和館の最後は大広間である。微かに消えかかった絵がふすまや奥の壁紙に残る。あの横山大観の師匠、橋本雅邦(はしもとがほう)の絵である。この大広間で岩崎久弥の長男の結婚式も挙げられた。絵が鮮やかであった折には華やかな空間であったのであろう。
Wikipedia「橋本雅邦」
しかしこの屋敷の日々にも終わりが訪れる。終戦とともに財閥解体が始まった。三菱財閥の社長であった久弥が無事であれたはずはない。住み慣れたこの屋敷はGHQに接収され、土地も切り売りされていく。やがて久弥はこの屋敷を離れることになった。行った先は千葉県の富里市である。富里市に久弥が作った末廣農場という農場が残っていたのだ。1955年、ここの屋敷で久弥は没した。享年90歳。残念ながら富里市の屋敷はまだ一般には非公開である。
Wikipedia「財閥解体」
Wikipedia「末廣農場」
Wikipedia「橋本雅邦」
しかしこの屋敷の日々にも終わりが訪れる。終戦とともに財閥解体が始まった。三菱財閥の社長であった久弥が無事であれたはずはない。住み慣れたこの屋敷はGHQに接収され、土地も切り売りされていく。やがて久弥はこの屋敷を離れることになった。行った先は千葉県の富里市である。富里市に久弥が作った末廣農場という農場が残っていたのだ。1955年、ここの屋敷で久弥は没した。享年90歳。残念ながら富里市の屋敷はまだ一般には非公開である。
Wikipedia「財閥解体」
Wikipedia「末廣農場」