快気分析

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自然災害 仕組みとアプローチ -  大坂の陣 真田幸村は何故島流しにされなかったのか?

2016-11-30 20:04:53 | 地震 津波
 真田幸村は関ヶ原の戦いの後、何故島流しにされなかったのか?
 筆者の見方と結論から言うと、それは単純で「家康が大坂の陣での幸村のような役割として最初から使うつもりだったから」。
 それを幸村に知らせていたかどうかはわかりません。
 幸村がそれを知らされていたか、いなかったかはわかりませんが、召集がかかった時に比較的容易に参加できるように高野山に幽閉されていたのだと思われます。
 本当に危険な人物ならば、宇喜多秀家のように八丈島へ島流しにして、簡単には脱出できないようにしていたはずだと思われます。
 調べて見ると島流しにされても天寿を全うした宇喜多秀家はすごいです 
 関ヶ原の戦いで西軍の首謀者達の一人でありながら大敗したのにもかかららず前田氏との縁戚関係で処刑を免れ、そして1605年の慶長地震の津波では犠牲にならず、

引用開始(一部抜粋)

http://www.jamstec.go.jp/donet/rendou/report/provide01.html
東海・東南海・南海地震の強震動と津波の再評価
-1605年慶長地震における八丈島の津波痕跡高の再検討

引用終了

 宇喜多秀家は八丈島噴火に遭遇してもまた生き残り、

引用開始(一部抜粋)

http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen02.htm
1605(慶長10)年
  1月    関東で大地震。死者多数。伊勢、筑紫でも大地震。(孝亮記 1)
  9月15日 八丈島が噴火。三ツ根田畑損失多し。(震災調査会)
 11月15日 八丈島噴火。(談海)
 11月    下旬、浅間山が噴火する。(御日記44)
 12月18日 八丈島噴火。一夜にして大山が出現する。(慶長日記 1)(御日記44)
       (台徳院御実記 2)(柳営年表)

引用終了

 そして更に後の大坂の陣では八丈島までその話さえ届かなかったのか、それとも知ってはいたが行けなかったのか、或いは既に行く気も無かったのかどうか、果たしてどれなのかはわかりませんがとにかく大坂の陣には参加せず、人生の後半はこれと言った災いも無く1655年没。享年84。
 数々の災難をかわしながらよく生き残りました。
 人生の前半は大地震に遭うのに近いような敗戦の苦労でしたが、その後の強運さは注目に値します。
 多くの災難も何のその、結果としては家康よりも長生きをして、著名な戦国武将の中でもほぼ最長寿命で天寿を全うしたのはあっぱれです。

自然災害 仕組みとアプローチ -  ウルトラスーパームーンの有った11月はこうでした

2016-11-30 07:17:35 | 地震 津波
 ウルトラスーパームーンの有った11月は世界的には地震だけでなく火山噴火も活発だったようです。

引用開始(一部抜粋)

http://earthreview.net/19-volcanic-eruptions-in-a-week-in-november-2016/

11月の第三週は「1週間だけで世界の19の火山が噴火」していた。そして、そのうち18の噴火は環太平洋火山帯でのもの
2016/11/29
 地震も火山活動も世界中で活溌ですが、11月14日からの週は、1週間のあいだに 19の火山が噴火していたことが、世界中の現噴火状況を記録しているアメリカのスミソニアン博物館研究所のグローバル火山活動プログラム(Smithsonian Institution Global Volcanism Program / GVP)のデータにより、わかりました。
 冒頭のポポカテペトル山の、噴煙の高さが5キロに及んだ圧倒的な噴火は 11月25日のもので、今回の期間の後のものですが、このように、火山の活動はその後もとても活溌な感じがいたします。
 なお、この11月14日からの 1週間の 19の噴火のうち、ハワイのキラウエア火山を除いてすべてが環太平洋火山帯に属する火山で発生したものです。

引用終了

 「地震の活発化で来るのか、火山噴火の活発化で来るのかわからない」とは考えていましたが、どうも両方共に活発化と言う結果だったようです。
 そして日本国内での地震は11月13日のNZ大地震か、11月14日のスーパームーンの日あたりを境に明らかに傾向変化が有りました。
 有感地震の履歴で見ればわかります。
 熊本地方、阿蘇地方、天草地方は減少、鳥取県中部地方も減少、福島県沖を主として東北地方急増、と言う所です。
 先日あたりから、東北地方の地震はやや静穏化になって来たように見えますが、今後どうなるのでしょうか。
 

自然災害 仕組みとアプローチ -  大坂の陣 真田幸村物語 そして徳川幕府の情報部隊

2016-11-27 21:25:16 | 地震 津波
 大坂の陣では真田幸村の最後の突撃で、家康が危うく本陣を落とされる可能性もゼロでは無かったような話が一般に最も印象的です。
 しかしホンモノの家康はそんな危ない所になど実際にはいなかったと筆者は見ています。
 そんな危険な所にホンモノの家康がいる必要など無いのに、こうした危機の話を残すように意図されている、と考えています。
 では何でこんな話を幕府主導で流した、あるいは流されるのを容認したのでしょうか。
 その理由は次のようなものだったのではないか、と思うのです。
 「仮に勝つ見込みが殆ど無くてもむやみに家臣や旧家臣は主君を換えるべきではない。決死の覚悟で戦えば敵のの大将を討てる可能性だって有る」・・・・・それこそ真田幸村の姿勢と実績とそして最後を語った話なのですが、実はこれ、徳川幕府の情報政策でそうした話を肯定的に流す事を意図したからこそ、江戸時代でも真田幸村の美談が消える事無く幸村人気が現代まで続いたのだろうと筆者は考えています。
 それは「余生がもう長くは無い」事を悟っていた家康が、後世の徳川家や家臣、同盟者らの事を考え、「万が一、徳川幕府が窮地に陥ったとしても簡単に幕府を離反して敵に寝返るような事が無いようにしたいが、ではどのような情報対策をすれば良いのか?」と当時の情報参謀らと練り上げたものが、まさに「勇者 真田幸村」伝説だったのではないでしょうか。
 実はこれに似たものに赤穂浪士の話が有ります。
 こちらの話の方は、吉良上野介の頃の平和な時代だからこそ汚職も多く、その汚職に対する牽制への報復の意味が加わっている点では真田幸村の話とは違っていますが、討ち入りを果たした家臣達を美化する事によって主君に対する忠誠心を改めて意識させる意味も有ったと思われます。
 西暦1600年の関ヶ原の戦いの後、島原の乱や一揆や乱程度しか無かった江戸時代では、「戦も無いのに命の危険も無く安泰な生活をしている士族とは一体何なのか? 単なる意味の無い既得権層ではないのか?」と疑問に思う「民衆の不満と言う敵に対して、どう戦うか」が「幕府の新たな戦い」の一つだったのかも知れません。
 本当は「西暦1600年のワイナプチナの大噴火による影響、そしてその後にはマウンダー極小期の影響と思われる17世紀から始まった世界的な寒冷化と飢饉の多発に対してどう戦うか」、が当時の士族に課せられた「本来の仕事」だったはずなのですが、飢饉と言う自然災害はその後どれだけ続くかは当然、当時は予測などつくはずも無く、対応が遅れたのでした。

自然災害 仕組みとアプローチ -  大坂の陣 冬の陣は11月 夏の陣は5月

2016-11-26 20:28:46 | 地震 津波
 大坂の陣は冬の陣が11月、夏の陣は5月でした。
 この時期が何を意味するのかですが筆者はこう考えています。
 まず5月までと11月からは、外気温度が丁度良く、更にやぶ蚊などの刺す虫が殆どいなくて野営する事が多い雑兵などには最も快適で、十分な睡眠を取らせ良好な健康状態にでき、野戦がが得意な徳川方には有利となります。
 春一番や春の嵐などが5月には既に終了し、台風は11月には殆ど来ないようになる事が多いので、上記と同様に兵士への負担が少なく、野戦の陣営などの仮設施設が強風などで損害を受ける可能性が少ない事になります。
 晴天の日が多く、野戦にはこの方が有利であり、逆に城を拠点とする豊臣方にとっては殆どメリットが無い事になります。
 以上のような自然災害を十分考え、このタイミングで戦闘が始まるように家康は豊臣氏を追い詰めたものと思われます。
 

自然災害 仕組みとアプローチ -  「ニュージーランド大地震」 AND 「ウネリ OR 荒れ」

2016-11-25 23:20:36 | 地震 津波
 ニュージーランドでの大きい方の地震と日本での大きい方の地震の遠隔連動性について、意見は様々なようですが、単独の要素ではまだ定かではないと筆者は見ています。
 しかし「ニュージーランドでの大きい方の地震」 AND 「日本でのウネリ OR 荒れ」と言う論理演算ならば有る程度は遠隔連動性を絞り込めるのではないか、と考え始めています。
 「ウネリOR荒れ」とは以前の記事に書いた通り、VIVAのページで示されている地震計のRMS振幅の日本での(一部でなく)かなり多くの観測点でのデータで現れている広域な「ウネリOR荒れ」です。
草津白根山と富士山を見ると福島県沖地震の前のかなり前の水準に落ちてはいますが、まだ少し荒れが有ります。
 他にも福島県に近いものはこれに近い傾向が見てとれるものが有ります。
 これを福島県沖地震の残りの余震のようなものと見るか、まだ大きな地震がこれから有ると見るか、何か落ち着いて来ているようには見えますがこの点については既に福島県沖地震となってしまったので単純にこの地震の前とは比較出来ず、わかりません。
 しかし以前の記事で書きましたように富士山のものが福島県沖地震の前日から荒れる時があった事、ニュージーランド大地震のときに日本が全体に多くがウネリの谷だったのが次第に通常のレベルの戻って来ていた事は、今後に繰り返されるのか、もう少しデータに注目しようかと考えています。

引用開始(一部抜粋)

http://vivaweb2.bosai.go.jp/viva/v_datalist_kusa.html
http://vivaweb2.bosai.go.jp/viva/v_datalist_fuji.html

引用終了(画像は直接ご覧下さい)