フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

縄ぬけ

2006-11-30 20:16:08 | Weblog
見事抜けています。ガドの縄抜けです。首輪は、以前からどんなにきつくしても自分で抜いてましたけど、胴輪を抜けたのは、初めてです。本当は放し飼いが好きなのですけど近所の手前そうも行かず、首輪に鎖をつないでいましたけどいつのまにか、それをきれいに抜けることをおぼえたのでしょう。自分で抜けるんだものと知らん振りをしてましたけど新聞を持ってくる人とか、電気のメーターを見にくる人とかに吼えてしまってこわがらせるもんですから、スミノフからもくくってといわれるもんですから、胴輪を買ってきてつけたのです。2,3日は、大人しく繋がれていましたが今日は、早速チャレンジして成功したようです。アボのうらやましがることしきりです。フェンネル氏は、ガドに、あだなをつけました。ガドは、柴犬の雑種なんですけど顔が、ブルテリアに似てるもんですから「ブルテリア天功」と呼んでます。縄抜けは立派な技術なんですが、明日から、さてどうしたものかと、うれしいような、困ったようなフェンネル氏でした。

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ストレンジフルーツ

2006-11-29 20:13:28 | Weblog
朝、アボとガドを連れて公園に散歩に行くと木に変なものがぶらさがっていました。全く似合っていません。ストレンジフルーツだねと言いながら写真を撮りました。まるでパンプが育てた木のようです。「まぁ綺麗」なんて喜ぶ顔が目に浮かぶようです。一昨日の激しい雨と風で木の前にある公衆便所の中のトイレットペーパーが、巻き上げられてちぎれて飛んで木に引っかかっています。廻りでは、銀杏が黄色く色づいてはらはらと落ちながら道を山吹色のじゅうたんを敷いているというのにこの楠だけは何の因果でトイレットペーパーを巻きつけてわが身をさらさなければならないのでしょう。その姿にふと自分を重ね合わせ自分以外のことで人は多くの厄介をかかえているなと思いました。そして、自分の責任以外で降りかかってくる厄介事は、ストレンジフルーツだと思って、皮もむかず洗わず処理していく、これが、トラブル処理の考え方だなとこの木のしたでフェンネル氏は、痛く感心しながらストレンジフルーツを眺めていました。

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ロングライド

2006-11-28 20:42:53 | Weblog
この前買ったシクロクロスの試乗にと20~30キロ走ってみました。スピードも十分です。乗り心地も悪くありません。少し大人しいかなと思ったチューブの色も外で見ると結構さまになります。アイウエアにグローブと後は普段着で乗ったのですが、コンパクトなせいかあまり疲れませんでした。わりとフィットしています。



このままロングライドにいけそうな感じです。まだスタンドもボトルゲージもつけていませんけどソフトサスペンションが心地よく小さな衝撃を吸収してくれて楽に走れました。このぶんだとこの自転車結構役に立ちそうです。さて、どこへ行こうかな。ぶらりぶらりと自転車の旅はじめられそうです。

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銀杏並木

2006-11-26 10:46:06 | Weblog
雨が止んだ銀杏並木を歩いて来てふと振り返ったら何と幻想的な景色がありました。落ち葉が落ちてくるようにまるで自分の歩いてきた道を見るような思いでした。はっきりとは見えないけど、おぼろげながらではあるけれど消すことの出来ない自分の道。幾多の選択をして危険を避けてやっとたどり着いた道。懐かしくはあるけれど、決してそこに戻ることは無い道。マイウエイ。今の若者にはこの発想は希薄だ。リセットだと言う。そこには、考察や反省の思考は皆無だ。自分の過去は、消すことは出来ない。この単純な真実が欠落している。極端な話、命までもリセットされると思い込んでいる。どこかのスピリッチュアルカウンセラーの言葉を鵜呑みにして、リセットだとビルの屋上から飛ぶのだろうか。道という考えなしにセット、リセットだけの発想で生きていくのは、まるでギャンブルだと思う。人は、自分の歩いてきた道を修復しながら、これからの道を探して進んでいくもんだとフェンネル氏は思いました。

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異邦人

2006-11-24 09:45:21 | Weblog
蒸気機関車が走っている 朝早く起き出して近くの踏切まで見に行った懐かしくて。そしたらやはりそんな仲間がカメラ片手にやってきてたじいさん5人ばぁさん2人みんなカメラ小僧のようにはしゃいでいた アングルポジションをさがしたり危険を顧みずぐっと寄ったりほほえましいというか冷や水だね そんなこと気にしてないけど。蒸気機関車が走り去った後は煙とコークスの匂いがいっぱいだった。コークスの匂いに遠い異国を思った。イスタンブールとか西アジアの見知らぬ国。ターキッシュブルーの空の下賑わう駅に降り立った髪が黒い東洋人を想像した。大きな旅行鞄をかかえてたどたどしい現地語を操りながらアフリカの方まで行くんだなんて話をしている。小さなカップに入ったドロっとしたトルココーヒーを啜って旅の疲れを少しでも取ろうとしてカフェに腰を下ろした男。初めは好奇の目で見られた彼もいつしか雑踏に飲み込まれて町の風景に溶け込んでいく。自分だけが異邦人であると言う思いを抱きつづけて重い足を運ぶ。帽子にケープ、髭も必要かなと遠い異国に思いをはせるフェンネル氏でした。

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紅葉

2006-11-21 20:11:16 | Weblog
いわゆる紅葉の名所と言うところに紅葉を見に行ってきました。ウ~ン今年はあまり綺麗ではありません。暖かい気候の所為か紅葉もしゃきっとしてなくて何となくボウっとした印象です。メディアなんかは、地元の経済効果なんかを考えて一番いいところだけ切り取って綺麗だよとかあおることしきりだけど自然は正直だから、まだTシャツでも過ごせるような日が多いのにあの秋冷のなかに映える姿にはなかなかなれません。どこか、暖がはいってゆるいと言うか濁っているんですよ葉の色が。だから心に響きません。自然も心に響かなくなってしまったら人なんかに心が響くわけがありませんよね。人も自然の一部ですから。困った現象がそろそろ具現化してきたのでしょうか。地球温暖化、これ以上自然をいじめてはいけない。車をやめて自転車にしようよ。行けるとこまででいいじゃないか。はこべるとこまででいいじゃないか。情報をうのみにしてノコノコ車で紅葉狩りなんかに出かけるんじゃないぞ。紅葉にいつもの輝きが無いのを見れば誰でもきっとこう思うんではないかとフェンネル氏は思いました。

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インディアンサマー

2006-11-20 19:54:09 | Weblog
小春日和です。こんな日に知ってる人が死にました。60歳でした。この前死んだプルーテルは66歳でした。みんな60代で死んでいきます。60代の死が早すぎると思ってました。つい最近まで。でも、これが現実かなと段々と思うようになりました。団塊の世代と言われる人たちの病死の多さを見てひょっとしたら自分達も長生きは出来ないんじゃないかと感じています。長く生きるということではなくどう生きたかの価値感の問題でしょうけど、ボーっとして生きてきた身にとっては、長くも生きられないのかと思うと少し寂しい気がします。もう死を予覚して生きなければならないお年頃に自分も突入したのだと思うと何だかあせりますね凡人ですから。あせってみたところで現実すら変化させることも出来ないのに。せめて、お天気のように雨の日もあれば晴れの日もあるくらいの明確な変化でもあれば、こんな小春日和の温かい日には、深く物事の意味を考え、インディアンの長老のように「今日は死ぬにはもってこいの日」なんていいながら、脂肪のよくついた丸っこい体をお日様にさらして外でうたた寝をしていたいと思いませんか。パンプの世代は長生きできるけど食品添加物と農薬を使った野菜や米をたらふく食べてきた飽食の世代には、明日は無いのかもしれないと思うフェンネル氏でした。
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一理あり

2006-11-18 19:28:12 | Weblog
今日はパンプがとてもハイ。朝から外国に行くと言って硬い意思を持った顔してました。バナナも休んで本人は出かけるつもりです。しばらくすると荷物を持ってでかけてしまいました。車庫から大きな声が聞こえてきます。聞こえてる間はほっときましょうと用事をしていると「悪魔、鬼」とパンプのののしる声。見るとマーチンに連れ戻されて来てました。いつものように「迎えの車は来ません。お休みです」と言って家の中に入れたのですがパンプは納得していなかったのですね。蛍光灯が、ゆらゆらとあかっていたので取り替えているすきにまた出て行きました。今度は声が聞こえてきません。遠くまで行ったようです。そういえば、マーチンに「私がしていることやから、あんたには関係ないでしょう」と言っていました。「ウ~ン一理はあるなぁ」と思いました。あとの迷惑がなければね。声が聞こえないものですから5分後に探しにでましたが見つかりません。近所をくるりと回ったところで大きな車の横におすましして立っているのを発見。「帰ろう」と言っても「いやだ」と言って言うことを聞きません。もともと聞かないのですが今日は特に行ってしまっています。こんなとき待つ以外ないのです。人は、いつも待ってるだけの存在かもしれない。と、力なき自分を慰めつつ、とことん付き合う決心をしました。1時間位たっていたでしょうか、そのうちパンプが車に書かれている文字を読み始めました。顔を見ると正気に戻っています。「帰ろうか」と言うと「うん」と言って素直に帰ってきました。旅行はこれで終わりですが、今日の後遺症は、すぐに復活という形で現れました。夕飯の買い物をして帰って来て冷蔵庫を開けるとどこから引っ張り出したのか車の不凍液とウォッシャ-液がジュースや牛乳の代わりに並んでました。野菜室にはバッテリー充電器がはいってました。「なんだこりゃ」と目をむいて片付け、風呂に火を入れて晩飯を作っていると脱衣場のほうから声が聞こえてきます。風呂に入る「まだ沸いてない」私が入るのやからアンタに入れと言うてない。「う~ん 一理あるなぁ。」と感心してる間にドボン。水風呂に浸かってしまいました。しばらく出てこなかったですけど人は、人に気に入られるために生まれてきたわけじゃないから所詮狂っても自己実現の方向へ自分を向けるのかと考え込んでしまったフェンネル氏でした。
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お迎えが来るまで後30分

2006-11-17 08:49:17 | Weblog
今日は、メイクさんもオサンドンも誰もいません。バナナからのお迎えが来るまで後30分です。あっという間に過ぎる時間でありここからが中々の時間ともなります。パンプは忙しそうにあっちへ行ったりこっちへ来たりと相変わらず落ち着きの無い子供をやっています。大きな声、ドタバタ「グワッシ」と叫びながらどどっと走り回る沢田さんちのマコトチャンみたいにわけがわかったようなわからないような自分だけの物語に没頭です。でも誰でも自分だけの物語って持っていませんか。たとえば、自転車乗って出かける話、自分ならいくつもありますよ。どこが正常でどこから狂気なんて誰にもわかりゃぁシナイよね。ちょっと狂ってる時間が長いだけのことかもしれないね。それにしても手持ちぶたさでいる30分の長いこと恐れ入るなと思ったフェンネル氏でした。
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旅する自転車

2006-11-16 19:16:32 | Weblog
頼んでいた旅する自転車が届きました。シクロクロスといってロングライドに向いている自転車です。どこがどう違うのかと言うとロードよりタイヤの幅が少し広くて衝撃を吸収するサスペンションがついていて、あとハンドルの位置が少しだけ高めになっていてロングライドでも疲れないように考えられているところでしょうか。ロードよりスピードはでませんがポタリングが主の自転車行ですからこれでいいのです。ロードでポタやってるのも自分達の仲間だけですから。これでちょっとパンクの心配をロードほどしなくて遠くまででかけることができます。後は、ボトルゲージをつけてサドルバッグを用意してメッセンジャーでも背中にくくりつけて気ままなたびに出かけよう。新しい自転車を前に心に映り行くいろいろな楽しいことを思っては気ぜわしくなるフェンネル氏でした。

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