つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

宝に逢う

2011-08-14 | Weblog
お盆である。盂蘭盆会といい、
今は亡き人の供養をする行事である。
何を意味するものなのか知らずにも、
朗漏と流れるお経の唱えに、
なにか凛としたものを感じる。

お経にはそれなりの邪気をはらう力がある。
清浄なるものから発せられた言葉であればこその力、
霊の力である。
その最たる力があるのが般若心経である。
琵琶法師の身体にかかれた心経は、
邪悪な気を寄せ付けず、その身を守るが、文字の
書かれなかったところの耳は、
邪気の目のつくところとなり、とられてしまう。
あますところなくその身を
心経が記されていたなら、邪気の及ぶところ一つもなかったことが知れる。

清浄なるものの霊力は、法則の力である。
道理の力である。それは智慧によって身につけられる力である。
その智慧を身につけられる訓えが心経である。
エネルギーである旨の法則を語り、説明しているもので、
誰にでもとして般若とされ訓えられたものである。
厳しい修行に依らなくとも、釈迦の説いた修行と同じ悟りを得られるものである為に、
広く知れわたっていった。それを訓えたのが観自在菩薩と呼ばれるようになった
もと実在の人物である。その人の死後の世界から、縁によって語られたものである為に、
真実嘘のないものとして知れわたり、まさにその功徳は最強即効であった。
過去形となっているのは、今では正しく説かれていないために、
その功徳はなくなってしまっているのである。
宝の持ち腐れという感じである。
コメント
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