さてさて、もし皆様の身内の一人が若いころに教師・牧師などの複数の職を渡り歩いたがいずれも解雇され、28歳にして突然「プロの画家になりたい」と言いだしたら如何思われるであろうか?しかもそれまで画家として受けたトレーニングもアマチュアでの実績も皆無、油絵具を初めて手にして興奮していると言う状況である。恐らくであるが--皆様の大半の方は反対されるのではあるまいか。「本当にプロになる人って言うのは、アマチュアで十分な実績を残してからやるものだよ!」くらいの事は言うのではあるまいか。自分ももし自分の子供がそう言い出したら反対すると思う。
その人物こそがビンセント・ファン・ゴッホその人である。実際彼の初期の作品も展示されているが、見てみると本当に絵がたどたどしいのである。素人目にも中学生くらいの絵に見える。また金銭的にも困っていたのか、紙に油絵で絵を描き、それを板に打ち付けたという作品もある。後年あちこちの絵の学校には入るものの、実際にはあちこちの美術館や友人の絵を見て作風を確立して行った様である。彼は絵を描く事を最後まで「study(修練、とでも訳すべきであろうか?)」と呼び、ミレーなどの絵の模写も盛んに行っている。面白いのは日本の浮世絵も模写している事で、絵の脇にある漢字まで模写している。
Wikipedia「フィンセント・ファン・ゴッホ」
Wikipedia「ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)」
皆様も御存じとは思うが生前の彼は金銭的に報われる事はなく、終生経済的困難が付きまとった。生前に売れた絵はたった1枚だけ、弟テオの援助が無くては絵具代もままならなかった。最後は精神病にも苦しみ、謎のピストル自殺で37歳の人生を終える。彼が有名になったのは死後、義理の妹ヨハンナの尽力による部分が多い。それでもかなりの作品は散逸しており、行方知れずの作品も多いそうである。
Wikipedia「ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル」
人生とは難しいものである。ただ28歳で初めて絵具を触った人間が37歳で死去するまでに20世紀屈指の画家となった訳で、人生に絶対不可能なものはない、信じるものがあるなら一回きりの人生、突き進む事はありだと言う事を教えてくれる。写真はアムステルダム市内を走る観光バスの後部。