つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

エネルギーの容止・容姿

2017-03-18 | Weblog
世の中は偽に満ちている。
必ずもうかるからと言って儲け話を持ち掛けるが、
そんなうまい話は世の中にはない。あるなら必ず裏がある。
先ず必ずもうかるなら、その話を持ち込んだものがやるはずである。
他人に教えるわけがない。なぜなら、俗世
人というのは、煩悩具足にして偽に満ちているものであるから。
儲け話を持ち掛けるものが儲けるために行う詐欺的行為、
賭け事も必ず胴元が儲かるようになっているからするのである。
人というもの、おいしい話は他人には言わないものであると心得るべきである。
まぁ、双方卑しい気持ちがある為に悪い目に遭うのである。
誰もが充分知っている諺がある。‘甘い言葉と暗い道’とね。

人間というもの、誰でも必ず死ぬものである。
例外は無い。絶対である。
年齢を追い越すことはできないが、死、寿命というのは、
年齢には必ずしも適用されないもので、若くして年寄りを追い越して、
‘お先に’と逝ってしまうことは多々ある。
なぜなのか?人はその道理を知らないものだが、縁起の法をよく心得ていれば、
まんざら知らないという事でもない。まぁ、それも生命というものに死が無いという事を理解していなければ、
到底知ることのできないことである。
もし生きている間に、生命に死というものが無いという事を理解することが少しでもできるならば、
未来世に於いて必ず悟りを開けて、誤りのない人生を送ることができるものである。
そうすれば、釈迦の様に、二度と転生することのない生命の楽を得られるものとなる。

魂の世界というのは、人生の記憶の統一された世界である。
生命はエネルギーである。エネルギーの法則で動いている。
それ故に、
生命には死が無い。その為に限りなく輪廻していく。そうして幾多の人生経験をもって、その記憶が統一され、
その縁でもってそれなりの母胎に宿る。記憶の統一されたものが現生命エネルギーの性質、性格である。
つまり、心であり魂である。精神でもある。そうして、この世の人となり人生を送っていく。
その人生に於いて、心のおもむくままに生きていくのだが、若かりし頃は無知の為、誤った生き方をするものである。
それでも、エネルギーの法則を理解することができ、
生命に死がないことを理解することができていけば、どのように生きていけばよいかに気が付いていく。
気が付いたはいいが、その時はすでに人生の半分以上が過ぎていて、若かりし頃の生意気だった生き方を悔やむが、
省みることができて、改めて寿命まで仏の心で生きられたなら、生命エネルギーの質の向上となり、
苦が滅せられていく。が、生命は輪廻の内にあり、肉体の寿命をもってふたたびを繰り返す。
生死は一切皆苦である為に、輪廻から離れない限り生命の真の楽は得られない。
そのために、人生はこの輪廻から解脱して、二度と生死の苦を受けないようにするためが目的である。
エネルギーの法則は、善悪の無い為の絶対善の動きである。そのために、その動きに沿い
生きていくことができれば、二度と変化することのない絶対善の世界、エネルギーの法則のゼロポイントで
永遠に自由気ままに生きていくことができる。それを証明したのが釈迦である。
釈迦の説いた法則が正しかったと証明したのが、観世音菩薩の説いた法華経であり、
観自在菩薩の説いた般若心経である。これらの経は、菩薩たちの死後の世界からの語りである。啓示である。
釈迦の説いた修行法が縁となって、修行僧たちに啓示として説かれたものである。
これが生命に死がないことの証明となり、是が絶対唯一の法則であり、宇宙の法則となっている証明となっている。
エネルギーの法則のゼロポイントには、時間も空間も無い。永遠である。
シュウニャといわれ、中がうつろで膨らんでいるもの、つまり、0、エネルギーの容止、容姿である。


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