スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

オランダ旅行その17 運河観光船

2013-04-30 22:50:01 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
さて、世界遺産にも指定されたアムステルダムの運河である。とりあえず写真をペタペタと並べてみたい。上写真は橋が遠くまで並んでいる様に見える有名な撮影スポット。左から2‐4枚目はハウスボート。人口過密に陥ったアムステルダムで運河の上で暮らす事が考えられた訳で、当初は違法だったのだという。左から7枚目がマヘレの跳ね橋(Magere Brug)である。ただし写真ではよく写っていないが、水の方は余り綺麗とは言い難い。結構ゴミなどがプカプカ浮いているのだ。夜景の方が綺麗に見えるのかも。
Wikipedia「アムステルダムの運河」
Wikipedia「マヘレの跳ね橋」

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オランダ旅行その16 運河観光船

2013-04-29 23:07:43 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
美術館の後トラムに乗って中央駅に出る。中央駅から程近く、観光船の乗り場があるのだ。ベルギーのブルージュもそうだが、水の多い町は船から一回見てみたいものである。
ベルギー旅行その37 ブルージュ
ベルギー旅行その45 ブルージュ運河巡り
ベルギー旅行その46 ブルージュ運河巡り
ベルギー旅行その47 ブルージュ運河巡り
船はどれも背が低く作られている。乗ってみると理由が分かる。橋などが恐ろしく低く作られているのだ。下一番右の写真を見ると、橋の高さは0.5mしかないようだ。実際背の低い船でちょうど良いくらいの高さである。橋の下を幾つか抜けて町の方角に船は向かう。

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オランダ旅行その15 エルミタージュ美術館別館(ゴッホ美術館)

2013-04-29 00:06:59 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
さてさて、もし皆様の身内の一人が若いころに教師・牧師などの複数の職を渡り歩いたがいずれも解雇され、28歳にして突然「プロの画家になりたい」と言いだしたら如何思われるであろうか?しかもそれまで画家として受けたトレーニングもアマチュアでの実績も皆無、油絵具を初めて手にして興奮していると言う状況である。恐らくであるが--皆様の大半の方は反対されるのではあるまいか。「本当にプロになる人って言うのは、アマチュアで十分な実績を残してからやるものだよ!」くらいの事は言うのではあるまいか。自分ももし自分の子供がそう言い出したら反対すると思う。
その人物こそがビンセント・ファン・ゴッホその人である。実際彼の初期の作品も展示されているが、見てみると本当に絵がたどたどしいのである。素人目にも中学生くらいの絵に見える。また金銭的にも困っていたのか、紙に油絵で絵を描き、それを板に打ち付けたという作品もある。後年あちこちの絵の学校には入るものの、実際にはあちこちの美術館や友人の絵を見て作風を確立して行った様である。彼は絵を描く事を最後まで「study(修練、とでも訳すべきであろうか?)」と呼び、ミレーなどの絵の模写も盛んに行っている。面白いのは日本の浮世絵も模写している事で、絵の脇にある漢字まで模写している。
Wikipedia「フィンセント・ファン・ゴッホ」
Wikipedia「ジャポネズリー:梅の開花(広重を模して)」
皆様も御存じとは思うが生前の彼は金銭的に報われる事はなく、終生経済的困難が付きまとった。生前に売れた絵はたった1枚だけ、弟テオの援助が無くては絵具代もままならなかった。最後は精神病にも苦しみ、謎のピストル自殺で37歳の人生を終える。彼が有名になったのは死後、義理の妹ヨハンナの尽力による部分が多い。それでもかなりの作品は散逸しており、行方知れずの作品も多いそうである。
Wikipedia「ヨハンナ・ファン・ゴッホ=ボンゲル」
人生とは難しいものである。ただ28歳で初めて絵具を触った人間が37歳で死去するまでに20世紀屈指の画家となった訳で、人生に絶対不可能なものはない、信じるものがあるなら一回きりの人生、突き進む事はありだと言う事を教えてくれる。写真はアムステルダム市内を走る観光バスの後部。
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オランダ旅行その14 エルミタージュ美術館別館(ゴッホ美術館)

2013-04-27 22:48:29 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
さて翌朝目が覚めて。向かう先はエルミタージュ美術館別館である。こちら、ロシアのエルミタージュ美術館の別館なのであるが、今回のお目当てはゴッホ美術館である。本来は市内の別の場所にゴッホ美術館(Van Gogh Museum)があるのであるが改装中で、昨年の9月から今年の4月25日(ごく最近までである!)までこのエルミタージュ美術館別館でゴッホ美術館の絵を展示していたのだ。
Wikipedia「ゴッホ美術館」
この時2月であったが、やはりオランダの方がスウェーデンより暖かいことは確かのようだ。建物は四角形で中央が中庭なのだが、そこにクロッカスやスノードロップが咲いていた。写真の通り、入口から右に入るとゴッホ美術館であった。
クロッカス
スノードロップ

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オランダ旅行その13 路面電車と夜の市街

2013-04-26 22:58:28 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
ザーンセ・スカンスからアムステルダム中央駅に戻る。既に夕方である。ロッカーの荷物を取り、路面電車に乗ってホテルを目指す。
路面電車は2人乗りであった。一人は運転手で、もう一人は車掌である。乗りこむ時は車両の中で開くドアは一つだけ、そこから乗ると下一番右写真の如く車両の中に窓口があり、中にいる車掌から切符が買える様になっている。車内で買えるのは一回券のみ。ちなみに駅の近く、観光案内所の隣にGVB社(アムステルダム市営交通会社)のオフィスがあるので、ここで24時間券なども買う事が出来る。
Wikipedia「アムステルダム市営交通会社」
Wikipedia「トラム (アムステルダム)」
トラムの窓から暮れゆくアムステルダムの街並みが見える。下左から3枚目はムント塔(Munttoren)。右から2枚目はトラムの切符である。
Wikipedia「ムント塔」

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オランダ旅行その12 ザーンセ・スカンス

2013-04-25 23:40:52 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
内部では木靴の政策を実演して見せてくれる。こちら中々効率的と言うか、前に作った靴の形をなぞって木の塊から新しい靴を削り出す機械があるのである。これが伝統の製法なのだと言う。上写真に2本の鉄の棒を並行に揃えた機械が見えるであろうか?この鉄の棒の片方を前の靴の内部に突っ込み、もう一方を新しい木の塊に突っ込むのである。こうして古い木靴をなぞって行くと、木の塊から新しい靴が出来あがる訳である。内部では今でも靴を大量に販売している。見ていても楽しかった。
冬場と言う事もあって他には余り開いている店が無かったが、チーズを製造している店も開いてはいたので寄ってみた。ただこちらは製法の説明などは無しである。ちょっと寄ってみたがチーズは買わずに帰った。来た道を戻り、駅からアムステルダム中央駅に帰る。
下写真は左から3枚が木靴の店、そこからさらに3枚がチーズの店。最後は駅で通過して行った電車である(乗ったのは行きと同じタイプの電車である)

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オランダ旅行その11 ザーンセ・スカンス

2013-04-24 00:27:15 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
この野外博物館、少し離れた位置にバスターミナルがあり、その近くに博物館があるのであるが、今回はこちらはパスした。その代りちょっと訪れてみたのがこちら、土産物店兼木靴屋さんである。木靴に関する展示などもあった。
木靴について少し。低湿地帯のオランダの大地で過ごすために開発されたもので、その起源は12世紀にも遡る。実際に手で持ち上げてみると、思ったよりも軽いものである。丈夫で衝撃にも強く、現在でも工場で使用されることがあるのだそうである。一部地域では結婚式用に非常に凝った細工を施す事もあるらしい。ちなみに現在の日本語でも使われる「サボタージュ」「サボる」の「サボ」は「木靴」の意味である。木靴で機械を蹴飛ばして壊したからだとか。
Wikipedia「サボる」
下写真は左から建物外部、2枚目以降は内部の展示である。右から2枚目が結婚式用の木靴。

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オランダ旅行その10 ザーンセ・スカンス

2013-04-21 23:05:03 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
内部では実際に木を切って見せてくれていた。丸太を鋸を並べた中に通して行って板にし、それを更に横倒しにして板の両端を切りそろえて行く。最初は新しく作ったなら電動で動いているのか?と思っていたのであるが、本当に100%風力で動いているようだ。ちなみに風車の上部は風向きに合わせて旋回出来る様になっているし、風量に合わせて羽根に布を張ったりして回転速度を調整したりも出来る。巨大な木製構造物だが、実に精巧な仕掛けなのである。また低地の排水をする時、1基の風車では排水しきれない程低い場所にある土地では風車を何台か並べ、段階的に水を排水して行くという手も使ったそうだ。決して自然条件に恵まれない国であるが、昔の人の創意工夫というのは大変なものだったと感心させられる。
風車は前述の如く9000基を数えて産業の一大原動力となっていたのであるが、蒸気、石油を原料とした機関の発達と共に姿を消して行く。風車の大敵は意外かも知れないが落雷だったのである。落雷を受けて破壊されると、そのまま再建されない、というケースが目立ち始め、現在は総数1000基に達するかどうかというところらしい。そのため国も今は積極的に保護に乗り出しているようだ。
下写真は左から1・2枚目は上下する鋸、3枚目は模型図、4枚目は作業する人達である。

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オランダ旅行その9 ザーンセ・スカンス

2013-04-21 18:29:59 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
人影が見えた風車はこちら。入口で料金を払うと中に入れる。最初にビデオ室に通されてビデオを見せてもらえる。外が寒くて仕方なかったのでビデオ中にホットチョコも頼んだ。クリームたっぷりで少し暖まる。ビデオによるとJonge Schaap(若い羊)と言うのがこちらの名前らしい。昔から保存された風車ではなく、2007年に風車の保存協会によって昔のままに復元されたものの様である。
風車について少し。オランダの風車の歴史は12世紀にまでさかのぼる。その用途は色々で、粉ひき、スパイスのすり潰し、排水に加えて更には板の鋸びき、油絞りなどにも使用された。全盛期には9000基を超える風車が全土にあったと言う。
ビデオの後風車に入る。2007年作とあって、建物内部には身障者用のエレベーターも設置などの配慮も見られる。こちらの風車はソーミルと言って、丸太を鋸で引いて板にする風車である。上写真が風車の全景、下左から1枚目がビデオ、2枚目がホットチョコ、3枚目が風車内部の紙、4枚目が身障者用のエレベーター、5枚目が鋸(鋸の部分が上下する)、6枚目中央上に見えるのがカムのついた歯車で、風車の力を受けてわずかずつ回って行き、それに伴ってロープが少しずつ引っ張られて丸太が鋸に向かって引き寄せられていく仕掛けである。

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オランダ旅行その8 ザーンセ・スカンス

2013-04-20 16:37:42 | 旅行(オランダ・アムステルダム2013)
恐らくここに観光に来るのに2月と言うのはベストシーズンではなかったのであろう。兎に角風が強くて寒いのである。見ると用水路などは凍りついていて、氷の上を鳥がヨチヨチ歩いている。橋を渡り終えた辺りには可愛らしい建物が並んでおり、どうやらレストランや土産物屋らしいのだが、7割以上は閉店している印象である。恐らく4月の今頃ならもっと賑やかなのであろう。
川辺の土手道をひたすら風車に向かって歩くのであるが、行けども行けどもどの風車も「まだ休業中」らしく中に入る事は出来ない。益々風は強くなり寒いことこの上無い。「もう帰ろうか。。」と考え始めた頃、一つの風車の建物の中に人影を発見した。どうやらここは開いているらしい。
下左は閉店中の店、中央は凍りついた用水路、右と上写真はまだ閉まっていた風車である。

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