快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 織田勢による長曾我部攻めはイエズス会もまた阻止したかったのではないか

2019-11-21 18:23:28 | 明智光秀
 信孝らの織田勢による長曾我部氏総攻撃が始まる直前に本能寺の変は発生したのですが、その背景として斎藤利三の縁戚である石谷氏が長曾我部元親の家臣であるばかりでなく、石谷氏の娘が長曾我部元親の正室だった事も有ったというのが定説です。
 これがほぼ間違いないというのは同感ですが、実は他にも織田勢による長曾我部氏総攻撃を阻止したかったグループが有ったのではないか?と言う要素が有りましたので記事にしました。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/長宗我部信親

長宗我部 信親(ちょうそかべ のぶちか)は、安土桃山時代の武将。土佐国の戦国大名・長宗我部元親の嫡男。
(中略)
身長は「背の高さ六尺一寸(約184cm)」、容貌は「色白く柔和にして」「詞すくなく礼儀ありて厳ならず」と記され、知勇兼備の武将であったといわれる(『土佐物語』)[10]。走り跳びで2間(約4m)を飛び越え、飛びながら刀を抜くこともできたという[12]。『フロイス日本史』によると、キリスト教入信を考えていたとされる。

引用終了

 キリスト教入信を考えていたらしいだけでなく、評判も良かったようでイエズス会としては是非育てたかった人材だったように思えます。
 そして長曾我部元親がそれを容認するという事は元親もまたキリシタンに否定的ではなかった、と言う事になるのかも知れません。
 同じく織田(神戸)信孝もやがてキリシタンになるとイエズス会から期待されていたのだとすれば、「織田(神戸)信孝と長宗我部信親は「共食い」のようになってしまうので戦わせたくない、ならばそれを何とか阻止できないだろうか」、とイエズス会が考えていた可能性はかなり高かったと言えるのではないでしょうか。
 そして総攻撃がまさに実行されようとしたその時に本能寺の変が発生したというのは紛れもない事実です。
 


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