スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

四谷その20

2021-11-21 18:51:20 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)






最後、「アジャンタ」から四谷駅に戻るのはそれほど遠くない。坂もないので楽に歩けた。上から1枚目はJR四ツ谷駅の麹町口。戻る途中の道も表千家の道場があったりして、「都心の一等地なんだなあ」という印象である。上から2枚目は道路沿いにあった「聴く」という題の彫刻。富田憲二という作家の作らしい。3枚目が四谷駅の近景である。
短い旅であったが楽しかった。また感染が落ち着いているうちにどこかに行きたいものである。
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四谷その19

2021-11-21 12:15:37 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)


歩きに歩いて。この坂には参議院の議員宿舎や「文春砲」で有名になった文藝春秋社の本社などがあるので眺めつつ歩く。しかしそれにしても歩きすぎて疲れた。
地下鉄の「麹町駅」を通り過ぎて、しばらく行ったところにあるのが都内でもインド料理店の草分け的存在、「アジャンタ」である。食べた経験のある先輩も「美味い」との評価で、行ってみることにした。時刻もお昼をだいぶ過ぎて、店も空いてきていたので、感染面でも許されるだろう。
カレー、確かに美味い。ただスパイスの刺激はなかなかである。カレーの「星3つ」のチキンカレーを食べてみたのだが、汗が出てくる辛さ、それも単純な唐辛子の刺激ではなく、なんとも言えず口の中じゅうが刺激されるような感じである。水がないと苦労する。辛いのが苦手な方は星1つのものにしておいた方が良いかも。ただ味は確かに折り紙付きで、皆さまもチャンスがあったら食べに行かれることをお勧めする。お店の許可もいただいたので写真をアップしておく。
Wikipedia「アジャンタ」
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四谷その18

2021-11-21 12:10:46 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)






喰違門跡を通り過ぎ、やっと坂が終わり。。と思ったら、さらにこの次も坂である。最初が下り、次が上りでどちらも急坂である。右を見ると先に見たホテルニューオータニ(上から2枚目写真)が。周囲を見ると上から3枚目写真のように「紀尾井」の文字があちこちに。
この坂の名は「紀尾井坂」である。坂の奥には先に述べた紀州徳川家があり、またこのホテルニューオータニは彦根藩の井伊家の屋敷跡であった。また北側は尾張徳川家の屋敷であり、「紀州」「尾張」「井伊」の3つを取って「紀尾井」と呼ばれたのである。そしてこちらも「紀尾井坂の変」として歴史の表舞台に登場する。1878年(明治11年)に発生した不平士族による大久保利通の暗殺事件で、先の喰違の変の4年後、西南戦争の翌年のことであった。明治天皇に謁見するべく、馬車に乗って紀尾井坂を旧紀州徳川藩邸に向かっていたところを襲撃された。大久保利通、享年49歳。暗殺現場には碑が建てられているらしいが行っていない。
Wikipedia「紀尾井坂」
Wikipedia「紀尾井坂の変」
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四谷その17

2021-11-21 11:40:42 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)




虎屋を見終わったら、次はひたすら紀伊国坂を上る。これもまた、なかなかいい運動になることを覚悟しなくてはならない。
途中で信号が出てくるので右折する。雑草でぼうぼうの道を進むと、上から1枚目写真のように妙に道路が折れ曲がっている部分が出現する。かつて防衛のために道路を折り曲げ、木戸がおかれていたところで、折れ曲がった名前そのままに「喰違門」という名前だったのである。
この門、歴史の表舞台に一回登場してくる。明治初期に発生した不平士族の騒動の一つ「喰違の変」である。明治時代初期、火災で宮殿が焼けてしまった明治天皇は前述の旧紀州徳川藩邸で過ごしていた。岩倉具視がそこを退出したあと、この喰違門に差し掛かった時、不平士族の襲撃を受けたのである。幸い岩倉は一命はとりとめたが、この1か月後には「佐賀の乱」が発生している。
Wikipedia「喰違の変」
Wikipedia「喰違門」
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四谷その16

2021-11-21 11:23:35 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)






この虎屋本店の素晴らしいのは、地下1階に小さなギャラリーを持っていることである。虎屋は和菓子関連の錦絵などを所蔵しており、これを地下一階で展示していた。19世紀の錦絵に描かれた和菓子、非常に興味深い。日本人の生活には常に菓子があったのだ。展示の一部は撮影OKだったので撮ってみた。上から1枚目はテレビ画面で流されていた「和菓子の描かれた錦絵(中央右に団子が見える)」、2枚目は昔のお菓子を入れていた袋、3枚目はそのうちの一つである。
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四谷その15

2021-11-21 00:47:33 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)






建物に近づくと、あの「とらや」の文字が。奥の方に回ると当時の石臼や瓦であろうか。展示がされている。
虎屋は言わずと知れた和菓子の老舗中の老舗である。創業は室町時代。100年以上続く企業は優良企業とされるが、虎屋の歴史は400年を超える。アメリカ合衆国の独立よりも歴史は古いのである。室町時代に京都で創業され、明治時代に天皇が東京に移動するに伴って、東京に進出してきたとされる。1980年にはパリにも支店を出し、すでにこの支店も40周年を迎えている。日本にはまだまだこんな企業があるのだ。そしてこの赤坂店こそ、虎屋の本店なのである。
Wikipedia「虎屋」
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四谷その14

2021-11-21 00:20:11 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)


坂をすべて下りきるのは、かなり良い運動になることを覚悟する必要がある。肥満解消などにはうってつけかも知れない。この坂をずっと行くと見えてくるのがこちらである。「虎屋」の赤坂店である。
ぱっと見てもなかなか印象的な建物である。建築家・内藤廣の設計で、2018年にリニューアルオープンしたばかりなのである。木のぬくもりを基調にした味わい深い建築である。これも一見の価値ありと思う。
Wikipedia「内藤廣」
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四谷その13

2021-11-21 00:05:14 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)






さて見学を終わって。正面の正門から出てきたあと(「その5」で撮った門は出口専用なのである)、次は最初のY字路で左の方の道を行ってみる。こちらは下り坂である。途中で「東門」という門があり、警察官が警備している。何となればこの迎賓館の奥は「赤坂御用地」であり、秋篠宮邸、三笠宮邸などがこの中にあるのだ。この辺りは普通に歩いていても警察官や警察車両に出会う確率が格段に高い。
四谷その5
Wikipedia「赤坂御用地」
先に述べた通り、迎賓館をはじめとする赤坂御用地は、もともとは紀州徳川藩の屋敷があったところであり、このためこの坂道の名も「紀伊国坂」である(上から3枚目写真)。またこの坂道を下りつつ左側を見てみると、上から2枚目写真のような建物が。こちらホテルニューオータニである。元力士だった大谷米太郎が作ったホテルであるが、昨今は「大谷」という名前を聞くだけでもなんだか縁起が良いような。
Wikipedia「ホテルニューオータニ」
大谷翔平選手MVP
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四谷その12

2021-11-20 23:43:23 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)


そしてだんだん離れていくと、だんだんに宮殿の全景が見えるようになってくる。ただ完全に全景を写真に入れるのはなかなか難しい。
さて、皇太子の宮殿として作られたはずの離宮であったが、どうも住居としては使い勝手が今一つであったようである。昭和天皇も皇太子時代を過ごしたものの、即位後にこの宮殿に戻る提案をされたときは拒否している。戦後は皇室から国に移管され、いろいろな用途で使用された。1964年の東京オリンピックの委員会もここに設置されている。
Wikipedia「1964年東京オリンピック」
その頃は海外から来日した元首をもてなしていたのは東京・目黒の旧朝香宮邸(現・東京都庭園美術館)であった。しかし日本の国際交流が活発になるにつれて朝香宮邸では手狭になってきており、そこで白羽の矢が立ったのがこの宮殿である。戦後に手直しはされたものの、戦時中に迷彩色を塗られた跡があったり、金箔がはげ落ちたりで迎賓館として使用できる状況ではなかった。ここで110億円を投じ、建築家の村野藤吾、谷口吉郎の指揮のもと大改修工事に取り掛かったのである。完成は1974年であった。
東京都庭園美術館その6
東京都庭園美術館その1
Wikipedia「村野藤吾」
その後は海外から来た国家元首のもてなしに大活躍することとなった。あのトランプ大統領も訪日の時には来ている(その時の写真も館内には飾られている)。2009年には国宝に指定された。長らく非公開であったが、2016年から(使用されていない時に限り)一般にも公開されるようになった。インターネットでの事前予約が必要であり、また入場料も必要である。ただそれでも見る価値は十分あると思う。お勧めである。
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四谷その11

2021-11-20 22:51:04 | 日本国内旅行(東京・四谷2021)






噴水を見たら再び正面の方に回って。正面の扉をよくよく見てみる(上から3枚目写真)と、中央にあるのは桐の紋章である。こちら皇室の紋章であるとともに、日本国政府の紋章でもある。
Wikipedia「桐紋」
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