『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

お知らせ

津・松阪地区で高校入試における内申でお悩みの方は、無料相談承ります。
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。

I saw her studying there.

2011年09月03日 22時26分58秒 | 塾の風景

ム~チョこと赤井から書き込み。ちなみにム~チョ、日本初のギターのNPOを起ち上げたことで朝日新聞他で報道されたことで有名。今はそのNPOを離れ、ギター・寺小屋なる組織を独自で起ち上げ、三重県のミュージックシーンて活躍している。

残念ながら俺は「NEXT ONE!」と叫べるような人生を送っていない。塾という生業は落とした生徒たちを心に刻みながら往く商売だ。その意味では常に現在進行形で突き進むム~チョの人生は羨ましいねえ。

 

智洋(3期生・日産部品)の長女は午後9時なり帰っていった。午後1時からだから8時間ほども勉強していたことになる。

俺が寝ていたときに塾にやって来たさつき(19期生・名城大学人間学科2年)が言う、「集中力はありますね。ドアを開けて入って来たときに最初に目についたのがあの子、ああ勉強してるなって・・・それ以外の生徒は、まあ・・・ぬるい勉強やってるなって」と苦笑。

さつきでなくム~チョだったら、I saw her studying there. とギターをつま弾き出すんだろうが・・・。

つまり午後6時半段階で塾にいた塾生の勉強はぬるい・・・、これが最優先項目やん。まあ、智洋の長女、集中力はあるようで・・・親父のいいところを似て良かった。本当に良かった。

 

中2の附属からの密航者・・・社会がアフリカだとか。アフリカ・・・おいおいおい、問題集なんてないで。仕方がない、高校生に地理を教えてる以上はフォローしなくっちゃね。アフリカの白地図をコピーし始める。

 

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内申今昔物語・・・箱根駅伝か

2011年09月03日 20時38分52秒 | 高校受験

昨夜の福島先生との話もあって少し疲れていたようでいつしか沈む・・・1時間半後に覚醒。俺を見下ろしているのはさつき(21期生・名城大学人間学科2年)だ。

長女はまだ勉強している・・・いつ帰ってもいいと言ってあったが俺が寝ていたので行きがかり上か・・・。さつきに詳細を説明、3期生の娘ということではなく、今の内申と中間期末と実力私見の乖離めいたこと。

今日やった試験は育伸社の数学・理科・社会をそれぞれ2回で計6回の試験。来週の実力試験の範囲の広さを考えればこんな方法しかない。質問したくともできないかもしれない、さつきに任せる。さつきの弟と中学でタメだということ、さらにさつきのお母さんに小学校の頃に教えてもらっているかもしれないということ・・・どちらも当たりだったようで、隣に座って一つの質問に答えると次々に出てくるようで・・・途切れることなく溢れ出したかのよう。それもあってか、この時間になっても粘っている。

 

あの頃は三者懇談で提示された内申がそのまま高校には送られなかった。てっきり送られると思いこんだ方が悪いのか?

ただ、3期生の智洋を端緒として徐々にその事実が明らかとなり、進路指導もそれを踏まえて行うようになった。

具体的にはコツコツと勉強・・・教師側からなら健気に勉強したグッチ(20期生・龍谷大学3年)の2月の三者懇談の内申は38だった。当時の津西は今とは違い飛ぶ鳥を落とす勢い・・・最低でも40は必要だった。38 の内申・・・しかし高校に送られる資料には41か42になると踏んだ・・・健気だったからだ。

そしてグッチは津西に合格、成績開示には俺がエスティマに乗せていった。グッチが笑って戻って来る・・・「先生の予想、当たり・・・42でした」

ちなみにグッチは20期生、現時点で大学3年の学年、つまり今から6年前。この段階では、依然として“ねじれ内申”が健在・・・その生徒が教師側からどのように思われているか・・・極論づければ、その生徒を合格させたいか否か・・・が最後の鍵だったのだ。

今はこのシステムではない・・・今は教育委員会の各学校長への通達、「高校へ送る資料は必ず受験生と保護者に見せるように」というお題目が効いたようで、2月の三者懇談で提示された資料が高校に送られる。

この通達は三重県私塾振興会の尽力で実現したもの。その意味で俺は振興会の塾の方々に感謝している。

今日のブログの内容・・・三者懇談での内申はねじ曲がる・・・に、さっそく受験生の保護者から質問を頂いたこともあり、追伸めいた内容となった。

今は大丈夫。2月の三者懇談で提示される資料がそのまま高校に送られます。

ただ、一部の中学では提示をせず、内申を尋ねられた時だけ資料を取り出し、生徒や保護者からは隠すようにして答えています。名前を挙げれば久居中です。生徒が受かるか落とすかのせめぎ合い・・・どうにかしていただきたい。

 

今のように開かれた内申になるまで、俺は幾多の生徒を落としてきた。2月の三者懇談を信じたばかりにだ。今でも落としてしまった一人ひとりの生徒は俺とともにいる。

 

クリックのほう、ほんまにほんまに頼んます。

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やり残した仕事

2011年09月03日 13時54分26秒 | 塾の風景

ちなみに3期生の智洋、1年後輩となる横山や越知などの4期生に愚直に勉強する姿勢を授けてくれたことが特筆される。智洋に言わせれば、1年先輩の西村(2期生)の勉強スタイルを真似ただけだと謙遜するが・・・。

後輩に与えた影響とともにもう一つ、最も若くして自分の家を建てたことでも特筆される。確か27歳あたりで家を建てたと記憶しているが、子供も4人・・・中3の長女を筆頭に男の子が3人。

そんな長女と話す。

「お父さんはさ、すっごく勉強してさ、決して得意なタイプではなかったんやけど、人より時間をかけて津東を目指した。問題は内申、かなりファジーなレベルで受かるか受からないかの瀬戸際。まだ塾を始めて間もなかった俺は何度もね、お母さん、君からすればおばあちゃんに頼んだんや・・・中学の先生にこの内申で津東をクリアできますかって聞いてほしい・・・ってね。三者懇談では、去年の合格者の内申と同じだから内申は心配ないって担任の先生から言われた。一抹の不安はあったけど、内申についての情報となると、はやり中学の先生が一番よく知ってるはず・・・当時はそんな初心(うぶ)なことを思ってたんや。そして津東で勝負・・・ところがお父さんの受験番号はなかった・・・先生、僕の番号あらへん・・・お父さん、俺の顔を見て言うねん。その横を塾生が二人、白山中の生徒が楽勝でした!って横切る。俺は今でもその残酷なシーンを覚えている。その後でお父さん、一人で中学に報告に行った・・・落ちたことを言うと担任の先生、当日の点数が足らんかったんやな・・・そんなふうに慰められたらしい。でもな、当日の点数が足らんかったんが原因やったら俺のせいやな。しかし、中学は違うけど塾でお父さんといっしょに勉強して同じように津東を受けた白山中の二人は受かってた・・・ショックやった、お父さんの方が直前の仕上がりが遥かに良かったからや。なんでこいつらが受かって智洋が落ちるねん!ってね・・・。俺にはお父さんの落ちる理由が分からんかった。内申のシステムが分からんかった。まあ、今更どうしようもないんやけど収まらない、それでその当時の塾生のお母さんで津東の先生をしてた方に電話した。なぜ、お父さんが落ちたのか・・・内申か、当日の点数か・・・教えられないって言われた。仕方ないなと思ったら、私からは答えられないから俺から質問しろって。それでさ、お父さんの内申を聞いてみた・・・三者懇談で言われた33の数値や。そしたら塾生のお母さん、正確な数値は言えないけど33ではないって。じゃあ、それより低いか高いかって聞いたよ。お母さん少し間をおいて、それよりかなり低いって・・・。つまりやね、三者懇談で見せられた成績表が高校に送られてないんや。2月の三者懇談での成績が直前に改ざんされて高校に送られている。俺はさ、お父さんを落として、やっと一つの事実が分かったんや。でもさ、分かってもさ、どうしようもできへん・・・。俺なんかよりさ、落ちたお父さんが一番つらかったはずやからな。でもな、あれから23年・・・ずっとずっとお父さんを落としたことを後悔してきたんや」

長女は黙ったまま、年寄りの昔話を聞いていた。昔々あるところに・・・ではなく、れいめい塾に一人の少年が・・・じゃなく、お父さんがいました・・・なんて類の昔話だ。

思えば、あの時から内申をめぐる巡礼が始まったんだと思う。ただでさえ、この話を人に語る時の俺は胸をかきむしられるような気がする。それがなんと、相手が当の本人の娘ときている。

ちなみに内申について・・・長女は親父に似なかった・・・。僥倖である。

 

昨夜、父親の話を熱っぽく語る俺を娘がどのように眺めたのか・・・分からない。ただ、今しがた長女はお母さんの車で塾にやって来た。依然として雨は降っている。しかし、風は昨夜ほどではなくなった。23年ぶりのやり残した仕事が始まる。まずは今年の育伸社の8月テストの数学からだ。

 

 

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前はまさかの徳島上陸、今回はさすがに高知上陸

2011年09月03日 11時01分44秒 | 塾の風景

娘のれい(18期生・三重大学教育学部3年)がこのところ遅くまで勉強している。教育実習の準備らしい。そのれいが帰り、俺もまた『史記』を片手にベッドに沈。

しばらくするろドアが開く音・・・福島先生(双葉塾頭)の登場である。

お互いの生徒の夏季講習の仕上がりなどをあれやこれやと話す。やはり中1と中2の復習に終始していたウチの生徒は遅い。福島先生とこでは英語が最後まで終わったという・・・羨ましいが、仕方がない。今年に限っては、ひたすらに愚直に進むしかないのだ。二人の話をさえぎるような風の音、そして雨・・・台風はまだ上陸していない。

双葉塾では例年、堀阪山の家で合宿を行っている。今年は全ての計画を生徒たちやサポーターの自主運営に委ねたそうな。当然キャリアがある福島先生から見れば不満噴出となるのだろうが、不満を語るわりには表情が柔らかいし口調も滑らかで楽しそうだ。

その堀坂山の家は来年から使用不可となるそうな、「来年からはどこか探さなくっちゃ」と福島先生、「でも、午前2時に怒鳴り声をあげてもいいような宿泊所って、滅多にないですよね」

 

午前10時頃に四国の高知県東部に上陸したらしい。風は相変わらずだが、それでも真夜中に比べればマシだ。それもあってか、朝から中1の莉穂と茉穂、それに一晴が来ている。

津高の文化祭、火曜日延期が決まった。

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