快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  能登地方の復興 その鍵の一つは熊を殲滅しやすい半島地形

2024-04-29 18:25:03 | 火山 地震 津波 
 大地震の後、なかなか復興が進んでいないと言う意見が多い能登地方。
 個人的には石川県に縁もゆかりもなく、今まで一度も行った事が無い県ではありますが、だからといって「おら知らねえ」と言うわけにも行かないと思えますし、そもそも房総半島と能登半島は似た面もあるので何とか能登地方の復興が早まるような提案をして行きたいと思います。
 その1つは筆者が住む「房総半島には熊がいない」、と言う点で、これでどれだけ野山を歩いていて安心か、と言う恩恵が有る事が挙げられます。
 能登地方は熊が全然いないと言う程でないようですが、仮に熊がいても駆除した後に再度、能登半島の付け根のあたりから侵入するリスクは他のエリアよりは遥かに小さいと思えます。
 「クマさえいなければ山暮らしに一度チャレンジしてみよう」と思う若い世代がいなくは無いかも知れません。
 この点で能登地方は他のエリアよりも若い世代の誘致にメリットが有るかと考えているのですがどうでしょう。
 石川県はもっと能登地半島のクマ殲滅とその計画のアピールをして良いと思います。

仕組みとアプローチ -  前田利家と山内一豊の共通点

2024-03-17 20:51:55 | 火山 地震 津波 
 前田利家と山内一豊の共通点。
 わかりにくいようですが、実は似た点が有ると思っています。
 前田利家の加賀は当時の日本海側航路(西廻り航路)の要所、山内一豊の土佐は当時の帆船では東廻り航路ではなかったものの「いざ江戸に攻め込むなら軍用船の軍事拠点となり得る要所」でした。
 そんな危ないエリアから国替えもされずに家康から任されていたと言うのはまあ余程に徳川家からのの信用がないと有りえない事だったかと思います。
 もう一つ、前田利家と山内一豊の共通点ですが親族が大地震で亡くなっている点です。
 
引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E7%A7%80%E7%B6%99

前田 秀継(まえだ ひでつぐ)は、戦国時代の武将。津幡城、今石動城、木舟城主。前田利春の六男。母は長齢院(竹野氏女)。前田利家の弟。
(中略)
天正13年(1585年)4月、津幡から越中攻略の重要拠点として築城された今石動城へと入城[1]。同年5月、佐々軍5000、今石動城へと攻め寄せる(今石動合戦)。秀継は寡兵ながら利秀と共に今石動城を死守、援軍が到着するまで持ち堪えて神保氏張、佐々平左衛門らを敗走せしめる軍功を挙げた。この功により豊臣秀吉から黄金100両と御道服を授けられたという。

同年8月8日、豊臣秀吉、10万を率いて佐々成政討伐へと向かう。28日、成政が降伏して越中平定(富山の役)。利家は新たに越中三郡を与えられ、秀継は越中国木舟城主に任ぜられ4万石を領する。同年11月29日、天正地震により木舟城が全壊し、秀継夫妻は圧死した[1]。その遺領は子の利秀が継いだ。なお秀継は天神を篤く信仰していたことが知られている[2][3]。

引用終了

 山内一豊はと言うと、

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E5%9C%B0%E9%9C%87

天正地震(てんしょうじしん)は、安土桃山時代の天正13年11月29日(1586年1月18日)に日本の中部地方で発生した巨大地震である。
(中略)
琵琶湖 - 下坂浜千軒遺跡(しもさかはませんけんいせき)となる現長浜市の集落が液状化現象により、水没した[32]。秀吉の築いた近江長浜城を山内一豊(妻は見性院)が居城としていたが全壊し、一人娘与祢(よね)姫(数え年6歳)と乳母が圧死した(『一豊公記』)。また家老の乾和信夫妻も死亡したが、見性院は無事であった。

引用終了

 当時は大地震で亡くなるか、戦闘でなくなるか、病気でなくなるか、とかで例え有力武将やその親族であっても長年生きていられる確率は決して高くはなかったようです。


仕組みとアプローチ -  今年3月10日の年間最大新月 結果としての地震

2024-03-17 19:10:12 | 火山 地震 津波 
 今年の最大新月は今月10日でした。
 月の引力と太陽の引力が同じ方向になるわけで、ある程度の地震トリガーは予想されていました。
 Mj4.0~4.9の地震は多発したものの結果としは3月5日~3月15日までに国内で発生したMj5以上の地震は次の通りでそう大した事はありませんでした。
                       Mj   最大震度
2024年3月15日 19時32分ごろ 奄美大島近海 5.5 4
2024年3月15日 0時14分ごろ    福島県沖    5.8  5弱

 大地震である能登半島地震は今年元日に発生したわけですが、仮にこの時に大地震とならず地殻が貯め込んだストレスを発散せずに持ちこたえて頑張っていたとしても、おそらく今回の3月10日とその前後5日間の間までには発生していただろうと思っています。
 歪(ストレス)を貯め込める限界点と地震の月齢トリガーのタイミング次第と言うところでしょうか。

仕組みとアプローチ -  東日本大震災から13年の今日 3.11

2024-03-11 20:27:49 | 火山 地震 津波 
 2011年3月11日の東日本大震災から13年の今日です。
 私も親族が亡くなりました。
 津波予想が最初から大き目に見て15mとかで公表していたなら楽勝で助かったのに。
 当初の津波予測発表の6m(南三陸町の庁舎からの報道の動画とかでもわかります)を閲覧すると、どうせ津波予測なんてできないのなら最初から安全を考えて津波を大き目に想定して「津波は15m以上のものが来る可能性が少なくない」と公表してくれれば助かった命だったのですね。
 「津波予測なんてできるワケがない」のに「予測津波6m」とかの当初の公報でそれを真に受けて犠牲になった人がどれだけいたか、ですね。
 大川小学校の犠牲者も津波予測6mとの当初報道で「6mの津波なら裏山に危険を負って登る必要なない」と判断を誤ったのが大きな原因なのかもと思いますがどうでしょう。

仕組みとアプローチ -  年間最大新月の3月10日 今後どうなるでしょう

2024-03-07 20:07:06 | 火山 地震 津波 
 今月10日は年間最大新月です。
 新月とは月の位置が太陽方向になるので月による引力と太陽による引力が合わさる為、地震トリガーとしては無視できないものなのです。
 3月5日以降、この年間最大新月の前後5日以内に入っていますが、現時点ではMJ5以上の地震は発生していません。
 最近の目立つ地震多発で既にストレスが発散されているのか? それともまだこれから?
 わかりません。
 今後どうなるのでしょう。