんでいくんだが僕の目の前の登場人物は季節とともに変わっていくようだ。窓の外は虫たちの鳴き声。いつ、蝉から変わったのだろう。
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