つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

大人

2016-06-19 | Weblog
大人しいという言葉がある。
大人というのは、静かなものなのである。
このことの意味をよく理解して、
大人として、大人しくあらねばならない。
むやみやたらに騒がしくあってはならないものである。
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心念不空過 能滅諸有苦

2016-06-18 | Weblog
自然が世の法則である。
エネルギーの法則で浄化の法則である。
そのために、自然というのはすべて浄化の行為となっている。
自然という言葉、文字をよく理解して、自然に正しく対応していくことで、
正しい浄化の行為となって、一生を無事に過ごせるものとなっている。
「花の命は短くて、苦しき事のみ多かりき」と
有名な詩にもあるように、まさに人の人生も同じにしてあるものである。
花の一時は人生の儚さでもある。
その凝縮された一生を見て、人の一生を知り、自然の法則を覚ることである。
素直に、自然と共にそのサイクルに身を任せて、
雨の日も、嵐の日も、曇りの日も、晴れの日も
応じて生きて一生である。

自然の法則をよく覚り、法則を身に付けて統一された行為となっていけば、
病という気を思うことなどなくなっていくものである。
凡そ人が病に侵されるのは、自然の法則が身に付いていないからである。
法則を身に付ければ、その心の念いは、一切の苦を滅していくもので、
病気を一切思う必要がないものとなる。一生涯病気にかかることが無いものとなっている。
多くの人が何らかの病にかかり生きているのは、法則が身に付いていないからである。
つまり、自然にそぐわない生き方をしているためである。
如何に、エネルギーの法則、自然に生かされているという事に無知であるかという事である。
幼心にして仕方なくも、成長するにしたがって間違いから学び、修正していくことで、
正しい浄化の行為となっていく。法則の行為となっていく。

無知にして生まれ、経験によって覚え、学習することで無知を克服していくのが人生である。
それが道理の徳、道徳を学ぶという事である。
よく観て聴く耳を持てば、悟ることは適うものである。
因みに、
身を入れて聴く耳を持てば、耳が徳をすると書いているように、
覚っていけるものである。法則の功徳である。

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隷属の企み

2016-06-17 | Weblog
お金がなければ生きていけない世の中である。
だから、
どうしても働かなければならないようにさせられている。
させられているのである為に、
’奴隷’である。
そこには強制ということがつく。
従順たる労働者となり、朝になれば仕事に出かけ、
夜になれば帰宅する。食事をしてテレビを見てくつろぎ、眠りにつく毎日。
それは好むと好まざるにかかわらずに、日々繰り返すことで
生活となっている。
国民の義務として税を課せられ、従わなければ
束縛の束縛となるのである。何一つ自由となることがない。
従順たる労働者とならなければ、
生活に困り、人間としての尊厳も奪われるのである。
鎖に繋がれ飼われている犬が、
鎖に繋がれて飼われていることを、誇らしげに
自由と思っているようなものである。

すべての隷属は苦であると仏は説く。

便利が高じれば不自由極まりなくなり、
不便が自由を与る。

教育で洗脳され、勤労に値する事が正義であり、それで
従順たる納税で、正しい国民としての不自由な自由をトリック(策略)する。

頂点に立つ一部のエリート(ずる賢い者達)の、
お山の大将の物語である。
過去、どの国をとっても、その歴史はお山の大将になりたい一心の争いである。
金融システムを構築し、労働に服させ、従順になることに幸せを見出させて、
束縛をする。大衆を操ることは、あたかも、皆さんの為であることを強調としているもので、
共存共栄を尊ぶものではない。格差の構築である。
従わないものは、生きていけないシステムを作り上げているのである。
群れの秩序ともっともらしくして、幸福はピラミット型になっている。
偽りの自由と幸福を上手にトリックしているものである。




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戦き

2016-06-16 | Weblog
格差は社会の衰退を一路とする。
豊かな国の貧しい人々と揶揄されている。
確かにこの国は物資豊かである。
お金さえあれば、実に幸せを感じられる社会である。
ほぼ現代に於いての満足が手に入るのだが、
「ほぼ」であり、特に、お金持ちに対しては百パーセント裏切るものでもある。
どうしてもお金では解決できない事柄が、こぞって起きるのである。
「倫」=「人の守るべき道」、
人倫というのは、粛正であらねばならないのだが、
人の心乱れて倫理を忘れ、
ただただ自分さえよければが蔓延。
お金さえあれば信用に値されて、無ければ不誠実となってしまう変な世の中。
さて、世の中は、仏が予見したように、
末法から滅法と進んでいる。
まさに人の世は、滅亡への進化を一途にひた走っている。
人類の歴史が、どの国を見ても、戦争、殺戮の歴史であったことを思えば、
この先もまた、何ら同じであることは、
今更ながら言うまでも無い事である。

戦きながら生きているのが、今更の人の心である。



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感受性の憂い

2016-06-15 | Weblog
コツを覚える!
これは独自の思いである。
そのために各々違う感覚。
タイミングは同じにしてあるものの、微妙な感受である。
これが智恵となって才覚を為す。
知識では対応できない素早さを持つ。
そして、紛れもなく的を得るもので、断然有利を持つ。
先見の明を得る。これは、
不思議なことである。

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不思議という事の思い

2016-06-13 | Weblog
不思議なことだというのは、
不思議なものだというのは、
思議することが不要ということである。
あれこれと思い、或は、
あれこれと迷い悩み
論ずることのいらないことということ。
つまり、
苦しむことのない思いである。
ある事を見て即答できること。
即理解できる、できた、という事である。
即理解するという事である。
不思議なことである。
不思議なものである。
この思いが智恵の身に付いた心である。
法則の意である。
事由の自由である。
100%誤の無い判断となる。

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自由が示し申すもの

2016-06-12 | Weblog
エネルギーの法則は円運動の自由である。
そのために、始まりも終わりも無いものとなっている。
始まりが終わりであり、終わりが始まりとなっているために、
永遠となっている。
それが法則の自由である。
この自由が全能である。
神である。
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人生とは・

2016-06-09 | Weblog
あの世が生命世界である。
生命世界を天国(涅槃)とするために、
肉体をもって活動するのがこの世である。
つまり、真の生命世界を正しい世界(幸福)とするために、
肉体をもって生死しているものである。
この世での生き方があの世の幸不幸を決めている。
それ故、この世は大事な世界である。
無常の肉体に宿りながら、幾多となく生死を繰り返すものである。
この無常を覚り、輪廻からの解脱が涅槃(極楽浄土)である。
輪廻は苦しみである。その苦しみの根源を覚り、
そこから解き放たれるのが人生の目的である。
無知にして過ち、地獄となるのも自由である。
その無知を克服して、エネルギーの法則とその自由を悟り、
天国とするのも自由である。
人生は、その自由を持っている大切な時間である。
選択は各々の自由なのである。
誰しも幸福になりたいと思うのであるが、
地獄となるのは、エネルギーの法則に無知であるためである。
そのために誤った生き方をし、死んだら何もかもお終いとして生きて、
好き勝手をするために地獄となるのである。

よくよく法則を知ることである。
そういう人には、
人生はあまりにも短いものである。

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希なもの

2016-06-07 | Weblog
大勢が思うように思えば変哲はない。
思いもよらない事に思いよるなら、
紙一重も神がかりのようになる。
それは、
多勢にして希少なものである。
だから、
価値あるもので、希望は叶う。
希なるものの望みは優れものである。

そこいらにあるものではなく、
ダイヤの様に、金の様に静かなところに
静かに眠ってあるものである。
でも、何の変哲も無い様をして、路傍の石の様であるために、
見つけられるのは、変哲あるものの見方ができるものにある。
紙一重にして、凡そ気違いと呼ばれ変人扱いにしてあるものでもある。
ただどこか、真面として安定はしているのである。
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虚無・空虚な

2016-06-06 | Weblog
時は瞬く間に過ぎていく。
今こうして生きている時も、
跡形も無く過ぎていくものだ。
そうして、
生きていたという事実も忘れ去られ、
跡形も無くなるものだ。

人生というのは、そういう空しいものだ。

魂の確立のために、
水の上を歩いていくようなものだ。
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