快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  2021年の東京五輪はパーシャル(部分的)オリンピックにしてはどうか

2020-09-30 07:57:53 | 新型コロナウィルスやパンデミック
 延期された東京五輪は来年に開催予定のようです。
 新型コロナウィルス感染の状況次第なので現状では今後どうなるのか、何ともいません。
 それで考えたのですが、「何も来年に全ての種目を開催しなくても良く、部分的な種目だけ開催し、全てか或いは殆どの種目の試合は複数年にわたっても良いのではないか」と思うのですがどうでしょうか。
 とりあえず来年はワールドカップなどとかぶらないような種目だけ開催し、他の種目は2022年、2023年などに延期すると言う「パーシャル(部分的な)オリンピック」と言う事になるわけですが、これが果たしてうまく行くかどうかはわかりません。
 ただ「何年かに分けて開催すれば、それだけ楽しみも増える」と言う面も有るのではないでしょうか。
 何故かと言うと、たった数週間で多くの種目を一斉に行ってしまうと、せっかく注目されるような試合が他の種目の試合に埋もれてしまって目立たなくなってしまうケースも有るからです。
 例えばですが、2021年~2023年の3年間にわけて開催すれば、トータルでのテレビ視聴数やネットでの動画アクセス数はかえって増加するかも知れません。
 東京五輪のメイン開会式は2021年、メイン閉会式は2023年ですが、簡易開催式は2022年、2023年も実施、と言うパターンも悪くはない気がします。

仕組みとアプローチ -  秀吉が明智光秀に勝てると確信したのはいつか

2020-09-27 20:18:14 | 明智光秀
 秀吉が明智光秀に勝てると確信したのはいつか?
 それは先日の記事、サブタイトル「やはり明智光秀はイエズス会に良く思われていなかったのかも知れない、と考える理由」を見ていただければわかるかと思います。
 反乱を起こした荒木村重を説得する交渉役には明智光秀、松井友閑、羽柴秀吉が任命され、その後の高山右近に対しての説得役として赴いたのは、羽柴秀吉と松井友閑、それに宣教師でした。
 「明智光秀がどうもイエズス会やキリシタンから良く思われていない」と仮に秀吉が気が付いたとすればですが「イエズス会を味方につければ必ず明智光秀に勝てる」と秀吉は確信したのではないでしょうか。
 だとすればキリシタン武将の高山右近を使って明智光秀を叩くあらゆるシナリオを考え、そして実行したのが山崎の戦いだったのかも知れません。
 更にこれは定かではありませんが、本能寺にいた信長を討つのに高山右近を使って発端を作り、明智勢がやむなく巻き込まれるようにした可能性も考えられなくも有りません。
 秀吉が信長を討つには「自分が必ず勝てる明智光秀を、とりあえず信長亡き後のトップにしておくように流れを作り、それから光秀の明智勢を料理すれば良い」と言う計算になります。
 そして高山右近の近縁の中川清秀は既に1580年、秀吉と内誓紙を作り連携を約束させていたのですから尚更に秀吉の目論見通りに事を進めやすかったのだろう、と言う事は容易に考えられて来るわけです。
 果たして真相はどうだったのでしょうか。

仕組みとアプローチ -  静岡県西部を震源とするMj5.3の地震発生

2020-09-27 18:57:07 | 地震 津波
 今日は静岡県西部を震源とするMj5.3の地震が発生しました。
                        Mj   最大震度
2020年9月27日 13時13分ごろ 静岡県西部   5.3    4

 今日は2014年9月27日に発生した御岳山の噴火から6年目にあたります。
 それで噴火の有った当日の月齢を調べると2.9と言う事で確かに月の引力による地殻などの歪みは(どちらかと言えばと言う程度に過ぎないのですが)生じやすいかも知れないので、突発性の水蒸気爆発系噴火は(これもどちらかと言えばと言う程度に過ぎないのですが)生じやすい、と言う事でも記事にしようか、などと考えていたら今日の地震となりました。
 それで今日の月齢はと言うと9.7と言う事で特に要注意期間と言う程では有りません。
 月齢でないとすると彼岸周辺日と言う事でそろそろ地面が冷えて来た事が関係しているのでしょうか。
 それとも今年多かった長野県中部や岐阜県飛騨地方を震源とする地震と関連性があるのでしょうか。
 真相は今の所わかりません。
 

仕組みとアプローチ -  やはり明智光秀はイエズス会に良く思われていなかったのかも知れない、と考える理由

2020-09-26 16:52:00 | 明智光秀
 荒木村重が信長に反乱を起こした時、当初は信長が懐柔策を採り、荒木村重の説得を試みました。
 有岡城の荒木村重を説得する為に赴いたのは明智光秀、松井友閑、羽柴秀吉でした。
 この説得は結局うまく行かず、次に信長は荒木村重の配下であった高山右近を荒木村重から引き離そうとします。
 そしてキリシタン武将の代表格でもあった高山右近に対しての説得役として赴いたのは、羽柴秀吉と松井友閑、それに宣教師でした。
 ここで気がつくのは高山右近を説得する役に明智光秀がいない、と言う点です。
 ここから考えられるのは、やはりルイス・フロイスが自著で書いている通り、明智光秀はイエズス会、キリシタンに良く思われていなかった、と言う事ではないでしょうか。
 信長がこの点を知っていたので高山右近を説得するメンバーから外したのか、或いは信長が当初メンバーに組み込んでいたものの明智光秀がイエズス会に良く思われていないので自分は適さない旨を信長に進言したからなのか、と言うのははっきりわかりません。
 いずれにしても荒木村重、高山右近との説得交渉の両方にメンバーとしていたのは松井友閑と羽柴秀吉だけだったわけです。
 そしてここで、(人たらしで融通が効く)秀吉-高山右近-イエズス会-荒木村重-(やがて荒木村重を匿う)毛利氏 と言う利害グループと信頼関係が構成され始めたのではないでしょうか。
 

仕組みとアプローチ -  荒木村重が本能寺の変に加担していた可能性は十分に有る

2020-09-26 12:32:12 | 明智光秀
 信長・信忠らの織田勢が援軍として到着し、仮に毛利勢を制圧した場合、処刑が免れないと考えられる一人は言うまでもなく当時の征夷大将軍である足利義昭。
 そして実はもう一人、あまり目立っていないのですが、やはり信長に処刑されるのは間違いなかった重要人物がいました。
 それは荒木村重。
 信長に対する反乱を起こし、有岡城から尼崎城へ脱出し、更には最終的に尾道で毛利氏に匿われ、本能寺の変が起きた後には秀吉に許されて京都に戻り、1586年まで生きていました。
 この人もまた本能寺の変の直前は崖っぷちだったわけで、あらゆる手段で信長を消そうとしていたのは確かだったのではないでしょうか。
 そして荒木村重で見落としてはいけない事、それは「高山右近は荒木村重に借りが有った事」です。
 それが何か、と言うと、高山右近は姉、妹、息子の3人を荒木村重に人質として送っていました。
 そして信長の工作で高山右近は荒木村重から離反し、信長側へ付く事になり、荒木村重は反乱で敗北するのですが、この時に荒木村重は高山右近から取っていた人質を殺さなかったようなのです。
 本来は人質を見殺しにする行為と言うのは高山右近にとってやってはいけない事だったので、この家族である人質が助かったと言うのは、高山右近の名誉が傷つかなくて済んだ事になります。
 これは武士として、キリシタンとしての高山右近にとって、荒木村重は「命の恩人」に匹敵する恩人だった事になります。
 一方の信長は高山右近にとって別に命の恩人と言う程では有りません。
 どちらを取るか?となれば当然、「荒木村重の恩義に報いる」方を優先する考え方になったと思えるのです。
 仮にですが、荒木村重が高山右近へ信長襲撃を強く要請(或いは懇願)すれば高山右近は信長襲撃を強行した可能性は十分に有ると考えています。
 仮にこうした仕組みだったのならばの話ですが、「明智勢と連携して、或いはもしかすると明智勢に偽装して本能寺の信長を最初に襲撃したのが、実は高山右近の部隊だった」と言う可能性は少なくないのではないでしょうか。