日本語のホームページを見ていると、「グローバル」という単語が、英会話の宣伝と一緒に頻繁に出て来る。「これからのグローバル化の時代、あなたの英語力で生き残れますか?」「今、求められているのはグローバル人材です」と言った具合である。確かに自分も未だに英語で苦労しているので、余り偉そうな口はきけない。しかし、これらの宣伝を何件か見ていくと、今度は何だか妙な違和感が拭えない。何なのだろう?この違和感は。
自分の今いる職場は多国籍である。スウェーデン人以外では、アメリカ人にイギリス人にドイツ人に中国人にインド人、さらにスペイン、イタリア、エストニア、ロシアにベラルーシ。。まあ兎に角たくさんたくさんな状況で、多分「グローバル化」した職場なのではないかと思う。ではそこで使われる英語はどんな英語なのか?と言われれば、これまで述べた如くかなり多種多様な英語が喋られている訳である。
英語いろいろ
英語いろいろ・その2
ただ、唯一皆の間で共通している事は、「次第に喋る英語を変えて行っている」事である。例えばインド人の同僚は来た当初はかなり英語を聞きとるのに苦労したのだが、今はかなり聞きとりやすくなっている。こちらが慣れた事もあるとは思うのだが、本人の方も口を大きく開け、はっきり喋ってくれる様になっている印象である。またアメリカ人の同僚も、来た時よりも喋るスピードを落としてくれている感じで聞きとりやすくなっている。2人とも自分以外の人に対してもそう話しているので、おそらくはあちこちで必要に迫られて変えて行ったのであろう。
上の「グローバル化」の宣伝を見ると、何やら世界共通の「グローバル化英語」なるものがあって、その基準に達するためにはこれとこれの勉強をする必要がある、と言う様に聞こえる(まあ、その為の宣伝なのだろうが。。)。上記の「お国英語」を見て頂きたい。国によって英語は百者百様なのが現実なのである。もちろん基礎的な文法や単語力、ヒアリングの勉強が必要である事は論をまたないのであるが、その上で重要なのは「適応力」であると感じる。場所に応じて自分の英語を変化させていく努力が必要になる筈なのである。受験英語を勉強して、試験で高得点を得るテクニックをマスターするのとは、いささか異なる状況なのだ。
新聞やテレビなどでも「グローバル化」などと叫ばれ、さらに同級生に帰国子女で英語がペラペラな人がいたりすると、この手の広告を見せられた人には何となく焦りの様なものが生じてしまうのではないかと想像する。自分もスウェーデン渡航直前はかなり焦った気持ちを感じていた事を覚えている。でも今もし昔の自分に対して言えるなら、大丈夫だよ、と言ってあげたい。もちろん勉強は続ける必要はあるが、「焦る」必要は少なくとも無い。と言うか焦っても仕方ない、一歩一歩地道に努力する以外やり様がないのである。それに大事なのは英語が流暢である事より何より、「用が足せる事」である。英会話が苦手ならそれを補うための努力、それこそ「適応」するための努力をすれば良いだけの事である。下の過去エントリーを参照。自分の感覚からすると、試験勉強などの一発勝負に集中するタイプより、倦まずたゆまずコツコツやるタイプの人間の方が成功する確率が高い気がする。
紙に書くということ
英語について
英会話について
日本語英語
自分の今いる職場は多国籍である。スウェーデン人以外では、アメリカ人にイギリス人にドイツ人に中国人にインド人、さらにスペイン、イタリア、エストニア、ロシアにベラルーシ。。まあ兎に角たくさんたくさんな状況で、多分「グローバル化」した職場なのではないかと思う。ではそこで使われる英語はどんな英語なのか?と言われれば、これまで述べた如くかなり多種多様な英語が喋られている訳である。
英語いろいろ
英語いろいろ・その2
ただ、唯一皆の間で共通している事は、「次第に喋る英語を変えて行っている」事である。例えばインド人の同僚は来た当初はかなり英語を聞きとるのに苦労したのだが、今はかなり聞きとりやすくなっている。こちらが慣れた事もあるとは思うのだが、本人の方も口を大きく開け、はっきり喋ってくれる様になっている印象である。またアメリカ人の同僚も、来た時よりも喋るスピードを落としてくれている感じで聞きとりやすくなっている。2人とも自分以外の人に対してもそう話しているので、おそらくはあちこちで必要に迫られて変えて行ったのであろう。
上の「グローバル化」の宣伝を見ると、何やら世界共通の「グローバル化英語」なるものがあって、その基準に達するためにはこれとこれの勉強をする必要がある、と言う様に聞こえる(まあ、その為の宣伝なのだろうが。。)。上記の「お国英語」を見て頂きたい。国によって英語は百者百様なのが現実なのである。もちろん基礎的な文法や単語力、ヒアリングの勉強が必要である事は論をまたないのであるが、その上で重要なのは「適応力」であると感じる。場所に応じて自分の英語を変化させていく努力が必要になる筈なのである。受験英語を勉強して、試験で高得点を得るテクニックをマスターするのとは、いささか異なる状況なのだ。
新聞やテレビなどでも「グローバル化」などと叫ばれ、さらに同級生に帰国子女で英語がペラペラな人がいたりすると、この手の広告を見せられた人には何となく焦りの様なものが生じてしまうのではないかと想像する。自分もスウェーデン渡航直前はかなり焦った気持ちを感じていた事を覚えている。でも今もし昔の自分に対して言えるなら、大丈夫だよ、と言ってあげたい。もちろん勉強は続ける必要はあるが、「焦る」必要は少なくとも無い。と言うか焦っても仕方ない、一歩一歩地道に努力する以外やり様がないのである。それに大事なのは英語が流暢である事より何より、「用が足せる事」である。英会話が苦手ならそれを補うための努力、それこそ「適応」するための努力をすれば良いだけの事である。下の過去エントリーを参照。自分の感覚からすると、試験勉強などの一発勝負に集中するタイプより、倦まずたゆまずコツコツやるタイプの人間の方が成功する確率が高い気がする。
紙に書くということ
英語について
英会話について
日本語英語