ひょんなことから映画「フューリー」を見る事になった。第2次大戦中のアメリカ軍戦車の戦闘の話である。
Wikipedia「フューリー(2014年の映画)」
映画の中に登場するのがドイツ軍の「ティーガー」戦車。撮影には博物館にあった本物のティーガー戦車が貸し出されたそうで、迫力満点である。映画の中では主人公たちのアメリカ軍戦車4台が1列縦隊で進んでいるところを待ち伏せ、射撃でまず1台を撃破、次いで戦車戦になるがアメリカ軍戦車の砲の直撃を受けても受けてもびくともせず、逆に砲撃で2台を撃破、最後に主人公の乗る戦車が装甲の薄い背後に回り込み、至近距離から射撃してようやく「ティーガー」の撃破に成功するのである。こちらは映画の中の話だけではなく、実際の戦闘でも「ティーガー」1台に10台以上の連合軍戦車が撃破されてしまう事は少なくなかったそうである。
「ティーガー」戦車は第二次世界大戦末期に登場したドイツ軍の重戦車である。当時の戦車の重量の標準が大体30トン前後であったところ、実に総重量57トンの巨体であった。ただ大きいだけでなく正面装甲の厚さは100mmを超えており(当時の世界標準は50-60mm)ずば抜けた重装甲であった。また主砲も88㎜砲を搭載、当時の世界の標準は75㎜砲であったので(砲の威力はほぼ口径の3乗に比例する)、こちらも強力そのものであった。
重量のおかげで機動力は悪かったが、大戦末期にドイツ軍が敗色濃厚となり撤退に撤退を重ねていた時期には大活躍した。味方の軍が撤退している最中、「前進してくる敵の戦車を待ち伏せて攻撃する」のであれば機動力が悪いことなど問題にはならないからだ。「ティーガー」の戦車長の中には敵戦車を100台以上撃破したエースが少なからず存在する。ただこういう使い方であっても、余りの重量に路肩にはまりこんだり脱輪したりという事故は絶えず、エースとなった戦車長の話を読むと「敵が攻めて来る前に、自分の戦車が走る予定の道路が地盤が緩くないか、逐一調べ上げていた」という話があったりする。
Wikipedia「ティーガーⅠ」
ではこの「ティーガー」戦車、いつごろに開発が始まったのか、と言うのが質問。実は最初のアイディアが出たのは1937年、第二次世界大戦が始まるよりもさらに前だったのである。当然この時期にドイツ軍が敗色濃厚になる事が予想されていよう筈もなく、当初の開発のコンセプトは「重装甲を生かして敵を攻撃する先頭に立たせ、敵陣を突破する『くさび』の役目をさせる」であった。それが大戦中の紆余曲折を経て開発が続けられ、いざ戦場に出た時には全然違う用途で使われて大活躍したのであった。実際問題、敵陣に攻め込んで攻撃する時にこんな鈍重な戦車が先頭を走っていたら味方の方が大変であっただろう。
で、大体どんな仕事もそんなものではないかと言うのが自分の考え。事前に「これこれこういうコンセプトで使おう」と思って始めた仕事が後になって全然違う場所で役に立つ、と言うのは往々にしてある事である。が、人間「仕事に費やした努力が大きければ大きいほど、当初の目標通りに仕事が役に立たない時に落胆する」というのが性である。別に落胆しても良いが、その後はできるだけ臨機応変、柔軟でなければ無いのではないかと思う次第。ぬか喜びならぬ「ぬか悲しみ」になってしまっているかも知れないのだから。。努力を費やした仕事というのは良く考えれば大体どこかには応用できるものである。
モロトフ・カクテル