スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

御徒町その25

2018-06-10 20:11:45 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
帰りはてくてく歩いて御徒町駅へ。上写真は駅の近くで見つけたパンダ像。確かに上野動物園はすぐ近くである。歩いていたら疲れてしまった。駅近くのカフェ・ド・クリエで少し軽食を食べる。疲れた体には良い。
カフェ・ド・クリエ

半日にもならない旅であったが楽しかった。たまにはこういう時間があって良いか。

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御徒町その24

2018-06-10 20:01:40 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
立ち寄ってみたのが湯島天満宮である。ご存じ学問の神様・菅原道真を祀っている古い神社である。シーズンになると受験生がお守りを買い求めるとか。自分も少し頭が良くなるようにお祈りをしてきた。下左写真の大鳥居は1600年代の作だそうな。帰りは裏から抜ける。階段を降りて行くが、急な方が男坂(下中央)、なだらかな方が女坂(下右)である。女坂の方は演歌の題材か何かになっているらしく、立て札が立っていた。
Wikipedia「湯島天満宮」

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御徒町その23

2018-06-09 23:55:24 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
最後は洋館の外観をあちこちから撮った画像を載せて終わりにしたい。富豪が残した屋敷というのはどこの国でも良いものである。
ティールスカ・ギャラリーその1
ティールスカ・ギャラリーその2
ティールスカ・ギャラリーその3
ティールスカ・ギャラリーその4
南仏旅行その18 ロスチャイルド邸
南仏旅行その19 ロスチャイルド邸
久弥の子供達について。この和館で結婚式を挙げた長男・彦弥太であったが、財閥家族に指定されたため、三菱グループの社長にはなれなかった。子供の中で有名になったのは長女の美喜である。昭和天皇の通訳を務めた外交官・澤田廉三に嫁ぎ、戦後になり日米混血の孤児ための学校「エリザベス・サンダースホーム」を設立した。書籍にもなったのでご存じの方も多いであろう。
Wikipedia「沢田美喜」

屋敷を出る。この周囲を少しフラフラしてみることに。



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御徒町その22

2018-06-09 23:28:34 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
この屋敷の最後は撞球室である。こちらもジョサイア・コンドルの手によるもので、古い建築がほぼそのまま残っている。スイスの山小屋風建築とコンドルは呼んだ。実際にビリヤードが行われることもあったし、図書室として使われることもあったとか。洋館とは地下通路でつながっている。

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御徒町その21

2018-06-09 22:57:31 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
今度は庭から屋敷の方を撮ってみた。

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御徒町その20

2018-06-09 19:26:48 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
大広間の隣は喫茶店であった。抹茶アフォガードなるものを頼んでみる。アイスクリームは小岩井農場のミルクを使っているそうな。大広間の奥から庭に出る。巨石の上で靴を履く(下写真)。ここだけ岩崎家の家人の気分である。
かつては馬場、発電所まであった和館であるが、そのほとんどは取り壊されてしまい、残念ながら残っているのはここまで。洋館の方も戦後接収されてGHQの諜報機関が置かれた。庭は切り売りされてマンションや裁判所の研修施設が作られた。それでもやがて洋館は返還され、これと残った部分の庭と併せて東京都が整理したのである。都立公園として開園されたのは2001年のことである。
Wikipedia「キャノン機関」

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御徒町その19

2018-06-09 18:58:30 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
和館の最後は大広間である。微かに消えかかった絵がふすまや奥の壁紙に残る。あの横山大観の師匠、橋本雅邦(はしもとがほう)の絵である。この大広間で岩崎久弥の長男の結婚式も挙げられた。絵が鮮やかであった折には華やかな空間であったのであろう。
Wikipedia「橋本雅邦」
しかしこの屋敷の日々にも終わりが訪れる。終戦とともに財閥解体が始まった。三菱財閥の社長であった久弥が無事であれたはずはない。住み慣れたこの屋敷はGHQに接収され、土地も切り売りされていく。やがて久弥はこの屋敷を離れることになった。行った先は千葉県の富里市である。富里市に久弥が作った末廣農場という農場が残っていたのだ。1955年、ここの屋敷で久弥は没した。享年90歳。残念ながら富里市の屋敷はまだ一般には非公開である。
Wikipedia「財閥解体」
Wikipedia「末廣農場」

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御徒町その18

2018-06-07 23:58:39 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
一階に降りて、次は和館である。洋館とは廊下でつながっている。
今では和館のほとんどの家屋が取り壊されてしまったが、以前は10棟以上の建物があった。そして、建築に詳しい人は「もし取り壊されていなければ、洋館よりも和館の方が価値があった」と言ったとか。上写真の廊下、天井に着目されたし、ヒノキで、この長さでどこにも継ぎ目はない。一枚の長い板を何枚か並べているのであり、余程の巨木から削り出したものと見える。下左から二枚目写真は中庭であるが、巨石が履物置き場として設置されている。岩崎弥太郎が巨石を好んだことは良く知られているが、それにしても大きい。


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御徒町その17

2018-06-07 23:50:00 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
ベランダからカメラを回して撮ってみる。ちょっとズレてしまった。右の建物も奥の建物もない光景を想像されたし。

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御徒町その16

2018-06-07 23:45:06 | 日本国内旅行(東京・御徒町2018)
そして2階からベランダに出てみる。今でも景色の良い空間であるが、竣工当時は視界に入るマンションもなく、ベランダから向かって右を見ると富士山、正面を見ると房総半島が見えたのだという。どんな風景だったのか、少し想像してみる。

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