スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

鹿児島その16

2023-06-07 00:13:26 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)












最後は余った写真を適当に。
上から1枚目写真:鹿児島の市電である。日本最南端の路面電車であり、年間1000万人が乗るのだという。確かに本数も頻繁にあり便利である。乗るときはどこまで乗っても170円なり。ちなみにこの市電の南端の終点が「谷山」という駅なのであるが、この谷山駅のすぐ近くにある学校こそが全国屈指の進学校、鹿児島ラ・サール中学・高等学校である。
Wikipedia「谷山停留場」
Wikipedia「ラ・サール中学校・高等学校」
2枚目写真:火山灰のゴミ捨て場所。桜島の噴火による降灰は鹿児島市民にとっては日常茶飯事のことらしい。ただこの灰をそのままゴミとして出してはダメらしく、専用の袋に入れて出す必要がある。この火山灰、酷い時は隣県の宮崎県にまで降ったことがあったと宮崎出身の同僚が言っていた。
3枚目写真:天文館の中にあったカフェ、Danken coffee。鹿児島でベーカリーを経営する会社が手掛けたカフェらしく、良い雰囲気の店であった。
4枚目写真:お土産である。薩摩蒸気屋というお店が販売している「かすたどん」。鹿児島では定番のお土産で、ファンも多い。蛇足ながら若き日の浜崎あゆみがこの「かすたどん」のCMに起用されている、というのは有名な話らしく、皆様もYoutubeを「かすたどん 浜崎あゆみ」で検索頂くと、まだ少女のころの浜崎あゆみが剣道着姿でほほ笑むCMがご覧いただけると思う。
Wikipedia「薩摩蒸気屋」
5枚目写真:かるかん饅頭。明石屋という有名店のもの。甘くて美味しいが、原材料が山芋であったことは初めて知った。お勧めである。
Wikipedia「軽羹」
6枚目写真:カルビーの「じゃがりこ」の地域限定商品である。

忙しい合間であったので、そんなに観光三昧という訳には行かなかったが、それでも飛行機に乗ってどこかに行く、ということがかなり久しぶりであったことは確かである。またどこかに行ってみたいものである。
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鹿児島その15

2023-06-06 23:51:01 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)








そして2日目は仕事があったので観光はほどほどに。鹿児島中央駅にたどり着いた。そして嬉しかったのが、この駅に「ざぼんラーメン」(一番上写真)があったこと。食べてみたが、確かにこれは美味い。我流風に比べると「長く、毎日食べても飽きない味」という感じで、あっさり味ながら良かった。さっそく「師」にLINEを再度送ると「わしも食べたくなってきた」とお褒め?の返事が来た。鹿児島中央駅はかなり大きな駅で、上写真2枚目のように観覧車が駅舎にあったりする。4枚目写真は「若き薩摩の群像」と題する彫刻で、駅の前に建てられていた。薩摩出身の明治の功労者は西郷隆盛や大久保利通だけではなく、大蔵大臣として名を馳せた松方正義、東京慈恵会医科大学の創始者となった高木兼寛などもいる。東京から見たらかなり離れた薩摩の地で、これだけの多数の人材を輩出してきたことは本当に驚くべきことである。
Wikipedia「松方正義」
Wikipedia「高木兼寛」
鹿児島中央駅からは空港に直行するバスが出ている。乗って空港に向かう。さらば鹿児島である。
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鹿児島その14

2023-06-06 01:42:50 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)










さて、最後は1日目の思い出写真を。一番上写真は天文館の中にあった銅像で、立っている方が島津家の第25代当主、島津重豪(しまづしげひで)である。座っている方が家臣の水間良実(みずまよしざね)。そもそもなぜ「天文館」が天文館という地名なのかと言えば、この殿様の命令でこの地に天文観測所が建てられたからにほかならぬ。当時のこの辺りは野原だったのが、のちに発展して繁華街になっていったのである。重豪は開明的君主として知られ、特に西洋の学問に強い関心を示した。その曾孫が島津斉彬である。
Wikipedia「島津重豪」
あとは帰り道のスーパーマーケットやらコンビニやらで買ってみたもの。2枚目写真は「爆弾おにぎり」とある。鹿児島特産のものなのかと思ったら、日本各地に「爆弾おにぎり」というものはあるらしく、ここ特有という訳ではないらしい。ボリュームたっぷりのおにぎりである。3枚目写真は焼きおにぎりであるが、「キンコー醤油」使用とある。これは錦江湾に由来する社名で、鹿児島に本社がある醤油メーカーなのである。九州の醤油は全体に甘いのが特徴で、このおにぎりもそんな感じの味であった。4・5枚目はカップスープであるが、奄美大島の名物料理「鶏飯」をカップスープにしたもの。鶏飯、「けいはん」と読み鹿児島では給食のメニューにも使われるのだとか。
Wikipedia「キンコー醤油」
Wikipedia「鶏飯」
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鹿児島その13

2023-06-06 01:31:35 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)






すっかり遅くなってしまって。鹿児島随一の繁華街「天文館」に行ってみる。だいぶ遅くなってしまい、レストランも閉まっているところが多い。何か食べるものは。。と思って探して、見つけたのが鹿児島ラーメンの名店、「我流風 」(がるふ)である。1972年創業、ウィキペディアにも名前が見える名店である。早速写真を撮り、我が「ラーメンの師」にLINEで送って自慢すると、たちまち「師」からお叱りの言葉がきた。「我流風は良いが、鹿児島ラーメンの原点ではない。原点は『ざぼんラーメン』である!」とのこと。我流風(上から3枚目写真)はこれはこれで美味かったのであるが、ここは捲土重来、ざぼんラーメンを探すこととしよう。
Wikipedia「天文館」
Wikipedia「鹿児島ラーメン」
まだまだ
受け付けなくなって
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鹿児島その12

2023-06-06 01:05:25 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)












そして帰りは再び狭い歩道を通って坂道をくだって行く。バスがすれ違うのが怖いのに加え、さらに「日没の時刻がせまり、どんどん薄暗くなっていく」という怖さも加わる。山の中で日没になってしまったら、街灯もあまり明るくはないだろう。何とか明るいうちに下山しようと急ぐ。何とか完全に暗くなる前に「鹿児島その7」の左折のポイントまで出てこれた。上から1枚目写真は城山トンネル。城山がうっそうとした山であることが何となくわかると思う。2・3枚目は西郷隆盛終焉の地。洞窟から歩いても30分以内でつくくらいの距離である。4枚目は夕闇を走る電車。5・6枚目は表通りに出て。西南戦争の銃弾の跡がいまだに残る石垣である。この石垣の向こうは今は城ではなく、病院(鹿児島医療センター)が建てられている。
Wikipedia「国立病院機構 鹿児島医療センター」
鹿児島その7
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鹿児島その11

2023-06-06 00:54:22 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)












そして展望台である。この光景。もう日は暮れてだいぶ薄暗い中ではあるのだが、これは素晴らしいの一言に尽きる。皆様も鹿児島に行った時にはぜひこの光景をご覧いただきたい。堂々たる桜島の光景。鹿児島港を出入りする船の姿が見える。上から2枚目と3枚目はどこの船かははっきりしないが、4枚目と5枚目は桜島フェリーでほぼ間違いないだろう。見ていて飽きない光景である。日没が近く、あまり長く滞在できなかったのが残念である。
Wikipedia「桜島」
Wikipedia「桜島フェリー」
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鹿児島その10

2023-06-06 00:34:09 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)










さて大変なのはここから先である。歩道はますます狭くなり、車道との間にガードレールもなくなってしまうのである。バスなどがすれ違うと正直ちょっと怖い。歩いてきたことを少し後悔してしまった。坂道をのぼり続けて、やっとたどり着いたのが1番上写真の信号で、ここを左折して2枚目写真のトンネルの中に入っていく。3枚目写真がトンネルの中で、このトンネルがまた結構長い。トンネルを抜けると駐車場があり、土産物店もたくさんあったが、もう時間も遅く、ことごとく店は閉まっていた(4枚目)その奥まで行って、右折すると展望台の入り口になる。長かった。
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鹿児島その9

2023-06-06 00:15:02 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)








このまま坂道をてくてくのぼっていくと出てくるのが「西郷隆盛洞窟」である。西郷隆盛が西南戦争の最後の5日間を過ごした洞窟である。
西南戦争は日本で発生した最後の大規模な内戦であった。西郷隆盛を中心とした旧士族軍は一時は熊本城を包囲するまで奮戦したが、小銃、大砲、蒸気軍艦、有線通信といった最新兵器を備えた政府軍に勝つことは出来ず、7か月の戦いのあと敗退、最後はここ城山に立てこもったのである。洞窟は思った以上に小さく、ここに西郷をはじめとした幹部が身を寄せ合ったところを想像してみる。なお、西郷が最後を迎えた地は今までのぼってきた坂道の下、少し離れた位置にある。
Wikipedia「城山の戦い」
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鹿児島その8

2023-06-04 23:49:49 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)










そして道路の下を抜けていくのが鹿児島本線である。左折するとしばらく線路と道路が平行に走る形となる。鹿児島本線にはトンネルがあり、そこの上に西郷隆盛が座右の銘としたという「敬天愛人」(天を敬い、人を愛する)の文字が掲げられている。ちなみにトンネルの反対側には大久保利通が言ったという「為政清明」(政治をするには、清廉で隠し事があってはならない)の文字が掲げられているそうな。この辺りから歩道が特に狭くなる。上から2枚目写真でお分かりいただけると思う。
Wikipedia「鹿児島本線」
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鹿児島その7

2023-06-04 22:30:44 | 日本国内旅行(鹿児島・2023)








黎明館の脇から坂道を上り始める。道路には「カゴシマシティービュー」という観光バスが走っているのが見える。鹿児島市内の観光スポットを1周80分で周回できる観光バスである。坂道の途中にあったのが写真上から2枚目の「薩摩義士碑」である。江戸の中期に幕府から、木曽三川の治水事業を薩摩藩に申し付けられるという事件があり、多くの犠牲者を出しながらなんとか難工事を完遂した。責任者だった家老・平田靱負(ひらたゆきえ)も最後は自害したと伝えられている。犠牲者となった藩士の多くが眠っている。合掌。
ゆっくり坂道をのぼり、最後線路と交差するところで左に曲がる。城山をのぼっていく形になる。ちとこの辺りから歩道が狭くなってくるのが難点である。
Wikipedia「宝暦治水事件」
神戸その5
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