お盆である。盂蘭盆会といい、
今は亡き人の供養をする行事である。
何を意味するものなのか知らずにも、
朗漏と流れるお経の唱えに、
なにか凛としたものを感じる。
お経にはそれなりの邪気をはらう力がある。
清浄なるものから発せられた言葉であればこその力、
霊の力である。
その最たる力があるのが般若心経である。
琵琶法師の身体にかかれた心経は、
邪悪な気を寄せ付けず、その身を守るが、文字の
書かれなかったところの耳は、
邪気の目のつくところとなり、とられてしまう。
あますところなくその身を
心経が記されていたなら、邪気の及ぶところ一つもなかったことが知れる。
清浄なるものの霊力は、法則の力である。
道理の力である。それは智慧によって身につけられる力である。
その智慧を身につけられる訓えが心経である。
エネルギーである旨の法則を語り、説明しているもので、
誰にでもとして般若とされ訓えられたものである。
厳しい修行に依らなくとも、釈迦の説いた修行と同じ悟りを得られるものである為に、
広く知れわたっていった。それを訓えたのが観自在菩薩と呼ばれるようになった
もと実在の人物である。その人の死後の世界から、縁によって語られたものである為に、
真実嘘のないものとして知れわたり、まさにその功徳は最強即効であった。
過去形となっているのは、今では正しく説かれていないために、
その功徳はなくなってしまっているのである。
宝の持ち腐れという感じである。
今は亡き人の供養をする行事である。
何を意味するものなのか知らずにも、
朗漏と流れるお経の唱えに、
なにか凛としたものを感じる。
お経にはそれなりの邪気をはらう力がある。
清浄なるものから発せられた言葉であればこその力、
霊の力である。
その最たる力があるのが般若心経である。
琵琶法師の身体にかかれた心経は、
邪悪な気を寄せ付けず、その身を守るが、文字の
書かれなかったところの耳は、
邪気の目のつくところとなり、とられてしまう。
あますところなくその身を
心経が記されていたなら、邪気の及ぶところ一つもなかったことが知れる。
清浄なるものの霊力は、法則の力である。
道理の力である。それは智慧によって身につけられる力である。
その智慧を身につけられる訓えが心経である。
エネルギーである旨の法則を語り、説明しているもので、
誰にでもとして般若とされ訓えられたものである。
厳しい修行に依らなくとも、釈迦の説いた修行と同じ悟りを得られるものである為に、
広く知れわたっていった。それを訓えたのが観自在菩薩と呼ばれるようになった
もと実在の人物である。その人の死後の世界から、縁によって語られたものである為に、
真実嘘のないものとして知れわたり、まさにその功徳は最強即効であった。
過去形となっているのは、今では正しく説かれていないために、
その功徳はなくなってしまっているのである。
宝の持ち腐れという感じである。